声で伝わる恋心



「どうしたのその額の傷!」
「…転んでん」
「落車したん?!」
「ファー…名前ちゃん声大きい」

パソコン画面の向こうで耳を塞ぐ翔君。ふかふかの黒いチェアーに膝を立てて座っているようだった。インターネットを使った電話サービスにより相手の顔を見ながら電話が出来る事を覚えてからは、海外にいる翔君と、毎日とは言わないがたまにこうやって会話をしていた。最初はあれだけ恥ずかしいと嫌がってパソコンの前に顔を出してくれなかったのに、今では慣れた様子で仕方なくもこちらを窺っている。
そんな翔君と一週間ぶりにテレビ電話をしてみると、顔のあちこちに擦り傷をたくさん作っていた。しばらく他所を向いたまましらばっくれていた翔君にその傷の理由を問いただすと、どうやら先日行われた大規模なレースで前方にいた選手たちの落車に巻き込まれたらしい。

「ロードレースではよくある事やよ」
「そう…だろうけど」
「骨折もしてへん」
「…そっか。なら良かった」
「名前ちゃんは心配しすぎや」

どんなレースだったの?とか、すごい選手はいた?とか素人なりにいくつか聞くと翔君はぶっきらぼうに答えてくれた。その顔は無表情だけれどどこか嬉しそうで、本当にロードが好きなんだなあと聞いている私まで幸せになった。つい微笑んで聞いていると、「何笑ってるん」と少し拗ねる。そんな翔君が愛おしい。

「なら切るで」
「うん!お大事にね。ばいばい」
「…ん」

目の前の画面から翔君が映らなくなってから、私の笑顔も徐々に消えていく。そろそろ家を出ないと大学の講義に遅れてしまう。資料の入った鞄と家の鍵を持って、慌てて家を出た。
私は高校を卒業してから地元の大学に通うことになった。就きたい職業も決まっておらず、ただ勉強をしていれば後先役に立つだろうとあまり深くは考えないまま進学した。だからこそ自分のやりたい事に向かって突き進む翔君はすごいと思うし尊敬する。…本人にそう伝えると、少し顔を赤らめてそっぽ向くのは目に見えてるけれど。



「名前、今日の夜の件なんやけど…」

講義終わりに仲のいい友人に話しかけられた。ああそうだった、今日がクリスマスイブか。実は今宵12月24日は恋人がいない者同士、集まって楽しもうではないかという学生ならではのイベントにお誘いが掛かっていた。小遣い稼ぎ程度だがアルバイトも始めていた私はその日シフトが入ってしまうかもしれないので、とりあえずは返事を保留にしておいたのだった。昨日、確認をするとどうやら他の従業員が代わりに入ってくれるとのことで、ついに予定がなくなった私は一人で過ごすのもなんだし、と参加するように返事をした。

「よかった!じゃあ19時に駅前で」
「うん、ありがとう。わかった」

一旦家に帰って支度をしてから会場に向かうことにした。鏡の前に座って、少し薄れた化粧を直す。発色のいいリップを塗っているとふと手が止まった。
つい最近。京都伏見の制服を着ている時は化粧なんてしていなかったのに、今では素肌を晒して外出する事はあまりなくなった。一年も経たないうちにこうやって変わった自分を鏡で見て少し恐くなる。…翔君も変わっているだろうか。パソコン画面を通じてだとわからない部分なんかが少しずつ変化しているのではないだろうか。メイク道具をポーチにしまってバッグに入れると、ティッシュを少しだけ唇に押しつけて丸めてゴミ箱に捨てた。


「名前!ごめん、待った?」

ううん、と返事をすると友人はほっとした様子で笑顔を向けた。聞けばどうやら会場には結構な大人数が参加するらしい。意外と恋人がいない人って多いんだねと聞くと、正しくは彼氏がバイトだったり仕事だったりで色々と事情がある人の集まりらしい。そうか今日は女の子同士が愚痴を言い合う会だったのか。

女子会コースとなればテーブルの上が随分と華やかなものだ。まだ未成年なのでソフトドリンクやノンアルコールで乾杯をした。お酒が入らずともみな饒舌である。愚痴から惚気からと恋人の話題で尽きなかった。

「そういや名前も彼氏いてたよなぁ」
「う、うん」
「今日は一緒やなくてよかったん?」

ついに私に話が振ってきたかと思わず身を構えると、隣にいた友人が「名前の彼は留学中らしいねん」と代わりに答えてくれた。その言葉にきらきらと目を輝かせる皆。どんな人なの、写真見せてよと迫られて困った挙句、少しトイレに行ってくると席を外してしまった。



「…感じ、悪かったかな…」

女子トイレの鏡の前で深いため息をついた。それでも、翔君のことを軽薄にあれこれと話したくはなかった。今も私の知らないところで頑張っている彼のことを。
左腕にしていた時計を見ると21時を指していた。多分あっちでは練習の最中だろう。…そんなに気を重くしても仕方がない。そろそろ席に戻ろうかとすると、トイレの入り口に友人が立っていた。

「あ…さっきはごめんな、気ぃ悪くせんとってや」
「ううん!私も急に席立ってごめん」

私のことを気にかけてくれるなんて優しい人だ。ありがとうとお礼を言うと友人もつられて笑った。…そうだ、今日くらいは全て忘れてしまおう。

「ほら、暗いで顔!今日は楽しもうや」
「うん!そうやね」

友人に手を引かれて席に戻ると、周りはまた違う話題で盛り上がっていた。たくさん食べてたくさん笑って、こんなに楽しい夜は久しぶりだった。

帰り道は皆で群れをなして明るい歩道を通って帰った。皆と別れてからは夜空を見上げて月を見ながら一人歩く。すると、ひたひたと冷たいものが頬に当たった。…雪だ。粉雪が降ってきて私の沈んだ心を少し躍らせた。ああ、この雪を翔君と一緒に見ることができたら。

「翔君、きっと雪食べちゃうなぁ」

いつしかの冬の情景を思い出して、マフラーの中で口を緩ませた。口元を外気に晒すと白い息が漏れる。翔君、と誰もいない夜道でぽつりとそう呟くと、急に後ろから手で口を塞がれた。

「…!…っ!」

声を上げるがそのゴツゴツとした手に吸い込まれて全く周囲に響かない。全身の毛穴が開いて汗が吹き出るような気がした。どうしよう…怖い、助けを呼ばないと。固く目をつむるとそのまま男の手によって体を無理やり後ろに向かされた。


「こんな夜遅くに一人で何してるぅん、お嬢ちゃん」

私の頭の上から降ってきたのは、少しの粉雪と私の大好きな声だった。


141009



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