幸せのその先



ちょっと持っててくれる、と名前ちゃんが頭に被っていた無地のタオルをボクの首に掛けた。しばらく自分の鞄の中を漁って「あったあった」と家の鍵を開けると、ガッチャンと立派な造りの家相応の少し重たい音が鳴る。
この家にあがるのはこれで二度目。この前は言いそびれた「お邪魔しまァす」の一言をちゃあんと口にすると、名前ちゃんは口元に手を添えて笑った。ボクやって一応人並みの礼儀くらいは持ち合わせてるんやで。

「先にお風呂入ってもいいかな?」
「なんでボクに聞くん、ここ名前ちゃん家やろ」
「ふふ、それもそうだね」
「肩まで浸かるんやで」
「はーい」


鼻歌交じりで意気揚々と風呂場へ向かう名前ちゃんを尻目に、ふかふかのソファに膝を抱えて座って適当にテレビを見るなりして時間を潰すことにした。
大きな欠伸をひとつ、ふたつ。さっきから忙しなくチャンネルを変えてはこれといって見たい番組が見つからない。ぎゅるると鳴るお腹に目をやると、そう言えばもうとっくに晩飯の時間やわと思い出して時計を見る。そのまま我慢するように膝を抱えたままソファの上に横になった。名前ちゃん早よう風呂上がらんかな。みっつめの欠伸をすると、目を閉じて少しの間意識を手放した。




「ファ」
「あ、翔君。起きた?」

何やらええ匂いがするほうを見ると、エプロン姿の名前ちゃんが台所に立っていた。勢い良く上体を起こしてじいっと視線をやるともう出来るよ、と菜箸で料理を皿に盛り付けながらなだめられた。

「今日のメニューは生姜焼きです!」
「…わざわざ作ってくれたん」
「いやー豚肉があって良かったよ、お弁当買いに行くより早いと思ってね」

ボクが眠ってたといってもそんなに時間は経ってないはず。時間を見ると思った通り、さっき見た時から30分もかかってなかった。ほんま、よう出来た子ぉや。おおきに、と小さくお礼を呟いてイスに腰掛けると照りつく生姜焼きと卵スープ、それから野菜の上に豆腐が散らばったサラダが出てきた。

「名前ちゃんええお嫁さんなれるで」
「えっ!」
「…いただきます」
「それって翔君の…?」
「っぐ、キ、キモ!キモい!」

頬を染めてそんな事聞いてくるからとっさに白ご飯を口へとかけ込んだ。すると名前ちゃんが照れた表情のまま、くすくす笑ってボクぅの頬っぺたに手を差し伸べる。付いてるよ、とご飯粒を取られたら「ピギィ…」とボクも照れるしかなかった。こんなん誰にも見られたないわ。

ご飯一粒残さず綺麗に食べ終わると、名前ちゃんはすぐに洗い物を始めた。「あ。翔君それも取って?」言われるがままに流し台とテーブルを何回か往復した後、両手の塞がった名前ちゃんの後ろに立つ。ボクのより随分低い位置にある肩に顎を乗せるとこてん、と頬を寄せてきた。…チューしてもええかなと思ったけど、名前ちゃんがボクのほうに口元を寄せたのを見計らって、逃げるように今度は名前ちゃんの頭の上に顎を乗せる。ぐりぐりと少し動かすと痛いと言われたのですんなり止めた。

「…翔君、もしかしてやけど」
「なーにィー」
「甘えてる?」

ニタリと笑う名前ちゃんからの問いにはろくに答えんと、艶やかな髪の毛から覗くその白い耳にかぷりと噛み付いた。ひっ、と間の抜けた声を出して泡まみれのコップをシンクに落とす。

「割らへんようにね」
「あ、翔君のせいでしょ…っ」
「風呂、借りるわ」

耳元でよく聞こえるようにそう言うと、こめかみ辺りをベロリと舐めあげて素知らぬ顔で風呂場に向かった。名前ちゃんが後ろで何やら慌てふためいているのが面白くてしゃあない。名前ちゃんがボクぅを茶化すんが悪いんやよ。


風呂がやたら広い。ボディーソープはどれやろかと見渡すと石けんが目についたのでそれを使って身体を洗う。湯槽に浸かるとボクの身長でもどうにか脚が伸ばせるくらい広々としていて、ファァと思わず声を響かせるほど気持ちが良かった。

「翔君、バスタオル置いておくね」
「…おおきに」

今の声が聞こえたやろうか。少しばかり後悔していると、ドアの向こうで話しかけてきた。ご丁寧にパンツまで貸してくれるらしい。名前ちゃんの父親の未使用新品パンツ。ずっと閉まってあったようでもう要らないし使っていいよとの事で甘える事にした。


さっさと風呂から上がると、部屋着も持ち合わせていなかったし身体は十分に温まっていたので、パンツだけ穿いてそのままリビングに向かう。ボクサーパンツは多分ワンサイズ大きいが別に支障はなかった。ボクに気付いて振り向く名前ちゃんの顔が、笑顔から一転真っ赤に茹で上がってすぐ逸らされてしまった。

「そ、そうやったね、何か着るもの貸すね」
「別にこのままでええよ」
「ダメだよ風邪引くよ!」

着替えを探しに別の部屋へ移動しようとする名前ちゃんの手首を掴んで、不意打ちにキスをした。すぐ離すと、恥ずかしさのせいか潤った目でボクを見上げて唇を噛んでボクの名前をたどたどしく呼んだ。その仕草一つ一つがほんまに可愛らしくて敵わん。

「あ、翔君、今日はなんか、大胆やね」
「ほうか?いつもと変わらんで」
「そ、それなら良かった…。部屋着探してくるね」


ぱたぱたと室内スリッパを鳴らして結局逃げられてしまった。そうやってボクを意識すればええよ。しばらくすると名前ちゃんが何やらスウェット素材の真っ黒の服を持ってきてくれたので、大人しく従って着衣した。少し小さくて手首と足首が露出したが、別に着れれば何でも良い。
それから洗面所で名前ちゃんと並んで歯を磨く。鏡に映った名前ちゃんと目が合ってにこにこされた。こんなに身長差あったんや。磨き終わって同時に泡を吐き捨てると、これまた同時に掴んだコップの取り合いになった。「ハァァ、早うしいや」と結局折れて譲るのはボクで、鏡越しに勝ち誇った顔を向けてくる名前ちゃんを冷ややかな目で見るとまた一層嬉しそうやった。



「寝よっか」

まだ二回しか入ったことはないのに、名前ちゃんのベッドはとても落ち着く。枕元に置いてあるランプに手を伸ばして、互いの顔がぎりぎり認知できる程に明るさを落とした。おやすみ、と名前ちゃんが笑って目を閉じてキスをねだる。当人は多分軽く触れるだけのそれが来るとでも思っただろうが、期待を裏切るように深いキスをした。小さいその口全体を覆って、味わうように何度も甘く噛み付いた。互いの息が上がる。薄く目を開けると、さっきまでの余裕なんて全くない表情をしていた。ぎゅうっと目を瞑って、ボクの背中を衣服越しに掴む。そのまま自然と組み敷く体制になってやっと口を離せば、うっとりするような目で見上げてくる名前ちゃんに一瞬言葉を失った。

「…名前ちゃんが足りん」
「あた、しもやよ」

名前ちゃんのほうからキスをしてくると、軽く開いた歯の隙間にそのまま舌を押し入れた。名前ちゃんの甘くいやらしい吐息が耳を刺激する。もっと、もっとと思ってるのは、多分ボクだけやない。たまに口を離してはまたすぐにキスをする。すると段々と自分の身体を捻らせる名前ちゃんの手を握って指を絡ませた。

「触りたい」

柔らかくてすべすべした頬を親指の腹で撫でる。この子が大事や。せやけどこのすべすべの肌にもっと触れたいのがボクの欲やった。少し乱れた襟元から覗く鎖骨の白さにうずうずともどかしく感じて仕方ない。「いいよ」と艶やかに微笑む名前ちゃんの口にまた吸い付いて、するすると手を腰に持っていく。ボクにはついてない柔らかい腰の肉。直に触れるとそのまま背中までゆっくりと撫で、割れ物を扱うかのようにできるだけ優しく摩る。すると名前ちゃんの手がおずおずとボクの背中に回ってきた。気を良くしたボクはそのまま手を背中の上まで持っていくと、パチン、と硬い締め付けに弾かれた。


「…これ取って」

名前ちゃんが枕に顔を埋めて恥ずかしそうに身をよじる。早う見たい触りたい。我慢できずに服を捲ると名前ちゃんがわかった、と観念したように背中に手を回して下着を外した。

「服も脱いで」
「…っじゃあ翔君も脱いで」
「ファ?」
「あたしだけ、恥ずかしい…」

そんなもんなん?と聞くとそんなもんだよ、と返された。ボクのほうは別に何も戸惑うことなく脱ぐと、名前ちゃんは目を瞑ったままパジャマを脱いだ。露わになった肌と胸の膨らみに思わず喉を鳴らす。見ないでと隠されたのでキスをしたままやんわりとその邪魔な手を退けた。

「綺麗、やよ」
「は、恥ずかしい」

ぎゅうっと力を込めて抱き締める。肌の温かさとか柔らかさが直に伝わってどくどくとボクの血が沸騰するように心拍数が上がった。名前ちゃんの心臓の音も伝わる。


「イヤなら言うて」
「…いややないよ」
「…ほうか」
「翔君」
「なんや」

名前ちゃんがボクの目を見て微笑む。ああ幸せやな、そんな事呑気に思っていたら「緊張するね」と言われた。そうやな。緊張するわ。

「名前ちゃん」
「なーに?」
「……、…好き、やで」


名前ちゃんは驚いて少し涙目になりながらあたしも、と囁いた。


140811



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