第7話

私は自室のベッドの上に横たわったまま、ちっとも落ち着かない様子で石垣さんから来た一通のメールを何度も読み返した。…分からない。彼はどういったつもりでこんな文を送ったのだろうか。


「今度、飲み行こな」

本文の上に「オレや」と書かれた件名を見て思わず声を出して笑ってしまった。あらかじめ石垣さんのメールアドレスを登録しておいたから良かったものの、そうでなければただの怪しいメールである。
それよりもこの内容について小一時間ずっと悩んでいるのだが、一向に彼の真意が掴めない。私の知っている彼ならばこれはきっと単なる話題提供。皆で仲良く飲みに行けたらええな、くらいの気持ちなんだろう。

「なんて…返事しようかな」

たった一通のメール、それだけなのにスマートフォンを両手で持って両足をばたつかせる程度には私の気分は上がっていた。心地よく脈打つ心臓。これでやっと、石垣さんに対するこの想いは単なる尊敬ではないことを自覚した。また会いたい、話したい、よく思われたい。頭を抱えると彼に対する色んな欲が次々と出てくる。ああ、私は石垣さんに恋をしているんだ。まだ出会って間もないけれどもっと彼のことが知りたくて、もっと私の事を知ってほしいと思った。石垣さんと初めて会ったあの時から彼に惹かれていたとしたら、この気持ちに気付くのは時間の問題だったのかもしれない。

メール画面には「ぜひ、二人で行きたいです」と文字を一度打ち込んでみてはすぐに消してしまった。これではあからさま過ぎる。まずは自然に返すべきだと考えて「ぜひ行きましょう、楽しみにしています」と文を変えて送信ボタンを押した。うん、実に自然でいい返しだと思う。ようやく落ち着いてベッドに潜り込み部屋の電気を消す。
文面の最後にハテナを付けておけば良かったと今更になって後悔をしてももう遅かった。…そうすれば、まだメールが続く可能性は十分にあったのに。



―土曜日の朝。カーテンの隙間から射し込む太陽の光を浴びてどうにか午前中のうちに目を覚ました私は、冷蔵庫の中にあったミネラルウォーターを勢いよく流し込んだ。喉から胃にかけて流れる感覚が気持ちいい。ベッドサイドに置いたままのスマートフォンに触れてメールが来ていないかをチェックすると…一件。ハッとして急いで開けばそれは登録した覚えのないメルマガで、酷くがっかりしてメール画面を閉じた。

小腹が空いたので何か作ろうかと台所に立ってみたものの、冷蔵庫の中には大した食材もない。仕方なく近くのスーパーに行くことにして顔を洗い歯を磨いて手短に支度を済ませた。昼間のこの時間なら主婦ばかりで知った人には会わないだろう。そう思って洒落っ気のないラフな格好のまま家を出たことを後でとても後悔した。

「…あ」
「!つ、辻さん…こんにちは」
「こんにちは」

玄関を出て鍵を閉めていると、何やら少し離れた場所から聞き覚えのある声。角部屋である私の301号室の隣のそのまた隣から、辻さんともう一人見たことのある男の人が出てきたところにばったりと出会してしまった。まったく、こんなにも奇跡に近いことがあるものだろうか。

「同じアパートに住んでいたんですね」
「すごいな、全然知らんやったわ」
「……」

横で男の人がこっそりと辻さんの脇腹を肘でつついて誰や、と耳打ちをしていた。この少し肉付きの良くてきれいな髪質をした人とどこかで会った事がある気がするが、なかなか思い出せずにいた。

「苗字さんや。ほら…お前もいてたやろ、会社で石やんと話してた時」
「…ああ!あの時のか」
「あっはい!苗字です…すいません、こんな格好で」
「い、井原や。別にかまへんで」
「そうや、こんな奴に気ぃ遣わんでええよ」
「…辻…お前なぁ」

昨日は石垣さんも合わせて三人で居酒屋に飲みに行った後、辻さんの家に移動して部屋でも飲んでいたらしい。真っ先に寝てしまったのは井原さんで、朝起きるともうすでに帰っていたのは石垣さん。今この場に石垣さんがいなくて本当に良かった。すっぴんにこのラフな格好を見られた日には恥ずかしさとショックで寝込んでしまいそうだ。
どこ行くん、と辻さんに聞かれたのでスーパーにと答えると一緒に足を進めながら話を続けた。昨夜はすぐ近くに石垣さんがいて、そんな彼とメールのやり取りをしていたと考えるだけで胸の奥がきゅんとした。やり取りというより私が返信をしただけだけれど。すると、井原さんが私のほうを見て「なぁ」と声を掛けてきたのではいと返事をした。

「い…石やんの事が好きなんか」

急に真剣な顔をしてそんな事を聞いてくるものだから私は一歩下がって距離をとった。辻さんがそんな井原さんを見て横でため息をついている。

「すまんな苗字さん、こいつ童貞やねん」
「ど…?!」
「ちょ、誰が童貞や!やかましいわ!」
「そんな無神経なこと聞くんは童貞のすることや」
「え、オレいつ無神経やった?」

辻さんに詰め寄る井原さんを見て「平気ですよ」と笑って言った。それから話題を逸らそうとして二人はどこに行かれるんですかと聞くと、井原さんはその会話に見事に流れてくれて何とか話題を振り切った。家に帰るついでにコンビニにタバコを買いに行くらしい。
私はウソをつくのが昔から苦手だから、今は深く突っ込まれる前に話を逸らすのが得策だと思った。私自身がこの恋心に気付いたのもついさっきなのに、ここで他の人にペラペラと話す事は賢い選択ではない。頭の中ではそんなことを思いながら、私は井原さんと何故かタバコの話をしていた。


「じゃあ私はここで失礼します」
「おお、お疲れ」

コンビニに着くとそそくさと入っていく井原さん。ところが辻さんは私に一歩近づくと少し声のトーンを落として「頑張ってな」と囁いて、小走りでコンビニに入っていった。…さっきの話を逸した事で勘づかれたのか、はたまた昨日の飲みの場で石垣さんから何かを聞き出したのか。その真意は分からないが心強い味方ができたのは間違いなさそうだ。


141215


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