段階フェイズ8. 好みの話

 気付いたことがある。御堂筋くんは几帳面だ。毎日毎日よくもまぁ飽きもせずに(口が悪くてごめん、褒めているよ)一限が始まるまで朝練をこなしている。そして8時半きっかりに下駄箱に現れる。こんな事を言うとストーカーのようで気味悪がられてしまうので言わないけれど、私は彼と初めて朝玄関口で会ったときの時刻を覚えていた。それが8時半。それからしばらくは御堂筋くんに興味を持って、金魚のふんのように付いて回って、ようやく私に心を開き始めてくれたんじゃないかと都合よく解釈している。


「お早う」
「……お、おはようございます」
「……」
「?あの、何か?」
「ジャマや。退いてくれへん」

 朝、下駄箱の前。私の前に突っ立ったままの御堂筋くんは、脱いだ靴を泳がせてしっしっと退くように言った。ああ、邪魔になってたんだね。謝って急いで退くと、彼は上靴を履いて足早に教室に向かっていった。
 なにか。なにか今までの流れでおかしなことはなかっただろうか。思い返してみると私はあっと口を大きく開けた。……初めて御堂筋くんのほうから挨拶された。これはすごい進展だ。まるで乙女ゲームでキャラを攻略したような爽快感。私は嬉しさを抑えきれないまま下駄箱の横を曲がると、御堂筋くんはもう階段を上がりきろうとしていた。すっかり見慣れたはずの背中なのに、なんだか心臓がざわざわする。いつもなら駆け寄って肩を並べて歩くところ、今日はなんだか恥ずかしくて出来なかった。


 その後、お昼休みに入るまで彼と一言も交わさなかった。なんだか今日は私の様子がおかしい。いつも何の意味もないどうでもいい会話を吹っかけるのに、話しかけようと御堂筋くんの横顔を見ると心臓が跳ねるのだった。ぴょんと跳ねた襟足とか、頬に添えられた大きな手とか些細な箇所が気になってしまう。現国の時間に当てられた御堂筋くんが淡々と音読するその声にすら反応してしまうのだから、本当にどうしたというのだろう。

「御堂筋くん、お昼食べよ!お昼!」
「やかましい」
「もーいけず!今日はねー……なんと、麻婆豆腐です!」
「……ようそんなドロドロしたもん弁当に詰めたな」
「最近の密閉容器はすごいんだよ。ほら全然漏れて……」

 いつもの巾着袋からおかずが入った容器を取り出すと嫌な感触が指先に伝わった。ベットリと右手全ての指に麻婆豆腐が見事に付着している。

「漏れてるやん」
「に、日本の技術も大したことないわね」
「人のせいにすなや」

 付着した麻婆豆腐のソースが床に垂れないよう注意を払いながら、小走りで手を洗いに教室を出た。……よかった、やっぱりいつも通りだ私。水道水に手を晒しながら安堵のため息をついた。すぐに席に戻ると、御堂筋くんは私に目もくれずに大きな頬袋をつくっておかずを食べていた。身体は大きいのにこういった仕草はやけに幼く感じる。次に箸を伸ばした卵焼きがやけに美味しそうだ。ふわふわしていてきれいな形がもう一つ、箱に入っている。

「御堂筋くん、卵焼きひとつちょうだい」
「あかん」
「うわっ即答!えーじゃあ麻婆豆腐と交換!」
「……」

 御堂筋くんが黙り込んでいる間、私はスプーンを使って麻婆豆腐を何度か口に含んだ。うん、ピリ辛で美味しい。すると御堂筋くんはじっと私のおかずを見ながら自分の弁当箱を差し出してきた。えっくれるんだ。お礼を言いながら卵焼きをフォークでいただいた。

「んー美味しい!おばさんすごいね!……あ、はいどうぞ」
「……」
「どうしたの?食べていいよ。あっ箸しかないのか」
「……」
「わ、私のスプーンでよかったら使っていいけど」
「いらん」

 ああ、そうですか。と心の中で悪態をついたのも束の間、御堂筋くんは容器を口元まで持ち上げてずずっと啜った。ごくりと喉仏が鳴る。うん、いい飲みっぷりだ。あれ?麻婆豆腐って飲み物だったっけ?とかそういう問題ではなくて――

「ちょっと!!全部食べていいとは言ってないんだけど!」
「もう遅い」
「信じられない!私まだ2口しか食べてないのに!」
「美味しかったわ」
「でしょ?……って、そうじゃなくてもう!」
「ご馳走さん」

 そうやって会話を一方的に終わらされて、私は脹れるしかなかった。でも私が作ったわけじゃないけど、お母さんが作ったものなんだけど、彼に褒められたことが嬉しかった。人の料理を美味しい、なんて御堂筋くんも言ったりするんだ。てっきり「まあまあやな」とか「普通やな」とか言うものだと思っていた。彼から褒められることなんてきっと他にないだろうから、今度、自分で弁当を作っておすそ分けしてみようかな。そしたらどんな反応するかな。

 私は残り少ないおかずを食べながら御堂筋くんの表情を観察した。相変わらず無表情だけど、ちょっと機嫌がいい……のかもしれない。人のおかずを飲み干しておいて上機嫌とは何たる悪趣味か。

「もしかしてさ、豆腐好きなの?」

 単なる勘だった。なんとなくそんな感じがした。すると御堂筋くんはピクリと反応して私を一瞬見てすぐ逸らした。

「好きやよ」
「や、っぱり!そうなんじゃないかなぁって思ったんだよね。はは」

 仲の良い友人には鈍いだKYだと罵られることがあるが私だって野生の勘、女の勘ってものがあるんだ。よし、このことを誰かに報告しよう。そうしよう。

「……なんなんその顔」
「――え?」

 ぱっと御堂筋くんの顔を見ると訝しげな表情で私を見ていた。顔?がどうかしたのだろうか。

「真っ赤やけど」

 とっさに自身の頬に手を当てると確かに熱を帯びていた。目の前の彼にそう言われるまで自分が今どんなカオをしているのか気付かなかった。


150711



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