第11話

 店内に入るや否や、簾が掛かっている半個室の席へと案内された。脱いだジャケットをハンガーに通して壁に掛けると、二人席にしては少し余裕のある幅のイスに腰を下ろした。

「オレ、運転せなあかんからお茶にするけど……苗字さんはどうする?」
「私も車なので、えっと……」

 石垣さんがテーブルの端に立ててあったメニューを私に差し出してくれたので、ソフトドリンクだけざっと目を通した。うん、ここは私もウーロン茶にしよう。石垣さんに伝えると、彼は手を挙げて店員を呼んだ。

「ウーロン茶2杯と串盛りください。あとは、せやなぁ……あっ苗字さんサラダいる?」

 勢いよく返事すると石垣さんは笑って「ならサラダもお願いします」と注文に付け加えてくれた。

「石垣さん、女子力高いですね」
「ちゃ、ちゃうて。普段は頼まへんわ!名前さんがおるから気ぃ遣うたんや」
「ふふ。ありがとうございます!」

 女子力という言葉に照れて目を伏せる石垣さんの顔は少し赤かった。それにしても紳士というか何するにしても手慣れているというか。……石垣さんほどの人だから、やはり女性の扱いにも慣れているのだろうか。ちらりと本人を見ると、今度は眉間にしわを寄せてスマートフォンの画面を睨んでいた。相変わらず機械には慣れていないらしい。間もなくウーロン茶2杯とお通しが運ばれてくると、彼は店員に礼を言いながらスマートフォンを懐にしまった。

「ではお疲れさん」
「お疲れ様です」

 ジョッキを持ってカチン、と小さく乾杯。注がれたものがビールじゃないなんてことは、今日はどうでもよかった。お茶が乾いたのどを潤す。いただきます、と一言添えてお通しを口に運ぶとこちらも美味しかった。季節の山菜のおひたしだ。

 そういえば、と先に会話を振ったのは私のほうだった。この間近所の辻さんに卵を譲ってもらった話をした。会社の先輩というよりご近所のお兄さんといったほうがしっくりくる程、最近では彼と職場で会う機会がなかった。

「へぇ、あいつ最近料理するんやな。こないだ行った時は冷蔵庫の中なんもなかったけど」
「そうなんですか?卵4つもくれましたよ。石垣さんは料理するんですか?」
「オレ?んーせえへんなぁ……朝はパンやし、夜はほとんど外食か弁当ばっかや」
「そっそれは食生活が心配ですよ」
「オレも今自分で言うてて心配になったわ」

 ハハハと眉毛を吊り下げて困ったように笑った。しかし単身の社会人男性としてはきっと珍しくない。パートナーや食事を共にする相手がいなければ、料理が趣味でない限り一人分の食事を作るのはなかなかの手間だ。女の私ですら面倒に感じてたまにサボるのだから、男の人は特にそうだろう。

「あのー、そういえばまだ聞いてませんでしたけど。……食事を作ってくれるような方って、えっといないんですか?」

 今の話の流れからするとそういった人物はいない可能性が高い。私はこの期待を確かなものにしたくて、恐る恐る聞いてみた。すると石垣さんは私の問いかけに対して、目をぱちぱちと大きく瞬かせてそれから照れ笑いを浮かべた。

「んー残念ながらおらんなぁ。おったらええんやけどな」
「そうなんですか!同じです!」

 高ぶる感情を抑えきれず聞かれてもないことまで言ってしまった。あっと自分の醜態に口を噤むと、石垣さんは意外やなぁと少し驚いた様子で言った。

「意外ですか?」
「苗字さん、明るいし人懐っこいし、男が放っておかんと思うわ」
「いいいやそっ……そんなことないですよ。みなさん放置です放置。野放しです」

 何たる殺し文句か。カッと熱くなる顔を隠すように両手を前でブンブン振ると、彼は「野放しかい」と吹き出していた。あんな台詞をさらりと言ってのける石垣さんはやはり手練れだ。違いない。

 ……じゃあ石垣さんは放っておかないでくださいよ。なんて、小悪魔要素を持ち合わせていない私にはもちろん言えるはずもなく。

 とにかく石垣さんに恋人がいないと分かれば、ここからは私のターンだ。今日は石垣さんのことをたくさん知って、そして私のことも知ってもらおう。シーザーサラダの真ん中に添えられた半熟たまごを潰すのに思わず力が入った。

「石垣さんのその人柄の良さってどこからきてるんですか?」
「ん?んんっと……ハハ、そうか?」
「はい。石垣さんのこと嫌いって人はいないと思います」
「いやぁ、一人くらいはおるんとちがうかなぁ」
「絶対おらんです!」

 言い張ると石垣さんは少し体をびくつかせた。おお……おおきに?と疑問系のお礼を言うとぽりぽりと頬を掻いていた。石垣さんのその照れた顔を見るたびに自分の口元が緩んでいないかと不安になる。

「……まず嫌いな人がそうおらんからなぁ」
「確かに、そんな感じします。だから誰からも好かれるんでしょうね!」
「そ、そうやろか?こんな褒めてくれるんは苗字さんだけやわ」
「そして謙虚」
「ほんまやって。井原とか特に貶してくるからな」
「それはきっと妬みです」
「ハハ!今度、井原に言うとこ」
「っだめです!冗談ですから!」

 慌てて前言撤回すると石垣さんは笑っていた。どうせいじるなら直接手を下したいですから。そう言うと「あいつはほんま根っからの弄られ体質やわ」とさらに笑みをこぼしていた。

 追加のメニューをいくつか注文し、どの料理も残さず食べきってしまった。お酒も入っていないし、食事だけのつもりだったのでそろそろ店を出てもいい頃合いだ。お会計を済ませようと石垣さんが店員を呼びつける。いそいそと財布を取り出すとまさかの「ええよ」と会計を拒まれたので、私はだめです!と声を張ってお札を渡した。そもそも今日誘ったのは前回のお礼を兼ねてだったので、ここは私が支払うつもりでいたのだ。頑なに出そうとしているうちに、石垣さんもさすがに折れてくれたようだった。それでも結局多めに払っていただいたので今度は私が折れて「ごちそうさまです」と頭を下げた。

「今日はありがとうございました!おかげで一人寂しい食事をせずにすみました」
「それ、オレの言うことや。今度ちゃんと奢ったる」
「いやいや!だめですよ、誘いにくくなるじゃないですか。そんなつもりじゃないんですから」
「んーそうか、悪かった!ほな、次はオレのほうから誘おかな」

 ニッとはにかむ石垣さんの表情に一瞬でやられてしまった。ああ、そんな期待をさせるようなことを言ってしまうのはずるいんじゃないか。もしかして、と良いように解釈してしまう。また次があるってことでしょう。そして石垣さんは小さな約束でも守ってくれるような人だから、きっと本当に誘ってくれるのではないだろうか。まだ今日すら終わっていないのに、次の約束が楽しみでしようがない。

「またデートしましょうね」

 そう言うと石垣さんは一瞬目を見開いたけれど、すぐに笑って「おお」と爽やかに返してくれた。ちょっぴり照れ顔の石垣さんを期待したがこれもある意味想定内だ。もう辺りはすっかり暗くなっているというのに眩しいくらいの笑顔。きゅうっと締め付けられる心臓あたりのどきどきはまだ片想いのそれで、でもいつかきっと彼の彼女になりたいと思った。


150510


back / main top / site top


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -