声だけじゃ足りない



画面越しの声と顔だけやと足りんやった。名前ちゃんが元気にしているのは確認できても、触れてその温かさを感じることは出来ない。まだボクの中に寂しいなんて感情があるとは自分でも驚いた。母さんが居らんなって心にポッカリと穴が空いたようなそんな感情。まさにあの頃の感覚が蘇ってきて、名前ちゃんを失うのが少し恐くなった。


「翔君、どうしたのその額の傷!」

画面いっぱいに名前ちゃんが近づいて来て、ボクの額にできた傷を心配していた。転んだだけや、そう言うても垂れ下がった眉はまだ戻らない。いらん心配は掛けたくなかったつもりやのに、何故か心が温かくなった。それを悟られんように少し顔を逸らすと名前ちゃんに呼ばれて渋々画面へと向き直す。

「なら切るで」

通信を切る直前、ほんの少しだけ名前ちゃんの表情が曇った。そんな顔せんでももうすぐ会えるのに、ボクはその事を伝えずに意地悪をしてやろうかと企んだ。何て事はない、ちょっとした出来心や。もともと海外に滞在する予定だった期間が三ヶ月も短縮されたのは、参加するつもりだった海外でのロードレースが中止になったからやった。次の目標である日本でのレースを考えると、一日でも早く帰国して体制を整えておく事を優先すべきと判断しての決断だった。…それと名前ちゃんにも会えるしな。

昨日から始めた帰国の準備は、もともと持ち物が少ないのであっという間に終えることができた。リュックの中の荷物の一番上にオルゴールをそうっと入れて、名残惜しむ事なく飛行機に搭乗したのは午前10時前の事。…名前ちゃんのところに着くのはもう夜遅なってからやな。早起きしたにも関わらず大して眠くはなかったので飛行機に乗っている時間がとても長く感じた。ひょこひょこと無意識に両足先をリズムよく動かしていた事に気付いては、すぐに静止させた。別に、早よ着かんやろかとか待ち遠しいわけやないで。一人で勝手に動揺しているとリクライニングのスイッチに手が当たって垂直に戻してはピギ、と小さく声を上げてしまった。


名前ちゃんの話によるとまだ実家に一人で住んでいるみたいだったのでそちらに向かった。部屋の明かりはついておらず、インターホンを鳴らしても誰も出てこない。仕方がないので外で待つことにした。ちなみに久屋のおばさんにはまだ何も連絡してへん。ユキちゃんも少しは落ち着いたやろうかとぼんやり考えていた時やった。
…来た。向こうのほうから、こんな寒い日に足を出してコツコツと靴を鳴らして歩いてくる名前ちゃんが見えた。触り心地の良さそうな品のいいマフラーを巻いて口元を覆っている。ボクは路地に隠れて、名前ちゃんが通り過ぎるのを待った。すぐ側でボクの名前を呼んだのは気のせいやろか。空を見上げたまま歩く名前ちゃんはもちろんボクの存在には気づいていなかった。

…不用心やないやろか。こんな夜中に一人でふらついたら危ないやろ。曲がり角に隠れ名前ちゃんを覗き見てはまだぼんやりと空を見上げていた。これはお仕置きせなあかんな、こっそり近付いて驚かせて少し痛い目に合わせな全然危機感が足りんわ。ボクは足音を立てずに名前ちゃんの背後に近付いた。今だぼうっとしている彼女の後ろに立つのは簡単やった。

「翔君」

またや…またボクの名前を呼んだ。ここにおるよ、すぐ近くにおるやんか。肩に手をやる程度で驚かすつもりが、たまらず後ろから抱きすくめてしまった。悲鳴を上げて騒いでしまわんように口元を手で塞ぐ。案の定、暴れる名前ちゃんを抑えるのは簡単なことやった。…もう、ええか。これで十分怖い思いしたやろ。


「こんな夜遅くに一人で何してるぅん、お嬢ちゃん」

名前ちゃんの体の正面をボクのほうに向かせると怯えた表情でボクの目を捕らえた。大きな目をこれでもかと見開き、降ってくる粉雪に反応して何度か瞬きをしていた。

「あっ…翔君!」
「久しぶりやなぁ名前ちゃん」
「何で、何でおるの!えっ何で?」
「落ち着きや」

これは夢かと名前ちゃんが自分の頬を柔く抓るのを見て微笑した。とりあえず、今のような事が本当に起こったらどうするんやと少し喝を入れてやった。

「…怖かった」
「もっと怖い思いするで」
「本当やね、これからは気を付ける」
「ええ子や」

その白い頬を撫でるとほんのり温かかった。ボクも手袋はしているけれど指先は出ているので冷たく、名前ちゃんは少し体をビクつかせた。髪を撫でると気持ちよさそうに目を細める。マフラーを下にさげてゆっくりと唇を重ねた。

「おかえり、翔君」

唇を離すと名前ちゃんがボクの首元に抱きついてきた。少し後ろによろけてはぐっと堪えて腰に手を回す。名前ちゃんは満面の笑みでボクの顔に近づいてきて二度目のキスをした。


「ただいま」


141020



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