[ハウンドフォーの苦悩]
俺と名前ちゃんは、現在コウちゃんの部屋で絶賛くつろぎ中だ。
二人で遊ぶのはごく日常的なことだが、今日は名前ちゃんがあまりにもあまりにも「暇」という言葉を俺の部屋で連呼するので、仕方なく場所を変えて…ということだったのだけど。
「もしかしてコウちゃん…今日宿直じゃね?」
「あっ」
最近の執行官のシフトは、縢、六合塚、苗字と狡噛、征陸と分けられているので少し考えれば分かることだったのに。
檻の中の犬どもがそんなに行く宛もなく、少しの間並んであるけば、あっという間に狡噛の部屋の前まで辿り着いてしまった。しかたなくコウちゃんに連絡すると、勤務中にも関わらず堂々と通信に出てくれてドアのロックも解除してくれた。後ろには刑事課のオフィスが見える。まあ朱ちゃんだしそんなにお咎め食らわないんだろーな。羨ましいよ、まったく。
こうして、冒頭に戻るわけだけど。
「あ、縢、見てこれ」
「ん〜?」
俺が寝そべっているソファから見える名前ちゃんは、壁に張り付いている訳の分からない紙の中の一枚を指差している。
おいしょと掛け声付きで起き上がると、名前ちゃんはジジくさいと鼻を押さえるふりをした。近付いていってその鼻を手ごと叩いてやると、わざとらしく顔を歪めた。
「で!どれ?」
「あぁ、これこれ」
名前ちゃんが指差す先には、あの酷い事件の被害者であり、元執行官だった佐々山って人とコウちゃんが二人で並んだ写真があった。一瞬喉を詰まらせてしまう。たしかに…名前ちゃんは俺より後輩だから、誰かが説明しない限りまだ知り得ることもないんだよな。…どうする、俺。説明するか?でも長いしグロッキーだしあんま詳しくないし、下手なこと言えないよな。
体感時間数分にして数秒の間。名前ちゃんは嬉々として写真を見つめたままだ。「狡噛さん、若いね」「あー、まあ、監視官だった頃だしね」「え?」 しまった、と思ったときにはもう遅い。墓穴掘った。
「や、まあ、うん、実は俺もあんま詳しくないつっーか…」
「そうよね。昔のカメラなんて、詳しい人はなかなかいないよね」
「うん……へ?何?何が?」
「だからこの写真。コウちゃんが若い頃だから、けっこう前に撮影されたものでしょ?その頃にはまだ普及してなのかなあ」
あとでコウちゃんに聞いてみよー、なんて呑気に後ろ手なんか組んじゃう名前ちゃんに、とっつぁんのほうが詳しいかもよ、なんて無意識に答えてしまうほどには冷静だった。
なんだよ、カメラかよ。すっかり気が抜けた俺は、元いた場所に腰かけた。
「でもさー、今どき端末で撮った写真をわざわざプリンターで焼いて、なんてマメなことする人って、なかなかいないよ?」
コウちゃんみたく、大量の情報を紙に印刷して実際にファイリングするひとも稀にいるが。
執行官の端末は、インターネットや通信など最低限の機能しか取り付けておらず、カメラなど私用操作は出来るものではない。
「名前ちゃん、カメラがほしいわけ?」
「そうだよ」
「…なんでって聞いてもいいのかね」
名前ちゃんはちらりとこちらを見た。その顔は薄暗くて読めないけど、照れているように唇を噛み締めているように見えれば、哀しみに耐えているようにも見えた。
「言いづらい?」
「ううん」
はにかんでから名前ちゃんは言った。
「…みんなで、写真撮りたいんだあ。一係のみんなで」
落とすように呟かれた言葉に、はっとする。
名前ちゃんにとっても、居場所はここしかないんだ。
俺だけがこんな風に思っていたとばかり思ってたから、彼女の言葉が意外なだけに嬉しい。
「撮ろうよ、写真」
気が付いたら、そう告げていた。
「とっつぁんに頼み込めばなんとかなるっしょ」
「でも、縢」
「いーよいーよ」 俺も同意だし、という言葉は飲み込む。
「画像データじゃなくて、"さわれる"写真。俺、案外そーいうの好きよ?」
名前ちゃんはとびきり嬉しそうに笑った。
「ありがと!縢!」
次の瞬間、ドンと身体に衝撃を感じる。まばたきしたらついさっきまでいた名前ちゃんが、そこにはいなくて、なぜか首回りと頬が暖かい。原因を確かめるように視線を動かすよりも早く、嗅覚がやわらかい女の子のニオイをとらえた。
「ちょ、名前ちゃんてば」
「かーがーりー…ありがとう、嬉しい」
すりすりと頬擦りをされて、自然と顔が熱くなるのを感じた。何これ、ヤバイ。てか名前ちゃん超いいニオイする…
無意識のうちに、名前ちゃんの日々でのトレーニングで鍛えられた、よく締まった身体にも感覚が回ってしまう。しかもさらに感覚を鋭くさせると、己の鎖骨のあたりに当たっている一際柔い物体は…
(名前ちゃんの、胸…)
セクハラだろうが関係ないよな。むこうから仕掛けてきたんだもんね。
コウちゃんの部屋だということも既に忘れ、自分の腕を大きく広げてにんまりと笑ってしまう。ごめんね、純粋無垢な名前ちゃん。
彼女の背中に腕を回そうとしたその時────
「すまない。遅くなった」
空気が噴き出すような音と共に、部屋の空気が揺れる。しかもこの部屋は玄関からリビングまでの距離が極端に少ない。
パッと効果音が付きそうなほどの速度で名前ちゃんが離れる。
「あっコウちゃん、お帰り!」
重々しい足音が近付いてくると共に、俺の心も身体も重石でもつけたかのようにずるずるとソファを滑っていった。
どうやら怪しまれずには済んだようだが、俺の体勢は先程のままから直らなかった。
「も〜コウちゃん!遅いよ!」
「遅いも何も…ただ決まった勤務時間の分だけ働いていただけだろ。このあとはお前達が仕事を引き継ぐんだぞ…って縢。どうした」
「いや……なんかもう、なんでもないわ」
「縢は疲れちゃったみたい」
「ほぉ…」
意味ありげにニヤけて、名前ちゃんと俺を交互に見やるコウちゃん。違うんだよ、もしかしたらそのあとそんな展開に発展するかもしれなかったけど…コウちゃん……
「お楽しみだったわけか」
「勝手に言ってなよ…」
俺は敗者のボクサーのごとく、酷い姿で立ち上がった。コウちゃんと向き合うと、冷めた目で見下ろされた。だから、違うっつーの!
「で、お前達は何か用があって来たんじゃないのか?」
「いや用事っていう用事はなかったんだけど…」
「カメラがほしいの。コウちゃん」
「カメラ?」
コウちゃんが不思議そうな顔で、片眉を持ち上げた。名前ちゃんはニンマリ笑ったままで、説明する気はないらしい。コウちゃんの視線がこちらに向くのに気付いていたが、俺も黙ってた。
「…よく分からんが、とっつぁんか六合塚あたりに掛け合えば、取り寄せてもらえるんじゃないのか」
「弥生ちゃん?」
「クニっち?」
俺と名前ちゃんの声が重なる。
「いつも雑誌やらカタログやら読んでるじゃないか。芸術系の人間なら中古のカメラなんかも詳しいんじゃないのか」
コウちゃんはそれだけ言うと、俺たちに手を払って奥の部屋へと行ってしまった。
「縢、行ってみよ!弥生ちゃんとこ」
コウちゃんの部屋を出つつ、隣で歩く名前ちゃんがはしゃぎながら言う。頷こうとしたところで急な大声に床をつまずきそうになる。
「お前達、宿直忘れるなよ!!」
…コウちゃんの大声を背中に食らったのは言うまでもない。
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