第6話

「―以上です」

手元の資料を握り締めたまま、ここ一ヶ月の努力を全て出し切った。さすがに強面揃いの上司を前にしては何度か言葉を詰まらせてしまったが、発表の段取りはなかなかスムーズに出来たと思う。それから核心をつくような鋭い質問をいくつか投げかけられたが全て綾ちゃんがはっきりと受け答えしてくれた。気難しい表情をしていた上司も最後には目尻を下げて「なかなか良くまとめたね」と称賛の言葉をかけてくれた。その一言に、私たちはお互い目を合わせて微笑みあった。



「お…終わった……」
「お疲れ。週末だし飲みにでも行く?」
「いいね!行こう!私ちょっと前にさ、気になるお店見つけたんだけど」

使い慣らしたスマートフォンを片手に、ブックマークしておいたページを開いて綾ちゃんに見せると彼女も「あ、ここ私も知ってる」と興味ありげに話に食いついてきた。内観もおしゃれすぎず、料理の値段もリーズナブルで感じの良いお店。早くもそこに決まれば電話で予約を取っておくことにした。

「じゃあ…スーツ着替えたいから一旦帰るね」

綾ちゃんはそう言うといつものように手早く身支度をして、一足先に会社をあとにした。ジャケットを右腕に掛けて、忙しく腕時計に目をやるその姿がなんともキャリアウーマンのようで目を惹かれた。
週末といえど今日で一ヶ月の研修が終わったのでいつもより早めに切り上げることは出来るのだが、自分のデスク周りがひどく散らかっているのを見て見ぬふりは出来なかった。ここ最近の努力の軌跡といえば聞こえはいいが、明日からの作業を考えると今日のうちに片付けておいたほうがいい。小さく一つため息をついて隣の綾ちゃんのデスクに目をやると、流石にきれいに整頓されており、さっきよりも深いため息を漏らした。

渋々デスクの上に積み重なった資料の山を一つ一つ片していく。小さい頃からいつもこうだ、こまめに整理整頓をしながら作業をこなせばいいものの、気付いた時には机の上はごちゃごちゃと物で溢れては母に叱られていた。自分の部屋は割ときれいに掃除するのだが、机の上だけはいつも汚いままという嫌な習慣は、大人になってからもこの体に実によく染み付いている。

ようやく要らない資料を一箇所にまとめたところで、椅子に深く腰掛けた。思ったよりも手間がかかってしまい一息ついていると、ふとデスクの上に置いたままのスマートフォンに意識がいった。…そういえば、石垣さんに連絡先を聞いたままメールの一通もよこしていない。慌ててスマートフォンを手に取ると、何と送ればいいのだろうと数秒頭を抱えてはそれを元の位置に戻す。…いや、でもやはり何か一言送ったほうがいいだろうか。再びそれを手に取って画面を睨みつけてみても、妙に優柔不断な私は一向に決断出来ずにいた。


「…はは、中学生じゃあるまいし」

異性の先輩にメールを送るだけでこんなにも躊躇していては先が思いやられる。私は自嘲の笑みをこぼして早急にメールの本文を打ち込んで送信した。最後にほんの少しだけ間があったことは自分の心の中だけに留めておこう。
スマートフォンを傍に置いてデスク周りの片付けを再開した。その間ちらちらと返信を気にして目を配らせていたのは、完全に無意識だった。

こんなところだろうか。納得のいく程度に片付けが終わると大きくあくびをしながら両手を広げて伸びをしていた時だった。コツコツとガラス張りのドアが叩かれる音がしたのでそちらを向くと、爽やかな笑顔を浮かべた石垣さんが手を挙げていた。ゆるゆるに気を緩めたその瞬間をばっちりと見られてしまった。彼の表情とは裏腹に、私は顔を両手で覆い隠してひどく落ち込んだ。


「どうしたんや苗字さん!具合が悪いんか!」
「…いえ、単なる自己嫌悪です…」

私以外に人がいない事を確認すると、石垣さんは心配して勢いよく事務室に入ってきた。心配そうに眉を垂れ下げて私の顔を窺ってくる彼に良心が痛んだので、冗談ですと返せばその表情はすぐに明るくなった。まるで大型犬みたいだ…なんて、とても口にしては言えないけれど。

「研修、今日で終わったんやろ?疲れてるんやないやろか思って見に来てん」

そう言ってはい、と渡されたのは温かい微糖の缶コーヒー。ブラックのほうが良かったかと聞いてくる石垣さんは優しさの塊だ。十分ですと張り切って答えると、石垣さんは嬉しそうに白い歯を見せた。

「お疲れさん」

くしゃっと笑ってそう言ってくれた。…眩しくて格好よくて、思わずお礼を言うのが遅れてしまった。火照る顔を隠すように慌ててコーヒーに口付けて、ごくりごくりと音を立てて喉の奥へと流し込んだ。

「…、メール読んでくれましたか?」
「メール?」

私の目線よりも少し高い位置にあるその整った目を見上げると、心当たりがないようでじっと見つめ返されてしまった。気恥ずかしくてすぐに目を逸らしていると、石垣さんはごそごそとジャケットのポケットに手を突っ込んでスマートフォンを取り出せば「あ!来てる!」と声を上げた。

「すまん、マナーにしてて気付かんやったわ」
「いえいえ!大した用事はなかったので…平気ですよ」

申し訳なさそうに頭の後ろらへんを掻く。石垣さんと出会ってから一ヶ月、早くも彼の癖も見つけてしまった。その事に何だか気を良くした私は気付けば自然に笑っていた。

「まだ帰らへんのか?」
「あ、もう帰りますよ!ようやく片付いたので。…石垣さんは今休憩ですか?」
「おお、オレももうすぐしたら上がれそうやけどな。辻達と飲み行く約束してるから早う切り上げなあかんのや」
「あ!私も今日飲みに出るんです、綾ちゃんと!」

飲みの席を一緒にするわけでもないのに、思わず感情が高ぶった。石垣さんはそんな私を見て「そら楽しみやなぁ」と柔らかく受け答えをしてくれた。彼は本当に聞き上手で、それから、そういえば…なんて次から次へと言葉を繋いでは今なら何でも話してしまいそうだった。

しかし少し急ぎの石垣さんをこれ以上引き止めても悪いと思い、一緒に事務所を出ることにした。コーヒー、ごちそうさまでしたと頭を下げると「それくらいええよ」と笑ってくれた。




「っごめん、遅くなって!」
「いや、いいよ私も今来たとこだから。入ろっか」

当日にでも予約できた店とはいえ、早いうちから席は満席だった。期待以上におしゃれで料理の種類もたくさんあり、さらに胸を躍らせた。綾ちゃんは生ビール、私はカクテルを頼むと「お疲れ様」と二人で初めての乾杯をした。

「…で、その後の進展は?」
「ん?何の話?」
「あのねぇ…石垣さんに決まってるでしょ」

取り分けた豆腐サラダを口に運んでいる途中に綾ちゃんに大きなため息をつかれた。進展と言われても…私はただ仲良くしているだけで、より近しい先輩後輩として関係を築けられたらそれでいいと思っている。綾ちゃんには何度もそう返して悪いけれど、本音だから仕方ない。饒舌にそう伝えると、彼女は「あんたって意外と頑固よね」と面白くなさそうにしていた。

「…じゃあこうしよ。もし石垣さんと連絡を取ることがあって、その時に少しでも心が踊ったら」
「う、うん」
「それは恋だと認めなさい」

箸を止めてそう言い放った綾ちゃんはきりっと顔を引き締めた。…なんで綾ちゃんはこんなにも楽しんでいるんだろう。前々から思っていた疑問はまだ晴れないまま、私ははっきりしない返事を返して一杯めのカクテルを飲み干した。

…綾ちゃんはお酒が強い。小一時間でその事実を知った。お酒が進むにつれて会話も弾む一方、頭がぼうっとしてきたのでこれ以上は頼むまいと店員さんにウーロン茶を注文すると彼女はすかさず焼酎を追加で注文していた。
綾ちゃんがトイレで席を外している間、何気なく鞄から取り出したスマートフォンを開いて見ると、見に覚えのないメッセージが一件届いていた。親だろうか。今のうちに目を通しておこうかとお酒のせいで少し重たくなった瞼を開いてチェックする。


「綾ちゃん」
「ああ、さっきの話の続きだけどさぁ…部長が」
「これは恋かもしれない」

いつの間にか戻ってきていた綾ちゃんは、それまで喋り続けていた口をぴたりと止めた。


141202


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