第2話

研修生は一つの大部屋に閉じ込まれているので他の部課の人に会う事は少ない。あの一件以来から、私は石垣さんの姿を見ていなかった。この間まで石垣さんへの謝罪の気持ちでいっぱいだったのに、いざ期間を空けて会わずにいるといつの間にかそんな感情は薄れてしまっていた。
仮に社内でばったり出会したとしても、石垣さんは私の事なんて知らないだろうし覚えてすらないだろうけれど。

「…名前、プレゼン発表どうする?」
「あーどうしよう!そろそろ本腰で取り組まないといけないよね」

口ばかり焦っていても、頭の中は空っぽだった。そんな私を見かねた綾ちゃんが「いくつか案を考えてきたんだけど」と一枚の用紙をデスクの上に放り出して、殴り書きされた案を一つ一つ上から順に意見を述べていく。感心して黙って聞いていると、ねえ聞いてる?なんて怪しんだ目で見られてしまった。

「聞いてる聞いてる!すごいなぁ、さすが綾ちゃん」
「感心してないで、さっさと決めちゃおうよ」

綾ちゃんといると妹にでもなった気分だ。彼女が考えてきてくれた案に私の意見を述べて、どうにか上手い具合にまとめていく。黙々と作業を続けていくうちにああそうそう、と綾ちゃんが話題を切り出してきた。

「この間、あの先輩見たよ。…オールバックの」
「えっ石垣さん?」
「…何、もう知り合ってるんだ」
「ううん。私が一方的に知っているだけ」

首を横に振ると綾ちゃんは少し面白くなさそうな顔をした。それから何故私が一方的に知っているのかと問われたので一から十まで答えると、彼女はデスクに肘をついて相槌を打ちながら聞いてくれた。
石垣さんが同僚の人(…辻さんだっけ)と話しているところを、私がジロジロと見ていたのに気づかれてしまい、終いには口パクで石垣さんに謝られてしまった話。綾ちゃんは「こわい顔して睨みつけてたんじゃないの」と意地悪な笑みを浮かべた。そ…んな事はない、はず。わぁ格好いいな素敵だなってまるで宙に浮かぶような気持ちで見ていたから、眉間にシワを寄せて見てたなんて…そんな事はないと願いたい。綾ちゃんは続けて「じゃあ思いっきり見開いてたかもね」とケタケタ笑っていた。

「…あ、噂をすれば」

あまりにも自然な流れと薄いリアクションだったので、何の疑いもなく綾ちゃんの視線の先を追った。…そこに石垣さんがいることは予想外である。私が一人でいる時は、全く会えなかったというのに。会う、というよりは勝手にこちらから見守っているだけなのだけれど、透明のガラス張りの向こうに石垣さんはいた。今日は群青色のネクタイがとても決まっている。そう口に出せば、綾ちゃんが横で「アンタほんと視力良いわね」と呆れていた。

「行ってきなよ。この間の事、謝ってきたら」
「っえ?!いや、まさか…二週間も前のそんな小さい事なんて、きっと向こうは覚えてないよ」
「人ってさ、印象がよくないほうが覚えていたりするじゃん」
「…覚えてなかったらいいな」

ほらほらと綾ちゃんの後押しに少々戸惑った。なんと言って話しかければいいのだろう。この間はどうもすいませんでした、といきなり謝罪したところで、私の事を覚えていなかったら。どうにか分かってもらえるように説明したとして、それでもピンときてもらえなかったら。どうしようもない不安ばかりが募る。対して綾ちゃんは他人事のように「なるようになるよ」と白い歯を見せて楽しそうに笑った。

せめてものアドバイス。何かくださいなと彼女にねだると、一緒にご飯行きましょうって誘ってみたら?と完全に違う方向に逸れた答えが返ってきた。…そんなナンパじみた話し方があるものか。もう彼女の言うことに耳はかたむけまいと、私は決心をして席を立った。


石垣さんは辻さんともう一人、同じく同僚らしき人の三人で自販機の前で休憩をとっていた。同僚らしき人だけがベンチに座り、石垣さんは壁にもたれ掛かって楽しそうに談笑している。仕事の話か、あるいはプライベートの話か。とにかく割り込みにくいことこの上ない。私は自販機に滑るように歩み寄って欲しくもなかった炭酸飲料を一本買って、出てきたジュース缶を手にとり唾を飲み込んで石垣さんを見る。あらためて近くで見ると彼はさらに輝いて見えた。

「あ…あの、石垣さん!」
「ん?」

気付けば声に出していて、彼は私の呼びかけに反応した。…しまった。あろうことか、ちゃんとした面識がないのに本来知るはずもない名前で呼んでしまった。石垣さんは笑顔のまま口をつぐむって、はて誰だろうと言いたげな表情で私を見ている。穴があったら入りたい、まさにそんな状況だった。
さあ、いくつか考えていた話の切り出し方も緊張で飛んでしまいジュース缶を握った両手を落ち着きなく遊ばせていると、石垣さんは「あ!」と何やら思い出したような声を出した。

「もしかして、あの時の事務の子か?」
「えっ、あの…はい、そうです!」
「いやぁ、あの時はすまんやったなぁ。騒がしかったやろ」

首の後ろに手をあてて申し訳なさそうに謝ってきた。まさか覚えていてくれたなんて嬉しくて少し舞い上がったが、綾ちゃんの「印象はよくないほうが覚えている」の言葉をすぐに思い出して何だか複雑な気持ちになった。

「実はそうじゃなかったんです、あの時はそんな風に見ていたつもりじゃなくて…」

そんな風じゃなくて、何と答えよう。会話の内容が気になったから?それでは気味が悪い。あなたが素敵だったから?いやいやまるで告白じゃないか。ない知恵を振り絞って懸命に言葉を選んでいると、その間石垣さんがじいっと私を優しく見つめていることに気が付いた。…そんなに見つめられては心臓が痛い。思考回路はショート寸前、こんな時に限ってふと綾ちゃんの言っていた事をそのまま口にしてしまうなんて。

「いっ…一緒にご飯が食べたくて!」

ついに私はただのナンパ女に成り下がってしまった。血の気が引く感覚、大失態である。私は熱くなった顔の前で両手を振りかざすと同時に持っていたジュース缶も振ってしまった。だめだ、石垣さんの顔がまともに見られない。最後に見た彼の表情はとても驚いてさすがに引いたかと思ったが、次の瞬間にはハハハとなんとも爽やかな笑い声を上げた。

「ええよー今度行こうか、みんなで」
「は、はぁ?オレらも?」
「しゃあないなぁ…」

冗談なのか本気なのかその真意はわからないが、大人の対応に私は再び感謝した。あの、ありがとうございますと声を振り絞ってそう返し石垣さんの顔を見れば、ぶれない眩しい笑顔を浮かべて「ん」と小さく頷いた。声に頭を撫でられるようなそんな感覚。


「ほなな、苗字さん」

そう言って、私のほうを向きながら自販機のそばを離れていった。なぜ私の名前を?なんて少し浮ついた期待を寄せたが、自分の胸元に宙ぶらりんになっている名札に目を向けると、ああなるほどと自己解決に落ち着いた。

あらためて石垣さんの人の良さを実感してしばらくぼうっと突っ立っていた。彼の笑顔を思い出し思わず顔が綻ぶ。ハッと我に返って動揺したまま持っていたジュース缶のフタを開ければ、勢いよく炭酸の泡が吹き出した。


141105


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