第5話

「いや、これには深い事情があってね?」
「…と言うと」

綾ちゃんはキイッと音を鳴らしながら椅子を回転させて、体ごと私のほうに向けた。デスクに肘をついて私の言い分を聞こうと従順に待ってくれている。ついさっき起きた出来事を細かく話せば所々眉をひそめながら「ふぅん」とまずは素っ気なく応答した。

「だったら石垣さんに連絡先を聞くのも、なんて事ないでしょ」
「うん、そのつもりなんだけどさ…何せ部課がちがうと会う機会が少ないし」

言い訳に聞こえるがこれは事実だ。営業で外回りが主な石垣さんとはお昼時くらいしか会う機会はない。そのお昼すら事務室にこもっていては当然会うことなんてないのだ。それでも綾ちゃんは早く連絡先を聞けと執拗に迫ってくるので、大人しく首を縦に振るしかなかった。

そういえば辻さんに連絡先を聞いたことだし、メールの一通でも送っておいたほうがいいだろうか。件名に私の名前をフルネームで、本文には当たり障りのない挨拶文を打ち込むと、一度目で読み返して惜しげもなく送信ボタンを押した。そのままデスクの上にスマートフォンを置くと、すぐに着信音が鳴って画面に本文が表示された。
「了解。よろしく」…たったそれだけの文章で辻さんらしさが伝わってくる。その淡白な内容に返信をしたほうがいいのかと迷い、綾ちゃんに聞いてみれば答えはノーだったので、その意見を鵜呑みにしたまま彼女との他の会話に移ってしまった。


18時過ぎ。窓の外のきれいに染まった夕日を眺めていると綾ちゃんが帰る支度を始めたので、私も冷えてしまったコーヒーを飲み干した。プレゼン発表の準備も着々と進み、前日にあたふたする心配はなさそうだ。綾ちゃんにお礼を言うと謙遜の笑顔を向けられた。
ロビーを出て手を振り彼女と別れる。ふう、と疲労のため息をついてすっかり凝った肩を二、三回回していると、向こう側から小走りで駆け寄ってくる男の人に目がいった。…オールバックの、いかにも感じが良さそうな青年。どう見ても石垣さんだ。「石垣さん!」さっきの疲労がまるでウソだったかのように私は声を張り上げて名を呼んだ。

「おお、もう上がりか?お疲れさん」
「お疲れ様です。すいません、お急ぎでしたか?」
「あ…ああ、いやオレももう上がりなんやけど…車のカギ、忘れてしもてな」

別に急ぎとちがうで。そう言って石垣さんは後頭部を掻いて恥ずかしそうに笑った。仕事を終えた途端に気が緩んでしまったのだろうか。オールバックから少し垂れた前髪を見てわずかな疲労を察した私は「お疲れみたいですね」と微笑んだ。

今日も日中外回りですか。石垣さんの車種は何ですか。相手に興味を持つと自然と出てくる質問の数々。彼は快く答えてくれるばかりか、私にも似たような質問で返してくれて楽しい会話が続く。それでもどこか緊張していた私は自身の腕を数回摩ってみたり、両手を後ろで組んだりとどうにも落ち着かない様子が仕草に出てしまう。目の前にいるだけで凛々しく見える石垣さんからはやはり大人の余裕が感じられて、その雰囲気に飲み込まれそうで仕方ない。

そうこうしているうちに「ほな」と石垣さんが手を挙げてロビーのほうへ向かいそうだったので、私は咄嗟に大事な事を思い出して彼を再び呼び止めた。せっかく偶然会えたのだから、この機会を逃すわけにはいくまい。連絡先を…連絡先を聞かなければ。しかし呼び止めたは良いものの、なかなか勇気を持って言葉に出来ずにしばらく沈黙が流れた。

「あの、良かったら、でいいんですけど」
「ん?なんや言うてみい」
「…連絡先を、教えて…ください」

段々と声が萎んでいく。辻さんにも同じようにして頼み込んだのに、石垣さんを前にするとこんなにも緊張するのは何故だろう。私のこのただならぬ緊張感を知ってか知らずか彼は「なんやそんな事か」と笑って胸元の内ポケットからスマートフォンを取り出した。

「オレ…そんな詳しないんやけど、どうすればええんや?」

ホーム画面を開いたまま、困った顔で私のほうを見た。営業マンだから連絡先の交換は日常茶飯事だろうからスマートフォンの操作にもてっきり詳しいのかと思いきや、どうやら仕事用のものと分けているらしい。それもそうか。

「このQRコード、読み込めますか?」
「…おお、これか!」

私のスマートフォンを近づけると上手く読み込めずに何度かエラーが起こった。おかしいなあ。そう呟いて一歩、距離を縮めてくる石垣さんと肩が触れた。…意外に近い。整髪料か香水か、爽やかな香りがかすかに鼻をくすぐった。そのまま微動だにせずにスマートフォンを握りしめていると、通信が上手くいった様子で石垣さんが歓喜の声をあげる。

「あ…ありがとうございます」
「構へんよ、オレも聞こう思ってたし」

ほなな、お疲れさん。石垣さんは今度こそそう言い捨てて事務所に戻っていった。…彼が最後に言った言葉。思わず胸が熱くなって変な期待をしたが、きっとそこに大きな意味はない。石垣さんに出会ってから、彼にもらう一言一言に私は気分が上がるばかり。自然に上がる口角に気付けば、もう少し落ち着かないものかと自分に喝を入れた。


141119


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