段階フェイズ6. 彼が金魚で私が

 昼休み。私は御堂筋くんの前の席…つまり私の斜め左前の席の男子に「机借りてもいい?」と声を掛けた。その男子は混み合う売店へ向かおうとしているのか、余裕なさげに私にええよと言うと財布を後ろポッケに乱雑に差し込んで、急いで教室を出て行ってしまった。
 私はその姿を最後まで見届けないまま、机の端を持ってくるりと180度回転させた。不審そうな目でその机を見る御堂筋くんと対面する。

「御堂筋くん、一緒にご飯食べよう!」
「……」
「この間言っていたこと、冗談だと思ってたでしょ。残念ながら本気です!今日のおかずは何かなぁ」
「キミィは日に日にウザったさを増すな」

 御堂筋くんからの無言の圧力に気付かないふりをして、大きな独り言を言いながら、お母さんが作ってくれた弁当に手を掛けた。あ、昨晩のからあげが入ってる。私は笑みを浮かべながらフォークを刺して、しっとりしたからあげを口に運んだ。
 いつもお昼ご飯を一緒に食べている他クラスの友人には、今日はクラスメートと食べるねと一言断っておいた。その友人には、私が高校生にもなって可愛らしいフォークとスプーンを使うことをよく弄られたものだ。いいじゃないか、箸よりフォークとスプーン派の人は他にもいる。そう言うと「やなくて、稜子にしては可愛すぎなんよ」と返された。どういう意味か。

「…ん!御堂筋くんもお弁当、いつもお母さんに作ってもらっているの?美味しそう」
「おばさんに作ってもろてる」
「あれ?お母さんじゃないんだ」

 そう言って、フォークの先に残ったからあげを一気に口に含んだ。御堂筋くんは器用に箸を使っている。彼から返事が返ってこないことには慣れているが、表情を窺うと口いっぱいにご飯を入れてもごもごと咀嚼していた。物が口に入ったままでは喋らない人なのだろう。ようやくゴクリと飲み込んで口元がスマートになったかと思えば、ちゃんと返事をしてくれたことに少し驚いた。

「母親はもうおらん」

 一度刺したはずのだし巻き卵がころりと弁当箱の中に落ちた。それと同時にだらしなく開いた自身の口を、このフォークで刺してしまおうかとも思った。……私は馬鹿か。少し考えたら分かりそうなことを、ただ思ったことを口に出してしまうなんて。もとより物事をはっきりと言うほうで、通信簿には決まって「意思表明がきちんと出来る生徒です」と書かれるほどだ。……それが完全に裏目に出てしまった。私は酷く後悔した。
 私は即座にごめんと謝ろうとしたが、御堂筋くんのことだから謝罪するほうがむしろ嫌がられるのではないかと勘ぐってしまう。何の謝罪なん、と冷たく突き返されそうで。

「じゃあ…御堂筋くんの心の中にいるんだね」

 これが今の私にできる最善のフォローだった。言っていることは本音だ。ぎこちなく口角を上げてついでに首を傾けてみたが、御堂筋くんの顔を直視することはできなかった。
 ちょっと調子づいたことを言ってしまっただろうか。変な気の遣い方はするまいと考えての私の言動を、彼は一体どう思っただろう。だが次に「せやな」と肯定の言葉が返ってきたことは意外だった。予想外の返答に、私は結局まっすぐに彼の目を見つめてしまった。

 相変わらずの無表情だったが、どことなく嬉しそうなのは私の過ぎた思い違いだろうか。


「――あ、もう食べ終わったんだ。速いね」

 まだ口を動かしている私を気にも留めないで、空っぽになった弁当箱の前で合掌をすると手早く片してしまった。案の定、一人でその場を去ろうとする御堂筋くんの学ランの袖を即座に掴む。これにはさすがの彼も素っ頓狂な声を上げて驚いていた。

「まだ食べ終わってないから待って」
「ッハァ?キ、キモいわ、なんでキミィに合わせなあかんの」
「私が食べるの遅いから!」
「叫ぶことちゃうやろ」

 私が左手で彼の袖を掴んだまま、もう片方の手で握っているフォークで刺したおにぎりを食べていると、御堂筋くんはそのままストンと腰を下ろした。待ってくれるようだ。にんまりと笑ってお礼を言うと、彼は「ええから早よう食べ」と口をへの字に曲げて無愛想に言った。
 ようやく食べ終わった後の御堂筋くんといったら、やっとかと言わんばかりに椅子を後ろに引きずって、勢いよく立ち上がった。そんな彼を見て慌てて私も席を立つ。

「待って、私もトイレ行く」
「……ボクゥどこに行くかキミに言った覚えないけど」
「え?トイレじゃないの?」
「せやけど」

 御堂筋くんは踏み出したその足をぴたりと止めて、斜め後方につっ立っている私のほうを振り向いた。じぃっと見下ろされる。覇気のない黒目に不意に見つめられて少しどぎまぎした。負けてたまるかと変な意地を張ってキッと目力を込めると、げんなりした素振りで身体を前に向けて歩き出した。
 その大きな後ろ姿はかなりの猫背だ。小股で近寄ってツゥーッと背骨を人差し指でなぞってやった。分厚い学ランの上からなので少々力強くだ。

「―ギッ?!」
「背中、曲がってるよ」

 驚いたのか肩を大げさにびくつかせていた。その逆毛を立てるような仕草はまるで大きい黒猫だ。


150131



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -