番外、

尽八くんとの関係が、堅苦しい婚約者ではなく純粋な恋仲になってから早三ヶ月が過ぎようとしていた。校門前の坂で打ち解け合ったあの日を境に、自転車競技部であろう人達が私のクラスへと押しかけてくるようになり、居心地は正直良いとは言えない。今でもほら、私に直接は話し掛けはしないのにドア付近で数名がこちらを窺っている。
さすがは尽八くんと言うべきか、彼は本当に口が軽い。彼の事だからすぐに私との事をペラペラと喋ってしまったのだろう。別に責めるわけではない。周りに隠すつもりは更々無かったし、決して悪い事をしているわけではないので噂立たれてもいいものの、ただあまりに速すぎる情報伝達に私は脱帽するしか他無かった。

「おはよう、名前」
「あ。おはようござい…おはよう尽八くん」
「うむ」

ちょっと手を洗いにと廊下に足を踏み出せば偶然にも尽八くんと出会した。今まで彼に使っていた敬語がつい出てしまいそうになり、慌てて言い直せばそれに満足したように笑顔で頷いてくれた。
以前に比べて、尽八くんが私に向ける笑顔がより柔らかで優しいものになったと自惚れている。婚約者ではなくなった以上、お互いの家を行き来する事はあれきりなくなってしまったが、こうして学校で会話を交わす事が、数少ない楽しみになっていた。

しかし廊下の真ん中で突っ立って話していては、すれ違う生徒の視線が気になって仕方がない。しかも相手が東堂尽八では女子生徒からの注目の的である。これといった嫌がらせなどは受けていないものの、仲睦まじく会話を楽しんでいるところを見せびらかしているようで、どこか気が引けている自分がいた。

「場所を変えようか」

そんな私を見てふっと小さく笑った尽八くんは、おもむろに私の手を取り違う場所へと足を進めた。なびく私の後ろ髪のずっと奥から女子生徒の黄色い声が聞こえた気がする。しかしそれよりも彼に握られた手が熱くて、緩む口元を隠す事に必死だった。

連れられた場所は屋上より少し手前の階段。午前中の今の時間ではまだ日当たりが悪く少し薄暗かった。尽八くんが先に腰掛けて、私も同じ段差に人一人分の距離を空けてスカートを気にしながら座った。面と向かって話すよりはこうやって並んだほうがいくらか緊張は解れる。前の私は尽八くんを前にしても緊張なんて一つもしなかったのに、自分の気持ちに気付いてからは尽八くんが眩しく見えて仕方無い。今思えば、この人によく告白をしたものだと自分で自分に感心さえするのだった。

「…この距離はなんだ、もう少し寄ってくれてもいいだろう」
「き、緊張するので」

そう言いながら恐る恐る尽八くんの顔を窺うと、口をへの字に曲げて拗ねているようだった。私は思わず苦笑いを浮かべると尽八くんが再び私の手を取って彼のほうに引き寄せた。まるで見えない磁石があったかのようにピタリと尽八くんの肩に私のそれが触れて、取られた手は組み変わって柔らかく絡み合った。
尽八くんはうむ、とまた満足そうに笑う。少し骨張ってすらっと伸びた彼の綺麗な指の隙間に、私の指が余す所無く埋まっている。すっかり余裕の無くなった私は黙り込んでしまい、相対的な彼は少し俯きながらも再び話し掛けてきた。

「なかなか二人の時間が取れないな」
「尽八くん、部活で忙しそうだし仕方ないよ」
「…また、家に泊まりにくるといい」

少し尻窄みに言葉を紡ぐ尽八くんの顔を見ると、いや別にいかがわしい意味はなくてだなと弁解を始めた。小さく咳払いをするその頬は何と無く薄紅色に染まっている。

「…夜、家に帰すのは返って危険だろう。それなら泊まっていくほうがいい」
「そう、だね。ありがとう」
「当然だ。オレの彼女だからな」

何故こうも真っ直ぐな思いを伝えてくれるのか。すごくすごく嬉しくて、それでも耐性のまだついていない私は同時に恥ずかしくて堪らなかった。尽八くんが私の手を握ったまま、なぁ名前と名前を呼んできた。はい、と返事をして彼のほうを向くとやけに口をもごもごと開けたり閉じたり。暫く落ち着かない様子をただ傍でじっと見つめていた。

深く息を吐いてようやく落ち着きを見せた尽八くんの表情はうっとりするほど美しい。通風窓から少し光が射して時に彼を輝かせた。


「少し…目を閉じていてくれ」

壁側の、手持ち無沙汰にしていたほうの手で口元を隠しながらそう呟いた。…狡い。私だってこの熱くて堪らない顔を少しでも隠したいのに、滅多に見ないそんな照れたような表情をされては素直に従うしかなかった。目を閉じて、ついでに息も止めてしまおう。緊張でクラクラしそうだ。握っていた手に力を込めるとついに尽八くんは私の唇に初めて触れた。乾燥を知らないその感触に思わず止めていた息が漏れる。こつん、と互いの額を寄せたまま尽八くんはふふと可笑しそうに笑った。

「息は止めなくても良かったのに」
「だ、だって」
「あぁ…緊張した…」
「尽八くんでも緊張するんだ」

するに決まっているだろう!そう小さく声を荒げた彼の端正な顔がすぐそこにある。ムッとこちらを睨んでいるが少しも恐くはない。緊張していたのが私だけじゃなかったと思うと何となく嬉しかった。

吸い込まれそうなその瞳と目が合えば、どちらからともなく二度目のキスを交わした。いっそのことこの甘い雰囲気に乗っかって「好きよ」の一言でも云うべきかと躊躇している間に、頭上で大きく予鈴が鳴ってしまった。
尽八くんの「戻るか」の言葉に私も腰を上げると、また暫くゆっくり話も出来なくなる事に少し寂しさを覚えて、そそくさと一人階段を降りてしまう尽八くんの姿をやや上からぼうっと見下ろしていた。


「…今週末、尽八くんの家に行ってもいいかな」

控えめにそう問うと、彼は軽快な足をぴたりと止めて振り向き私の顔を見上げた。その表情といったら何とも嬉しげで、勿論だと声を張って答えてくれた。はにかむ彼のもとに近寄ると「布団は一枚でいいか」と聞かれたのでいいえ二枚でお願いしますとそこは丁重にお断りした。

そんな冗談を交えて笑い合うこの雰囲気が好きで好きで、まだ人目のつかない場所にいるうちにそっと頭を撫でてくれた尽八くんが、ずっと私と同じ気持ちでいてくれたらと密かに願った。


かなし
愛しい




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