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窓に目を向けると、空はうっすらと明るくなっていた。妙な時間に起きてしまってしばらくぼうとしたままでいたのだ。唯一、毛布から飛び出している左足だけがひんやりとしたシーツと、部屋の冷たさを感じていた。
寝返りを打つと、目の前には規則正しく上下した静雄の背中。Tシャツ越しにわかるほどくぼんだ肩甲骨や、髪が流れて露になっているうなじを見上げて、静雄の存在をたしかめる。広い背中にすこしだけ身をよせてもう一度眠ろうとしたとき、あることを思い出して勢いよく毛布をめくりあげた。
今日は大切な予定が入っているのだ。二度寝して、遅刻するわけにはいかない。
きのうの夜、セルティからも連絡が入り再三確認され、時計のアラームもしっかりかけて寝たはずなのに記憶から抜け落ちてしまっていた。
ーーーだから、こんな早くに目が覚めたんだ
働きづめのここ三週間、ようやく合わせて取れた有休休暇。
いつもなら、もう少しだけまどろんでられるけど…。
約束の相手の顔を思い浮かべていると、腰に何かが巻きついてきた。静雄の腕だ。
「ん……」
「起こした?ごめんね」
「なんじ」
時計を見ると6時03分だった。
「6時だよ」
「あー…」
「まだ早いから、寝て。また起こすよ」
「おううう」
そうする。
わたしにしか聞き取れないくらいの、ほとんど呻きに近い声を発して、毛布をかき抱いた。たまにする静雄のこどもみたいなしぐさのひとつ。
『それで?静雄君はまだ寝てるってわけ』
「うん、そろそろ起こすつもりだけど、セルティは?」
『起きてるよ、朝から掃除機かけてる。あ、今も楽しみだって言ってるよ』
「そう」
電話口で新羅はあきれ半分で言った。それにしても君の前だと静雄くんはまるで借りてきた猫みたいなんだから。
そうだね、と私は認める。モーニング・コーヒーに角砂糖をひとつ――猫というよりきっと犬に近いだろうと思いながら――落とした。
春一番が吹いたといえど、まだ二月なのだ。朝は冷え込んでいる。マグカップを両手で覆えば、指先にじんと血がめぐるのを感じた。静雄はまだ眠っているはずだった。こっそり、普段静雄が触ることのなさそうな台所の戸棚からプレゼント用に包装されたつつみを取り出して、今日出掛けるようのバッグにしまいこむ。最低限の支度を終えて、ベランダのない窓に寄る。ガラスに触るだけでつめたいので開けるのをはばかれる。あきらめて暖房をタイマー式でつけ、普段どおりを装うように洗濯機から室内干しできる衣類を取り出してつるし、本を読んで時間をすごした。
簡単な朝食を作り終えふと時計を見ると8時前だったので、静雄を起こすことにした。近づくと毛布に引きずり込まれるのが大半なので、声だけかけて引き上げる。しばらくしてスウェット姿の長身がのそりとドアをくぐってきた。
「おはよ」
「おはよう、髪すごい」
無言で左手を後頭部にやって、何とも言えない顔をするので笑ってしまった。
洗面台までくっつき虫になって行って静雄のやることを邪魔していると、つめたい水で凍えた手のひらを首筋に押し付けられてしまった。あわてて逃げると、向こうから静雄の笑い声が響いてきた。
「お名前、準備できた?」
「まだー」
「9時に出るんだろ」
「え、もうそんな時間なの」
起きてきたのは静雄のほうがずっとあとなのに、いつのまにかいつものバーテン服に身を包んで立っていた。あわてて口紅を引く。いつまでも童顔で化粧栄えしない顔なので、あまりこだわらない。これでいいでしょうと、もう一度だけ鏡を覗き込んでから、残りの洗濯物を外へ出す。想像通りの冬風で、寒さがにがてなわたしは身震いをする。施錠をして、玄関へ向かった。
「揃って行くなんてだいぶ久しぶりだよな、夏以来じゃないか」
「セルティはよく街で見かけるけど、家へ行くのはそうだよね。楽しみだね」
「指定された時間がやたら早いけどな、仕事で家出るのと一時間ぐらいしか違わねえ、ったく新羅のやつ……」
すこしどきっとしたけれど、これから三週間前に過ぎた自分の誕生日を祝ってもらうだなんて微塵も思ってはいないんだろうなとよく分かったので、安心して静雄の腕を引く。
「出なくちゃ。約束の時間に遅れちゃう」
「そうだな」
静雄がドアを開け施錠をし、鍵を受け取る。コンクリートの廊下に落ち葉がカラカラと音を立てて回っている。つめたい風はふたりのコートをはためかせた。
階段を行く背中を見ると静雄は両手をこすり合わせて息を吹きかけていた。数時間後、あの両手にはわたしのプレゼントがはめられている。追いかけて、両手をつつむように繋ぐと、目を細めて微笑んだ。
「さすが『人間カイロ』。お名前はもうあったかい」
「楽しみにしてて」
「今日はやたらうれしそうだな、新羅ん家で何かあんのか?」
「ふふ、ひみつ」
「なんだよ、気になんだろ」
肩を抱こうとするので、すっとわきを抜けて階段を駆け下りると「こら、待て!」とうしろから追いかけてくるのがわかった。おかしくって、声を上げて笑う。息が切れる。着込んだせいで額にじわりと汗がにじんだ。
つめたい風はもう、感じなかった。
20160219 2063Words
結婚前夜のヒロインから静雄の誕生日へささげます