段階フェイズ7. 答えはこの先に

 その日は偶然、現国の教科書を忘れてしまった。普段は教室に置きっ放しにしているのに、昨日は復習でもしようかと思いつきで家に持って帰ったのが間違いだった。家の勉強机の上に置いたままだ。ちなみに家では一回もページを開かずに寝てしまった。……慣れないことはするものじゃない。こういうのは結局積み重ねなんだなと改めて痛感した。
そういうわけで私は隣の彼に視線を送った。教科書忘れちゃった。わざとらしく舌を出して愛想を振りまいてみると、彼は半分しか開いていない目をさらに細めて窓の外に意識を向けた。私の口元がぴくりと引きつく。

「ねー!教科書見せて、御堂筋くん」
「忘れるヤツが悪い」

 大して興味もないだろうに、校庭で他クラスの生徒がサッカーボールを蹴っている様子を見ながらそう言い放った。私はムッとして自分の机の端を持つと、勢いをつけて御堂筋くんの机にガツンとくっ付けてやった。驚いてる驚いてる。

「ファ?!な、なんやの……」
「教科書見ーせて!」
「キ、キモッうっさいわ、叫ぶな」
「傷付いた」
「…………」
「……ふふ、うそだよ」

 机に肘をついて笑ってみせると、御堂筋くんは眉間にしわを寄せながらも教科書を開いて、少しだけこちらにずらしてくれた。ありがとうとお礼を言うと返事の代わりに深いため息が返ってくる。教科書を覗き込もうとして距離を縮めると私の肩と御堂筋くんの腕がぶつかった。20センチ以上の身長差があればこうも肩の位置が違うものか。ふと教科書に添えられた骨ばった手に目をやる。細くて長い中指から小指にかけての三本で、教科書が閉じてしまわないように抑えている。どの指の爪もきれいに切りそろえられていて、清潔感があった。

 ……男の子の手だ。御堂筋くんは男の子だから当たり前なのだけど、一瞬胸のあたりがざわついた。ひざの上に置いている自分の手に目を向ける。少し伸びていて磨きあげた爪。丸みを帯びた私の手より、御堂筋くんの手が一回り大きいことは明確だった。

「――じゃあ市川さん、続きを読んで」
「えっ」

 不意を突かれたように先生に指名されてしまった。反射的に席を立つ。この授業ではあてられた生徒はその場に起立することがルールだった。……まずい、授業の話を聞いていなかった。どこから音読すればいいのか分からない。隣の御堂筋くんを見下ろすと、頬杖をついて少し壁際を向いたままトン、と人差し指で段落を差してくれた。――ここからか!読むべき文章を把握してからは、まるで演説家にでもなった気分で音読を始めた。

 先生が「あ、ここまででいいわよ」と止めに入るまで一度も噛まずに読み終えた。本は読まないくせに音読は得意なのだ。渇いた喉をごまかすように咳払いを一つして椅子を引いた。

「ありがとう、助かった」
「声が大きい」
「音読の?意外でしょ、実は得意なの」
「……キモォ」

 お礼を言ったその声は先生にばれないような小声だったので、御堂筋くんが声が大きいと文句を付けたのは私の音読に対してだと分かった。それに加え二言目にはキモイと言われたのでわざとらしく落ち込む素振りを見せると、彼が少しだけ慌てたような気がした。からかってごめんね御堂筋くん、そういう冗談を真に受ける私じゃないから、そんなしきりに目をギョロギョロと動かさなくてもいいのに。
 そんな御堂筋くんを見て、浮かぶ口元の笑みを自らの横髪を垂らして隠した。


 下校の時間が近付いてくると、周りの生徒はもうすっかり学校という縛りから解き放たれた様子で、幾分かざわついている。大人しいはずのこのクラスが一番騒がしい時間だ。そんな中、隣の彼はせっせと身支度を始めていた。準備も終わって行儀良く椅子に座って、先生に「まだか」と無言の合図を送っているようにも見える。よほど練習に行きたいのだろう。熱心な彼には悪いけれど、その様子はなんだか早くサッカーをして遊びたい近所の男の子と重なった。

 ホームルームが終わった。御堂筋くんはやっとかと言わんばかりに席を立つ。その長い脚を大股に広げて教室を出ようとするところを呼び止めると、思惑通り、少し苛立った表情が向けられる。今日私は何故こんなに御堂筋くんに意地悪をしたくなるのだろう。今までも散々彼の心を掻き乱してきたことを自覚しているが、今日は特別だ。私に呼び止められた御堂筋くんは「なん」と少々面倒くさそうに返事をした。最近では彼が私を無視することもなくなった。きっとこの女は無視したところで付いてくる、と諦めたのだろう。実際その通りだ。

「今日見学に行ってもいい?」
「イヤや、来るな」
「えー!……けち」
「…………」
「じゃあ、どこで練習するの?」

 一歩、御堂筋くんに近付いた。じいっとその黒目を見つめると、ハァッと深いため息をこぼしながら顔を横に逸らした。ねぇ。催促すると御堂筋くんは一瞬考えるふりをするように真っ直ぐどこかを見た後、私のほうに流し目を寄越した。

「教えへん」

 口角を吊り上げて意地悪そうに笑った。え、ちょっと!私の声にも今度は無反応で、スタスタと練習に向かってしまった。……やられた。最近の御堂筋くんを見ていると、なんだかんだ言ってちゃんと質問には答えてくれるとは思っていたのに。意地悪なのは彼のほうだった。ムッと口を尖らせてみても誰も見てはいない。ただ心臓が少し締め付けられたような感覚に、頭をひねった。この気持ちを何と言ったかな。


150222



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