さ迷う子供


 縢が不機嫌だ。部屋に帰ってきた瞬間分かった。床を踏む強さだとか、いつもより上がった肩とか、興奮を押さえつけるかのように振られる腕だとか。
 ずんずん、と音がしそうなくらいの勢いでキッチンへ向かい、それから水の噴き出すのと切ない音とを立てて、大袈裟なくらいにグラスを煽る。
 言うほど長い付き合いでもないけど、これまでに見たことのない姿だ。

「かが……」
「はあーっ……」

 口を開こうとしたら、陶器のぶつかり合う鈍い音。シンクに両手をついて俯いてしまった。
 一連の動作を見終えて、いよいよタイミングを失った。こういう、人がいつもの様子と明らかに違うとき、どう接するのが正しいのかをわたしは知らない。
 とりあえず名前を呼んでみることにする。

「縢」
「……」

 答えてくれない。
 二回目、ちょっと語尾を上げてみても無反応。
 仕方がないので原因を考えてみることにした。今日、わたしは非番だったから、彼の一日を全く知らない……ので、あらゆるパターンを想像。
 例えば宜野座さんに任務のことで怒られたとする。

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『縢執行官、これはいったいどういうことだ……?』
『あ、ギノさん!お疲れっすー!これとは?』
『っ……ふ、ふざけるな!この報告書に決まってるだろう』
 バンッとデスクを叩いて震える宜野座さん。近くの座席にいる常守さんが驚いて肩を上げる。対する本人はけろっとした顔で腕を組んで頷く。
『あーそれですか?いやあ昨日頑張ったんだけどね……やっぱダメだった?』
『ある程度の形式というものを知らんのか……!必要な情報が全く記入されてない。18時までにやり直しだ』
『えっ……今日昼過ぎにクニっちと交代なんだけど……』
『フッ……貴様、どの口がそんなこと言っている?今日という今日は俺が納得いくまで帰さないぞ……!』
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「あり得る」

 頬を覆ってふふっと笑い声を漏らすと、俯いていた顔が急に上がる。じっとりとした視線と一瞬絡むけれど、すぐにそっぽを向いて誤魔化しきった。だめ、これ、一人で面白くなってきちゃう。
 そのあとコウちゃんと弥生ちゃんにまで呆れられて、不貞腐れてるところ。

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『縢、ギノにまた叱られたのか?』
 画面と睨み合う縢の肩をコウちゃんが叩く。そぉーなんだよおー!と、嬉しそうな顔でコウちゃんに甘える縢を、隣のデスクの弥生ちゃんが一喝。
『狡噛、甘やかしたら意味がないと思うけど』
『六合塚がそんなこと言うなんて珍しいな。誰の差し金だ?』
『どーせあの人だよ!クニっちが言うこと聞くのはあの人だけなんだから……』
『ん?』
 縢は胸の前で大きく弧を描いて志恩さんの大きな胸を表す。そのジェスチャーで理解できてしまうコウちゃんを、じろりと見る弥生ちゃん。その視線を流すコウちゃん。
『志恩は関係ないだろ』
『だってこれ、こないだ志恩さんが手渡してきた案件だもん』
『……お前が引き受けたのか?』
 今まで一度も報告書をまともに作ったことないのに?とは誰も言わない。
『そ。だって他の皆は忙しいっていうからさ……』
『……今度から、監視官か誰かに相談するべきね』
『だな』
『ちょっ……何だよ、ふたりして』
 やれやれと首を振りながら、コウちゃんはまた縢の肩に手を置いた。
『縢、今回はお前の責任というより志恩が悪い。重く考えるなよ』
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「なーにニヤけてんの」
「うわっ!」

 気付いたら、目の前に縢の仏頂面。普段ぱっちり開いている目が半分になっている。

「びっくりさせないでよ……」
「だって人が悩んでるってのにさ、ずーっと笑ってるんだもん?」

 何考えてたの?なんて言いながら、ソファに掛けて足を組む。あ、少しだけ、表情が和らいだかな。眉間のしわが消えている。

「縢、だいじょうぶ?」
「って人の言ってること無視かよ……まあいいけど」
「今ずっと君のこと考えてたの」

 言えば、ぴた、と髪をかきあげる手が止まる。

「どうして?」
「だって名前呼んでも返事くれないし、縢怒ってるみたいだけど、そゆときどうしたらいいのか分かんないし……だから一人で色んなこと考えてた」
「……そっか」

 少しだけ、考えるような間があって、でもすぐにこっちを向いた。いつの間にか、いつものへらへらした顔に戻ってる。縢は歯を見せて笑った。

「たまあにすごいこと言うよね、さらっとさ」
「そう?」
「うん……なんか、元気出るくらいのすごいこと」
「縢なんか、いつだってゲームやれば元気になるじゃん」
「……よく分かってるね」

 言って、目に見えて脱力した。らしくなく、弱気。こんな一面もあったんだってはじめて知る。よく分からないけど、わたしの考えてたこと以上に何かあったんだろうな。きっと今だってぐるぐる悩んでいるだろうに、わたしは青のスーツが皺にならないかってすごく心配しているから、自分でもさすがに、呑気過ぎる。

「ごめんね。気が利かなくて」
「んう?」

 淡く緋色な両目がこちらを向いた。近くで見るそれはとてもきれい。今日のピン留めは、ピンクとグリーンがバッテン印になっていた。

 ふしぎだ。おとこのひとなのに、こんなに近くにいても安心してしまうんだもんな。そして、力になりたいとも思っている。

「何があったとか、分かんないけどさ、わたしは縢がこれまで悩んできたこと少しは分かってるつもりだし……その……ずっと、ここにいるからね。これからも」
「……俺さあ、やっぱり、この世界が嫌いだよ。笑っちゃうくらいにさ」

 『ありがとう』 期待していた言葉とは、全然違うことが返ってきて息を呑む。
 縢は脚の間で、右手の親指の爪を人差し指で弄りながら続けた。

「今だって毎日がやっとだよ……同じ潜在犯を撃って?書類作って?まあ、そんな作ってないけどさ。自由な時間にはこうやって話したり、料理したり……それでも、余裕がないね。なさすぎる」
「うん」
「だから、最近新しいことがあったりで、刺激を貰えるかなって思ってたんだけど……違ったみたい」
「……そう」

 新しいこと。最近、身近にあった新しいことと言えば、若い監視官が入ってきたことくらいだろうか。

「アンタもそう?」
「わたし……わたしは、どうだろ。余裕なんか、今まであったこと一度もないよ。でもね」
「でも?」

 電子音が鳴り続く部屋で、ふたり、ずっと寄り添いあって。縢だから、と、許せることが増えてゆく。

「コウちゃんも弥生ちゃんもマサさんも、縢も……みんな同じだから。そう思うと、がんばろって毎朝なるんだよ」

 弾き出された社会にもう一度、帰ってきた。いまのわたしが生きるべき世界は泣きわめいたってここしかないの。

「こんなこと……縢にしか言えないけど」
「……うん」
「こんなことしか言えないけど、機嫌直してね」
「もう、とっくだよ」

 見かけよりもがっしりとした、男の子らしい手がこちらに伸びてきて、瞬間、心臓が跳ねる。だいじょうぶ、わたし。深く呼吸をして目を閉じれば、すぐそこに縢の気配。手のひら同士がゆっくり重なった。
 行き場のないお互いの感情が、熱を伝ってまざりあうのが分かった。暗いところをさ迷う子供みたく、縢と繋いだところ以外がさびしくなった。
 もうひとつの手を重ねたら、その上から大きな手に覆われる。
 怒った縢が求めているものは、きっとこれで正しいはずだった。





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12月3日の縢への誕生日の拍手お礼文記念でした。
ハウンドフォーの苦悩ヒロインです。1期序盤の朱ちゃんと縢との衝突のその後…という設定で書き上げました。
甘えベタな縢!可愛いです。(20151216-20160328)
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