第12話

 デートと呼んでいいのかもわからない(いや、きっと呼べないだろう)石垣さんと二人きりで食事をしたあの日から、一度も顔を合わせることなく早くも三週間が経とうとしていた。石垣さんに会いたい、会ってあの笑顔に癒されたいと思うほど、心身ともに疲労を感じていた。

 社内のカレンダーに目を向けると7月。今年ももう半分が過ぎてしまった。これといった明確な目標もないまま毎日を過ごしているだけなのに、こうも月日が経つのを早く感じてしまうものだろうか。大人ってやだな。――実際、ここ三ヶ月は研修を含め毎日新しい仕事内容を覚える日々だったので、気持ちに余裕がなかったというのは事実である。その研修も今日明日でようやく一区切りつくのだ。


「……慰労会?」
「そう。部署によっては来週末に研修が終わるらしくて、この時期は区切りがいいみたいなんだよね。それで毎年先輩方が企画してくれるらしいの。まぁ飲み会よ飲み会」
「へぇー。綾ちゃんは参加するの?」
「うん、幹事だからね。新入社員の。先輩に頼まれちゃった」
「すっごい!じゃあ私も行かないわけにはいかないね」
「当たり前じゃん。あんたは最初から名簿に書いてるから」
「まさかの拒否権なし!」

 ひっと小さく悲鳴を上げるふりをすると、綾ちゃんは私に名簿を突きつけた。わ、結構参加するんだ。入社してすぐの歓迎会では社長や役員も合わせた大規模な飲み会だったが、今回は上の人は直属の上司だけといえど、かなりの人数が集まるみたいだ。と、いうことはもしかして……

「そうそう、石垣さん達も揃って参加するみたいよ」
「……私、まだ何も言ってないけど?」
「顔に書いてある」

 綾ちゃんはそう言うといたずらに笑って私の髪をクシャッと撫で回した。


***** ***** *****


「席はこちらで割り振らせていただきました。ご確認の上ご着席くださーい。19時開始です」

 新入社員を取りまとめる綾ちゃんに合わせて早めに会場に着いたのだが、すぐに若手らしき社員が次から次へと到着した。それぞれ先輩よりも早く着いておこうという考えだろう。皆、研修や今週の業務からの解放もありどこか浮き出しだっている。会場はとあるビルの屋上。この季節にぴったりのビアガーデンだ。どうやら営業部はスーツ、事務系は私服と格好はさまざまで、初めて見る顔も少なくなかった。

 最初は綾ちゃんの横についていたが、人が多くなるにつれ私も指定された席に着いておくことにした。私の隣には橘綾のネームプレートが置いてあった。きっと彼女が私と同じテーブルになるよう、上手いこと仕組んだのだろう。彼女を除く同じテーブルの社員は皆知らない顔だったので、私はすぐに仮面を被って挨拶をした。この大人数の中、一人も顔見知りがいないというのは辛い。心の中で綾ちゃんが早く来ることを願った。


「――それでは、乾杯!」

 上司が乾杯の音頭をとり、慰労会は盛大に始まった。よく冷えたジョッキに注がれた生ビールはいつもより美味しく感じた。お酒を片手に上司に挨拶回りをする流れに乗っかって、私もすぐにその場を離れた。お世話になっている上司だったら、辻さんや井原さんにも挨拶しに行かないと。……それに、石垣さんにも。
 そう義務的な理由をつけてみるが、本当はただ単に久しぶりに顔を見て話したいだけだった。そばに居た綾ちゃんに声を掛けると、彼女は急に私の手首を掴んで人の間を縫って進み始めた。先ほど受付をしている際に、彼らのいる席を把握しておいてくれたらしい。


「いっ石垣さん!」
「……ん?苗字さん!うわ、なんや久しぶりな気ぃするわ」

 綾ちゃんに手を引かれ、ようやく石垣さんのもとにたどり着いた。約一ヶ月ぶりの石垣さん。嬉しさのあまり声が上ずって、恥ずかしくて顔が上気する。

「お久しぶりです、お疲れ様です。辻さんも……井原さんも!」
「おう」
「なんやそのついで感は!」

 いつもの三人で仲良く談笑していた様子で、その風景に妙な安心感を覚えた。その輪の中に私と綾ちゃんを入れてもらって、皆でジョッキを合わせてもう一度乾杯をした。

「橘さん、今日は幹事お疲れさん」
「ども。想像以上に参加人数が多くて驚きました」
「……確かに今年は去年より多いな」

 石垣さんに淡白にお礼の返事をした綾ちゃんの言葉を聞いて、辻さんはあごに手を当てて目をきょろきょろと左右に動かした。

 久しぶりということもあり会話を弾ませながら進んでいくお酒。綾ちゃんはどんどん饒舌になっていき、私にもほら、と新しいお酒を勧めてきた。井原さんはいつもより上機嫌でよく笑っているし、石垣さんと辻さんは通常運転のようだ。辻さんなんてこれっぽっちも酔っている気配はない。

「石垣さん、新しい飲み物持って来ましょうか。何がいいです?」
「ええよ、オレも行くわ。苗字さんも貰い行くんやろ?着いていく」

 石垣さんの空いたグラスと自分のものを持って腰を上げると、すぐに奪われてしまった。二人並んで、忙しなくドリンクを提供している従業員のもとへ向かう。やっと二人きりだ。お酒が入っているせいか、いつもより彼の顔をじっと見つめる勇気が持てた。

「石垣さんはお酒強いんですね」
「いや、そんなことないで。……実は結構キてる」
「えっうそ!全然そんな風に見えません」
「ははは!強がってんのや。苗字さんは……」

 いきなりぐっと石垣さんの端正な顔が近付いてくる。近い、すごく近い。近くで見ると石垣さんの目は潤んでいた。なるほど、少しは酔っているのかな。真っ直ぐな視線に耐え切れず私は目を逸らして、もとの距離をとった。

「あんま変わらへんなぁ。少し顔が赤いくらいか」
「そっそうですか?私もそんなに強くないほうですけど……今日は楽しいのでいつもよりお酒が進みますね」
「おお、いっぱい飲み!潰れたらオレが負ぶって連れて帰ったるから」


 彼はそう言って白い歯を見せると、私の頭をぽんぽんと押さえた。カッと顔が熱くなる。新しく注いでもらったお酒をその場で勢いよく喉に流し込み、グラスに口をつけたまま席へと戻ることにした。……飲まなきゃ、私の心臓はもちそうにない。「ええ飲みっぷりやな」ところころ笑う石垣さんにはきっと、私の心情なんて理解されていないだろう。


「ちょっと名前、遅い!ほら、あんたの分のお酒注いであげたわよ」
「えっ、今ちょうど持ってきたところなんだけど」
「いいから。今ね、井原さんの高校時代の初恋について話してたの」
「もうええやろ!これだけ恥かいたら十分やろ!」
「私もその話聞きたいです!」
「オレも聞きたい」
「ハァ?!辻、お前今聞いとったやないかい!」

 もういやや、と井原さんは石垣さんに助けを求めたが、彼もまた聞きたいと話に乗り気になっていた。井原さんの眉毛が垂れ下がる。そのコントみたいなやり取りに終始笑いが絶えなかった。


***** ***** *****


 ……少し水飲もうかな。

 皆の輪から離れて、私は一人もとのテーブルに戻った。次第に視界が狭まりまぶたが重たくなってきたのでさすがに限界が近いのかもしれない。ただ、気持ち悪いというよりも楽しくて仕方なかった。口元を緩ませながら、そばにあったグラスを手に取り、よくわからないままその透明の液体を飲み干した。

「?これ、水じゃない」

 急にぐらつく視界に目を開けていられなくなって、私は縮こまるようにテーブルに顔を伏せた。だんだん周りの騒音がシャットアウトされていく。

「苗字さん?」
「……」
「……あかん、ほんまに潰れてもうた」


150718


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