第9話

「で、どうだったの?デートは。何か進展はあった?」
「お蕎麦食べに行ったの!すっごく美味しかったから、今度は綾ちゃんとも行きたいな」
「うん、今度連れてって。で、進展は?」

 カフェの店員さんがコーヒーを二つ運んできてくれた。私が彼にありがとうございます、と頭を下げている間、綾ちゃんは真正面に座った私の顔を一点に見つめながら、どうもとぶっきらぼうに礼を述べた。

「迎えに来てもらって、ご飯食べて、送ってもらっただけだよ」
「ふぅん」
「ほ、本当だって!」

 綾ちゃんはコーヒーを一口すすると一瞬顔をしかめて、備え付けの小さい陶器に入ったミルクを垂らしてはスプーンで混ぜた。もう一度それを口に含むと「まぁ…そう上手くはいかないか」と言った。

 石垣さんと二人で食事に行ったことは、その日のうちに綾ちゃんに電話で話した。すると自分のことのように歓喜してくれたのが、受話器越しにでも伝わってきた。その時の私は石垣さんとデートしたことよりも、彼女の反応を嬉しく思ったのだった。

 綾ちゃんが一体何を期待していたのかは知らないけれど、彼女が少々腑に落ちていないのも頷ける。私だってもっと一緒にいたかった。どこで何をしたかったとか、そういうことではない、もっと単純なこと。ただ今はそんなワガママを言えるような間柄じゃないから、私は彼を引き止める手段を持ち合わせていなかった。……愚痴っぽくそう言うと、綾ちゃんは珍しく「そうね」と素直に頷いた。


「告白は?まだしないの?」
「こ……!そ、そこまで考えてなかった……」
「ふぅん。知らないよー手遅れになる前に、ちゃんと伝えないと」

 綾ちゃんのその言葉がグサリと胸に突き刺さる。確かに、石垣さんに恋人ができる前にちゃんと想いを伝えなければ。いくら石垣さんのことが好きだからと言えど、相手に恋人がいては話は別だ。もう相手の気持ちを無視してまで告白をしていい年でもないのだ。……と、ここまで考えて私はハッとした。


「石垣さんって……彼女いないのかな」

 私は思いついたようにそう言うと、目の前の綾ちゃんが何を今さら、とでも言いたげな顔をしていた。いや、多分今までの石垣さんを見ているといないとは思うけれど、断言はできない。綾ちゃんは「本人に聞けばいいじゃん」と言うが、今さらあらたまって聞くのは何だか気恥ずかしい。

「どうやら告白はまだまだ先みたいだね」
「えっ?」
「だって名前、石垣さんのことあまり知らないんじゃない?」
「そんなことは……」
「じゃあ彼の家族構成は?出身は?恋人の有無は?」

 勢いよく言い寄ってくるものだから、私は思わず後ずさりした。うっと言葉を詰まらすと「ほらね」と首を横に振った。

「もっと相手のことを知って、自分のことも知ってもらう!」
「自分のことも……」
「そう。そうやって仲良くなっていくんじゃないの?」
「……綾ちゃん、本当に彼氏いないの?」
「?いないけど」

 すると綾ちゃんはすぐ眉間にしわを寄せて「彼氏いない奴が何言ってんだ……とでも?」と凄んできたので、ちぎれそうなくらい首を横にふって否定した。綾ちゃんありがとう、と微笑むと「べつに。早くくっ付きなさいよ」とその頬は少し赤らんでいた。

 カフェを出て綾ちゃんと別れると、特に寄り道もせず家に向かった。今日の晩ご飯はあり合せで何か作ることにしよう。確か鶏肉と玉ねぎがあった気がする。頭の中で冷蔵庫の中を思い出しながら白線に沿って歩いた。


 家に帰り着くとすぐにテレビの電源を入れて、フロアソファで適当にくつろいだ。つい最近まで実家住まいだった私も、すっかり一人の生活に慣れてしまった。引っ越してきたばかりの頃と比べて、ダンボールも片してしまったし、家具も私好みのものを一式揃えた。新しいものばかりに囲まれて最初は心が躍っていたけれど、今となってはこの空間が当たり前になっていて、ふと一人が寂しいと感じる余裕が出来ていた。
 ……これが人肌恋しいというものだろうか。今までそんな事を感じたことのない私は、何だかそのフレーズが腑に落ちた。

 誰に聞かせるわけでもない深いため息をついて、夕飯の準備でもしようかと台所に向かった時だった。少し地味なエプロンをして、冷蔵庫を開けてから食材がひとつ足りないことに気付いた。……困った。今からまた買出しのためだけに服を着替えるのは面倒だ。そこで私はちょっとした賭けに出ることにした。エプロンをしたまま、テーブルに並べてあった2つのりんごのうち1つを持って、小走りで家を出た。


「……卵?あるけど」
「本当ですか!分けてもらってもいいですか?」
「ええよ、ちょっと待ってな。あぁ、入りや」

 玄関の外で待とうとしたのを汲み取って、辻さんは家の中に入るように言ってくれた。どうやら私の小さな賭けは成功したようだ。
 私の家のお隣のお隣さんである辻さんは、下は灰色のスウェット生地に、上はなんだかよく分からないロックな絵柄がプリントされた黒いTシャツを着ていた。玄関といえど初めて入る男性の一人暮らしの家。物珍しくて辺りをきょろきょろと見渡してしまう。

「はい」
「わ!4つもくれるんですか?ありがとうございます」
「どうせ一人じゃ使い切れへんし」
「分かります、10個は多いですよね……あっこれよかったら。お礼です。りんご好きですか?」
「好きやけど……」

 そう言うと、チラリと辻さんが自身の両手を見た。卵を2つずつ持った両手が塞がっている。私も両手でりんごを大事に持っているので、お互い目を合わせて「どうしようか」と無言の会話が成立した。堪らず私はくすりと笑みをこぼして、自身のエプロンのポケットに視線を向けた。すると辻さんは「お邪魔します」と一言添えて、ポケットに卵を入れてくれた。その慎重さといったらまた可笑しくて、けたけたと体を震わせて笑った。

「りんご、ありがたく頂くわ。果物なんて滅多に買わへんからなぁ」
「どうぞどうぞ」

 では、と軽く頭を下げ外に出て、ドアを閉めようとしたとき。私はあっと小さく声をあげて、閉まりかけたドアを自分のほうに引き寄せた。

「あの……つかぬ事をお聞きしますが」
「お?石やんか?」

 素早い返答が図星でごくりと息を飲んだ。辻さんは用件を当てたことに喜んでいるみたいだ。

「石垣さんは今お、付き合いしている方がいるのでしょうか?」
「……え?」

 やや早口でそう問うと、ドアの隙間から覗く辻さんが今さら?と顔で訴えていた。綾ちゃんといい、やはりこのリアクションは間違っていないのだろうけど。すると辻さんは思い返すように視線を上に向けて、それから再度私を見た。

「今はおらんと思うけど」
「本当ですか!」
「……まぁ、石やんからそういう浮いた話はあまり聞かへんからなぁ。多分、おらんで。オレが知る限りでは」

 私の反応があまりに過剰だったせいか、返事が徐々にあいまいになっている。それでも石垣さんときっと一番親しいであろう辻さんの口から嬉しい情報を聞けたというだけで、私の気分は随分と上がっていた。


 無事に卵を調達できたので、計画通り親子丼を作ることができた。一人分の食事にはやはり丼ものが一番手っ取り早い。食べ終わると、テーブルに残っていたりんごを取って不器用ながらも包丁で皮を剥いた。
 剥き終わったりんごをフォークで刺してしゃくり、と口に運んだ。甘くて良いりんごだ。不味いりんごを辻さんに分けてしまったらどうしようかと不安に思っていたが、これだと問題はなさそうだ。ぼんやりとりんごを味わいながら、さっき辻さんが言っていた言葉が蘇ってきた。

「今はおらんと思うけど」

 ……今は、ということは前はいたということだろう。好きな人の前の恋愛事情なんてきっと知らなくてもいい事だろうけれど、やはり私は石垣さんのことを何も知らない。

 上がっていたはずの気分が少し落ちかけたので、気持ちを切り替えるようにテレビのリモコンに手を伸ばして、ふた口目のりんごを口に運んだ。


150124


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