ずっと待っています



昨夜は意外にもぐっすり眠ることができた。枕元には開いたままの卒業アルバム。一番後ろのページには翔君からのメッセージは書かれていなくて、昨日のうちに書いてもらえばよかったと少し後悔した。
目覚まし時計に目をやると時刻は朝の八時前。目覚ましが鳴る前に起きるなんて本当は心のどこかで緊張していたのだろうか。あと三時間もすれば翔君は旅立ってしまう。早朝から待ち合わせをして最後のデートなんてすればいいものの、今だベッドの上でのんきにスマートフォンを開いてぼうっとしていた。そんな時、いきなり着信音が鳴る。翔君からだ。

「も、もしもし」
「行くで。早う支度しい」
「っえ?」
「…外で待ってる」

すぐさまベッドから飛び起きてまだ締め切ったままの暖色のカーテンを開けると、電話を耳に当てたままこちらを見る翔君がいた。その背中には大きなリュックを背負っていて、多分そのまま空港に向かうのだろう。私はすぐに身支度をしてきちんと洋服も選ばないまま家を飛び出した。ああこんな事なら、昨日のうちに着る服を決めておくべきだった。

「は、早いね翔君。どうしたの?」
「名前ちゃんが寝坊したらあかん思って。それに」
「それに?」

言葉を詰まらせる翔君に聞き返すと、何でもないとはぐらかされた。横に並んでじっと見つめるとまだその目は泳いでいる。

「どうせなら少しでも長く一緒にいたいもんね」
「…!キモ」
「ふふ。翔君、荷物それだけ?」
「そうや、他のはもう送った」
「そっか」

おばさんやユキちゃんにちゃんとお別れを言ってきたかと聞くと翔君は静かに頷いた。どうやら早朝からお母さんのお墓参りにも行ってきたらしい。
どちらからともなく繋いでいた手に少し力を込めて、きっとお母さんも見守ってくれとるよと翔君を精一杯励ました。相変わらず無表情の翔君が少し嬉しそうなのはきっと気のせいではないはずだ。

空港に着くと結構な人が行き交っていた。今日が休日だということを考えると当たり前ではあるが、隣の翔君は見るからに嫌そうな顔をしている。そんな彼を気遣って、空港と併設している飲食店に入り出発までの時間を過ごすことにした。
ソファのほうに座った翔君が、背負っていたリュックをやけにそっと置いたので何か大切なものでも入っているのと聞くと、その口をぽかんと開けた。

「名前ちゃんはやっぱり阿呆やな」
「あ…っ?な、なに急に」
「キミィがくれたんやろ、持ち運べるように、て」

…アレ。そう言って目線を逸らし照れながらホットコーヒーを一口すすった。苦い、とまたシュガースティックをまた一本付け足している。もしかして、翔君の誕生日にあげたあのオルゴールの事だろうか。「本当に?」と聞くと少し煩わしそうな目で見られた。こんな嬉しい事はない。私を忘れないでほしいという気持ちを込めて半分押し付けたそのプレゼントを、大切に持ってくれているなんて。
一人感動していた私を、翔君はいちいち大げさだと言ってため息をついていた。

そろそろ出発時刻も近づいてきた頃。飲食店を出て飛行機の搭乗口へと向かった。人の群れを掻き分けて、翔君を見失わないようにとリュックを掴んでその後ろをついて行く。電光掲示板を見てそこで初めて実感が湧いてきた。ああ、翔君は旅立ってしまうのだと。次に会えるのはあと一年も先の話なんだと。少しでも気を緩めると涙が溢れてしまいそうになる。唇を噛み締めていると翔君がいきなり後ろを振り返った。

「…ここでええわ」
「うん」
「風邪引かんようにな」
「翔君もお腹出して寝ちゃだめだよ」
「誰がや」
「ふふ。…翔君」
「…なん」

頑張ってね、と言おうとして止めた。翔君は言わなくても頑張る人だから。

「…元気でね」
「名前ちゃんもな」
「じゃあ、また」
「…ほな一年後」

お別れの笑顔を作ると翔君が私の頬に手を当てた。大好きなその瞳に見つめられながら、するすると親指の腹で撫でられる。精一杯の笑顔が徐々に崩れ唇が小刻みに震えだした。視界もぼやけて翔君の顔が歪む。今日は泣かないと決めたんだ、悲しい見送りにはしたくないから。

「待っててな」
「…うん」
「辛抱やで」
「…っ、うん」
「そんな悲しい顔しなや」
「ごめん」
「…ほな、行くわ」

ついには我慢しきれなかった私の涙を翔君は拭って、その手はあっけなく離れた。それから振り向きもせずに改札口を通って人ごみの中へと消えていった。たった今さっきの出来事がまるで夢のよう。すでに見えなくなった翔君の姿をいつまでも探すことなく、私もまた空港を後にした。


次の日も、また次の日も、日が経つにつれて私の近くに翔君がいないことを実感していった。しかし翔君に対する想いは変わらないまま。時折、彼も私と同じ気持ちでいてほしいなと欲張ってみては、一日一日を大切にして前向きに事を進めていった。ただあなたが帰ってくるのを待ちながら。


140926



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