泉田塔一郎


「名前さん!水です!」

名前さんが潰れているとの情報をユキから聞いてボクはすぐに駆けつけた。全く、ユキはろくに介抱もせずにこの方を放っておいたのか。一体何を考えているんだろう。店員に水を注ぎ足してもらったグラスを差し出すと、それを落とさないように両手で持って喉に流し込む名前さん。ボクも一応、グラスを落としてしまわないように手を添えてあげた。

「…はぁ。あり、ありがとう」
「大丈夫ですか?」

泉田、とボクの名を呼ぶその発音はどこか舌足らずで歯切れが悪かった。心配して覗き込むと力なく微笑む名前さんと目が合う。…どうしてそんなに儚げな表情をできるのだろう。とても綺麗だ。フランクもそう感じているらしくドクドクと反応していた。

「しかし、名前さんらしくないですね。お酒に飲まれるなんて」
「…ホント、なさゃけないわ」

頬に少し赤みを帯びたまま、はっきりと喋れない彼女は自分の頬をぺちぺちと叩いた。いつもは大人びていてクールな名前さんが、今日は幼くて可愛らしい。しばらくその様子に見惚れて眺めていたが、待て待て悠長に和んでいる場合ではない。周りを見渡すとと少し離れたところに長椅子があった。あそこだったら他の客の邪魔にならないだろう。よし、と意気込んでうつろな目で地べたに座り込む名前さんに優しく話しかけた。

「名前さん、ここでずっと座り込むのも何ですから、あっちに移動しましょう」
「…ん」
「立てますか?」
「……ん」


かろうじて声を出して返事をすると、持っていたグラスを地べたに置いて目の前のボクに両手を差し出してきた。…これは、抱えてほしいと言うことだろうか。おずおずと名前さんの左手を掴もうと手を伸ばすと、そのままボクの両肩に手を置いて頭を預けてきた。近い、とても近い。アンディとフランクがほぼ同時に痙攣した。若干声を上ずらせて名前さん、と声を掛けてもそのまま動かずに顔を上げなかった。相当キツいのだろう。

不謹慎ではあるがこの状況を心底喜ぶ自分がいた。いや、決して名前さんを性的な目で見ているわけではない。これは長年憧れてきた女性を前にしては男として当然の反応というか…そう、仕方のない事だ。光の加減によっては少し茶色がかって見える艶やかな髪からは、今がもう深夜とは思えないとても良い香りがした。もう少し、このままで良いだろうか。お酒が入っている事を良いことに、この心地のよい状況をボクはもうしばらく独り占めしたかったー。




「泉田、主将になるんだってね」

昔、ボクが主将に任命された事を聞きつけた名前さんがわざわざクラスまで激励しに来てくれたことがある。名前さんは学校でも結構有名な方だった(特にあの東堂さんが引っ付いて回っているせいで目立っていた。美人だし)。その彼女が二年生の階に来ただけでも周りは少しざわめいていて、ボクを名指しで呼び出した時には内心勘弁して欲しかった。

主将に任命されてから、あまり他言出来ずにいた不安や悩みを名前さんは聞いてくれた。余計な自己論などは一切話さず、それでいて親切なアドバイスを少し挟みながら聞いてくれる名前さんは聞き上手だなぁとあらためて尊敬した。

「名前さんは何故、自転車部のマネージャーになろうと思ったんですか?」

ずっと気になっていた事を聞くと、彼女は表情を変えずに「皆の事が好きだから」と言った。ボク一人を、だなんて言っていないはずなのにフランクが一瞬飛び跳ねる。

「素敵だと思うんだよね、自転車に乗ってる皆が。本当は皆の事を尊敬しているんだよ」
「…それ、新開さん達に言ったらすごく喜びますよ」
「死んでもイヤよ」

口を尖らせてきっぱりと否定した。ボクも名前さんの事を尊敬しています。そう伝えると、「ありがとう」と綺麗に微笑んだ。

「部をよろしくね、主将さん」

ヒラヒラと手を振りながら自分の教室に帰って行った名前さんの言葉に、肩の荷が下りたものがまた少し乗っかったー。



もう6年も前の、そんな話。

「本当に貴女には感謝しているんです」

そんな事もあったなと、今は目の前でうな垂れている名前さんの耳元で聞こえるか聞こえないか程度の小さな声で呟いた。名前さんからの反応はない。…さて、そろそろ思い出に浸るのもやめて彼女を抱えようかと思った瞬間、ゾッと背筋の凍るような声がした。

「ん、塔一郎。あとは代わるぞ」
「…新開さん」

ここは道の上ではないはず。それなのに彼の張り付いた笑顔の裏には鬼が見えた。


140815



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