水槽に映える



「あ、来た来た」

夕方5時過ぎ。日も落ちる頃なのに眩しいくらいの笑顔を向けてくる名前ちゃんは、制服を着替えて別の服を着ていた。やたらとふわふわしとるワンピース。一瞬脳裏に母さんが過ったのは気のせいやろか、近くに寄ってじろじろと見下ろすとやっぱりボクの知ってる名前ちゃんやった。…可愛い。勿論口に出して伝えるつもりはないが、心の中で何度もそう思った。
正直泳ぐ魚なんか興味ないし、人の多い所なんか行きたくない。せやけど肌寒くなって来た夕方の公園で名前ちゃんを一人待たせるのはどうかと思って、結局名前ちゃんの予言どおりにここに来てしもうた。してやったり顔の名前ちゃんがほんまに腹立たしいわ。

「魚見たらすぐ帰るからな」
「えーイルカは?」
「…イルカみたらすぐ帰るで」
「あとペンギンも見たい!」
「ハアア、もう好きにせぇ」

観念して大きなため息をつけば、はしゃいでボクのほうを見ながら後ろ歩きし始める。そのだらしない顔した名前ちゃんの手首をぐいっと引っ張ると、簡単に引き寄せる事が出来た。するとすぐ横をすいません、と気の弱そうな人が自転車で通り過ぎて行って、名前ちゃんも慌てて謝った。

「危ないやろ、ちゃんと前向き」
「…ごめんなさい」

掴んだ手首からするすると下に滑らせてその小さい手を握った。行くで、と声を掛けて名前ちゃんを見るとびっくりしたような、照れたような変な顔をしていた。手繋いだくらいで照れるなんて今更すぎるわ。そう思っていると、今度は名前ちゃんが繋いだボクぅの指の隙間にその細い指を絡めてきた。それはまるで小馬鹿にしたボクの心を読んで仕返してきたような、そんなやり口。まんまと引っ掛かって妙に気恥ずかしくなったのはボクのほうやった。…手、繋いどるだけやのにな。

お目当ての場所に着くとさすがにちらほらと人が居たが、想像していたよりは少なかった。期間限定で今は19時まで開館しているらしい。興奮しきった名前ちゃんは忙しなくボクの手を引くと、入場券を買ってそそくさと館内へと入っては早うおいでとボクを手招きする。…この子には首輪つけとかんといつか迷子なりそうや。

追いついたかと思えばすぐに手を引かれ、この水族館を知り尽くしているかのように迷わず左へ右へと連れて行かれた。

「見て!チンアナゴ!」
「……なんや卑猥な名前やな」

そう言うと腰ら辺をしばかれた。水槽を見て可愛い可愛いとはしゃぐ名前ちゃん。こんなんのどこが可愛いんかワカラン。細長くて目は黒くて大きくてキモいやんけ。そう言うと上目にボクを見上げてきて不覚にも胸が高鳴った。

「へへ、なんか翔君みたい!」
「名前ちゃん、ボクぅに失礼やで」

こんな奴と一緒にせんといてくれる。口をへの字に曲げたまま目を横にやると、チンアナゴ:ウナギ目アナゴ科の文字が見えてその下につらつらと書かれた説明に何となく目を通していると、名前ちゃんに「食べちゃだめだよ」と言われた。……、食べへんわ。

少し移動すると大きな水槽に熱帯魚がたくさん光っているのに目が行った。これは少しだけ、綺麗やなと思った。名前ちゃんは今までボクの手を握っていたのを振りほどいて、両手で水槽に触れる。綺麗、と呟くその横顔は水面の光に照らされて思わず見惚れた。

「綺麗」
「…せやね」
「?翔君ちゃんと見てる?」
「見てるで」

疑う名前ちゃんを騙すように、一瞬水槽に目をやる。するとそれを見かねてボクから目を逸らす名前ちゃんに視線を戻すと、しばらくすればまたボクの視線に気付く。少し照れて「あ、翔君」と困ったような声で呼ばれては次行くでと遮るように手を引っ張った。

同じ階にある水槽をある程度見終わると、そろそろイルカショーの時間だと名前ちゃんはまた興奮してボクの先をせかせかと歩き始める。深海を思わせる暗めの照明の中、長い長いエスカレーターに乗って地上へと戻る。ボクの二つ上の段に登っていた名前ちゃんの名前を呼ぶと、笑顔で振り向いてくれた。振り向きざまに触れるだけキスをするとちゅ、と可愛らしい音が辺りに響いて名前ちゃんを辱めるには十分やったらしい。ニタリと笑えば「意外と大胆なんですね」とキモい敬語を使われた。そんなんちゃうわ。その照れたカオが見たいだけや。

日もようやく落ちた頃、この日最後のショーを一番後ろの席で見ることにした。ハキハキした声がボクの耳を劈く。次々と飛び交うイルカに、横でいちいち反応する名前ちゃん。拍手!と係員が手を叩くと、名前ちゃんも一緒になって拍手した。アホらし、と冷めた目で見ると「ほら翔君も拍手!」ときらきらした目を向けて強制してきたので、仕方なしにやる気のない拍手を送った。ほんま、何してるんやろボク。

「カイくんに魚をあげてみたい人ー!」

人前に出てわざわざエサやる奴なんかおらんやろ、なぁ名前ちゃんと横に目をやると、高々と手を挙げていた。それはもうやりたいです、と言わんばかりに。ちょ、待ちや。ボクの声も虚しく名前ちゃんのその熱意が伝わったのか、係員に呼び出されてそそくさと離れていった。一人寂しく見送るボクは何となく、嫌な予感がした。


「カイくんも可愛いお姉さんに魚をもらって嬉しそうです!協力してくれたお姉さんに拍手!」

係員と一緒に横におったイルカも盛大に拍手した。会場に何人かいた客も一緒に拍手してめでたしめでたしかと思いきや、バシャバシャと跳ねる水飛沫が勢いを増して、ものの見事に名前ちゃんにすごい量が掛かってしまった。マイクを外した係員がすぐに駆け寄る。頭から腰辺りにかけてびっしょりとずぶ濡れになってしまった名前ちゃんは、へらへらと笑顔で、大丈夫です、と口を動かしているように見えた。


「どうするぅん、びしょ濡れやん」
「ふふ、カイくんに掛けられちゃった」
「風邪引くで」
「…大丈夫だよ」

館長から借りた数枚のタオルでくしゃくしゃと髪の毛を拭きながら、にっこりと笑った。こんなにびしょ濡れでは、タクシーにもきっと乗車拒否されてしまうだろう。…ここからやと名前ちゃんの家のほうが近いな。仕方ないから歩いて帰るか。

「今日、家誰かおるん」
「…ううん、親はずっと海外出張だよ」

そう言えば名前ちゃんの家には両親がおった事がない。あんな広い家に一人は贅沢すぎるやろ。濡れた衣服がぴっとりと肌に引っ付いて、日も暮れた事やしさすがに寒そうやった。着ていた黒いパーカーを乱暴に掛けてやると困ったように見上げてきた。

「いいの?」
「風邪引かれるよりよっぽどマシや」
「…ありがとう」
「あと今日家泊まってくわ」

そう言うと名前ちゃんがあまりに喜ぶもんやから、つられて笑ってしまいそうやった。


140806



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