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帰国してから思ったことは、この国の人はとてもあたたかい、ということだ。
たとえば海外にいたときお金を落としたとして、拾ってわざわざ背中を追いかけて渡して、なんて手間をくれる人なんてまずいなかった。
(かと言って全員がくすねてゆくか統計を取ったわけではないので、決めつけてしまうのも悪い気がするけれど。)
いけふくろうの前で声をかけてきた青年。青年は香織が落とした財布を見過ごさなかった。
拾って、わざわざ汚れを手で払いのけて渡してくれたあとに、
『お姉さん、僕と一緒に池袋の夕陽を楽しめるカフェでお茶しませんか? あっもちろん僕が奢りますよ。そりゃもちろん。』
………なんて声をかけてカフェへ誘うところは余計だったけれど、日本でそんな経験をするとは思わず、香織は少し愉快な気分になった。
その男が顔のおおよその部分を包帯で覆っていたことや、何人もの少女を連れて堂々としている様子がまた可笑しく、次の予定が無ければ興味本意で着いていくところだったかもしれない。
ああ、池袋って最高にやさしい街なのだと感じたものだ。
ー都内某所ー
香織が感じ取ったことを話終えたとき、ベッドに横たわりながら頷いていた新羅は、あら? と首を傾げた。
「それってさ、わたしの年齢でもまだナンパしてもらえるのよって自慢話なのかな」
「新羅。わたしの話の、どこを聞いてたの?」
「どこって……帰国して思ったことから池袋ってやさしい街だねえまで全部だよ」
「からかわなくていいからしっかり聞いてて」
「はは、ごめんごめん」
新羅は空笑いをして、包帯の巻かれた右腕を触った。
頬や頭部、胸元部分、寝巻きから見えるはだの部分のいたるところに処置されている白い布から、とてつもない痛々しさを感じる。
香織は思わず閉口してしまう。
ーーー新羅が怪我をして寝たきりということはセルティからメールでやり取りをして知っていたのに。
新羅から聞いているよ。おかえり。日本へ帰ってきたばかりですまないが、ウチへ遊びに来ないか。
お誘い嬉しいわ。しばらくお休みだから、いつでも
そうか。出来れば早めにお願いしたい。新羅が重症で。仕事があってなかなか看てやれなくて
新羅の様子は香織が思っていたよりずっとひどい状態で、理由を聞くのをためらってしまう。
ーーー そんな内容だったし、まさかとは思っていたけれど。。トラックとかの接触事故か、階段から落ちたか……それぐらいのことがなければこんなに怪我はしないよね。
香織は新羅の微笑みを見ながら、ふと昔臨也が新羅について話していたことがあったなと思い出す。
その時も、怪我の話だったように思う。
しかし何年も経った今となっては、話のはっきりとした内容も、自分の記憶が定かであるかも、香織には分からない。
新羅は突然黙りこむ香織に、きっとびっくりしているんだろうなと内心苦笑して話を変えることにした。
「香織」
「……はい」
ゆったりした動作で新羅が身を起こそうとする。
咄嗟に香織が支えようと手を伸ばすと、新羅は断った。
いてて、と腹部を押さえながらもしっかりと起きた新羅は、ところで、と話を切り出す。
「ところで、海外での仕事はどうだったんだい? 卒業して、就職が決まったあとすぐに行ってしまったし、最近はメールも手紙もないから心配してたよ」
「うん……ごめん。なかなか忙しくて。恥ずかしいけどね、二年目まではぼろぼろだったのよ。言語も大して出来なかったからまず会話ができなくて。語学の勉強ばっかりで、仕事どころじゃなかった」
「そうかあ。言語の壁かあ」
「とにかく自己主張しないとだめなのね。年齢なんて関係なくて……でも気持ちから前向きになったら、周りの反応もすぐに変わった」
そう言い切って笑うと、新羅はうなずき返す。
「……僕も昔はセルティと、言葉や意思の疎通で壁を感じたこともあったけど、でもそんな心配はちっぽけなことだとすぐに分かったよ!──うん、でも君はすぐにそのことに気が付いて、それで上手くいったんだね」
言葉の力は大きい。言葉はひとを傷付けもするし、あたたかく包み込むこともできる。たくさんの可能性を秘めている。
反対に、言葉がなくとも、人を思い図ることは可能だった。
香織はそのことを、痛いほどに知った。
その点、新羅を、すごいと感じていた。
幼い頃から言葉以外の可能性を実行し続け、今では夢だったセルティとのお付き合いを叶えている。
臆病な香織にとってはすごいことだった。
新羅のように自分も、自分だけの可能性を見つけ出したい──これも海外出張を決めたのひとつの理由だった。
「五年なんてあっという間だったけど、新羅はどうだった? お医者さんの仕事」
「正確には闇医者≠ネんて呼ばれてるような仕事だけどね。まぁ、卒業しても僕は生活はそんなに変わりないからねぇ。この街も色々あるけど何だかんだ住み続けているよ。セルティと一緒ならどこでも良いんだけどね・・・」
「セルティ、そっか・・。二人がやっと、好き合えたって連絡をもらったときはうれしかったなあ。」
「そんなこと言ってくれるの、静雄くんか香織くらいだよ。ああ、セルティの話をしたら会いたくなってきたなぁ」
新羅は天井を仰いだ後、あたかも、ふっと思い出したかのような顔をして
「そういえば、折原くんに会ったかい?」と言った。
香織は臨也の名前を聞いて、少しだけ表情を曇らせる。
「新羅にメールアドレスをもらって、帰国した日に会ったわ」
そこで一旦間を置いて、
「誤解しないでほしいけど」と言う。
「内容によるね」
「・・部屋に泊めてもらったの。」
「何だって?!」
新羅は思わず身を乗り出して聞き返した。
香織は新羅の反応に、少しだけ頬を赤くして少し大きな声で、違うの!と訂正する。
「違うのよ。部屋へあげてもらって、別々の場所で寝かせてもらったの。それだけ」
「ふーん。それだけ、か。 てっきり二人の仲がまた復活したのかと思ったのに」
「・・・・・・。それでも良かったのかもしれないね。新羅、でもね」
「でも?」
「・・・あの人、何にも変わってないわ。高校生の時と」
「そうだろうね。 相手が君であれば尚更」
「・・・・?」
首をかしげる香織に新羅は意味ありげに目を細めた。
しかしその一秒後、香織の一言によって口元がびくりと震えた。
「そういえば、臨也って今なんの仕事をしているの?」
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