夏の奥の歌のいろ
*series執行官6
※『たまには休息も大切』,『異国の地で』,『299/300【#1.5】』などのヒロインと同一人物です
※フェスの内容については完全オリジナルで、設定が破綻している可能性があります。ご了承下さい
都心部の外れにある人工ビーチには、毎年夏季になると多くの海水浴客で溢れる。その人工ビーチにて、本日グランドサマーフェスティバル≠ネる海の家フードの祭典が開催された。人工ビーチには、普段から多くの出店や海の家が立ち並んでいるが、この期間には特設会場が建てらる。そこでは王道のラーメンや焼きそば、本格的な中華までが食べられる。しかしそれだけならば普段通りである。
このフェスでは、一部の商品に限るが、原料にホンモノの食品が使用され、調理、販売がされている。
ハイパーオーツが主流な世の中で、民衆にとってそれは、日常とは異なる珍しい食事を摂れる良い機会であった。
完全国産の食品を、衛生管理の成っていない野外で取り扱うことは、非常に難しく、食品管理法にも触れる。始めの頃こそ非合法的に敢行されていたこのフェスも、来客数が増えていくのと共にオフィシャル化され、政府との協同要請の元で開催され始めてからは今回で四回目になる。
過去に起きたフェスの混雑に伴った、痴漢やスリ等犯罪、それらによるエリアストレスの上昇が見込まれたため、近隣の道路整備を担当する交通課に加え、今年から刑事課も私服警官として現地に駆り出されたのだった。
天井に下がった照明が差す熱さの元、浜辺で楽しそうに遊ぶ子どもたち、浅瀬でビーチボールを飛ばすカップル、フェス会場内外で食事をする一家や友人同士のグループを見届ける。公安局刑事課一係としては、いつもの潜在犯を追うのとは天と地ほど差がある楽な任務だった。
途中一名のスリ犯と遭遇したが、霜月・須郷・福炉班が迅速に捕まえ大事にならなかった。午後6時をもってイベントは無事に幕を閉じ、人工ビーチも本日の営業を終了した。
**
暑くて長かった会場の誘導を終えて、須郷さんと雛河くんは特設会場へ向かった。今日任務についた公安局の警察に謝礼ということで、無料で料理を振る舞ってくれるらしかった。私服だからか、二人ともいつもより若々しく見え、街中にいるごく普通の青年のようだ。
途中、常守さんと、ビキニを身に付けて上からTシャツを纏った美人お二人(霜月さん、弥生ちゃん)からも一緒に行こうと誘われたけど、後から行きますと濁してしまった。
一番話したかったひとがこの場に居なくて、なんとなく、探しに行きたかったから。
そうしてわたしは一人、ビーチへ向かう。更衣室の前で、ごみの片付けをしているドローンスタッフ数台と、すれ違う。
コインロッカーが並ぶ通りを抜けると、あたり一面が海、紺碧が広がる高台に着いた。さっきまでの喧騒がまるでうそみたいにビーチは静かで、波は穏やかに凪いでいた。昼間青く突き抜けたホロの空が映されていた天井には今、茜色がさしている。
探してた人はすぐに見つかった。背の高い分、長くなった影が延びている。鉄柵に肘をつき、腰を折る姿は猫背で、ちょっと窮屈そうだ。
ビーチサンダルをずりずりと鳴らしながら近付いて、声をかけてみる。
「宜野座さん」
「……福炉」
振り返った宜野座さんは、目が合うと、ちょっとだけ笑ってくれた。
宜野座さんの隣に並んで、海岸方面を見つめた。短い溜め息が聞こえて、ふと隣を見ようとする前に、わたしのつむじのあたりに熱が触れた。それは大きくてあたたかな手のひらの熱だった。
続けて、
「お疲れ」
と言った。
宜野座さんの、声に染み出た優しさがうれしくて、お疲れさまでした、と答えながら微笑みを返す。少し距離を取って、宜野座さんの全体を眺めた。
改めて、今日のこの人の格好はとても珍しい。
普段全く身に付けなさそうな極彩色のカラーリング。宜野座さんの言うところの『部屋に遺してあった、親父のアロハシャツ』を身に付けている。
襟元から見える無駄な肉のない身体つきに、妙な気分になってしまう。わたし……変態みたい。
「何をじろじろ見てる」
宜野座さんが拗ねるように言うから、慌てて顔を反らして、話を振った。
「あ、そういえば。今日、監視官の目を盗んでこっそり、フルーツジュースを飲んじゃいました。さすがにフルーツはホンモノじゃなくて、フレーバーを足してるらしいですけど。宜野座さんは、なにか食べました?」
「いや俺は……。途中……常守が、屋台に目移りしてな。連れ戻すのに苦労した」
「そっか。ちなみに、なんのお店ですか?」
「……たこ焼きだ」
「へぇ、いいなー。たこ焼き、美味しいですもんね」
時たま、ユニークな常守さんだから、霜月監視官とは違って、本当に食べそうだ。熱々なたこ焼きを頬張る常守さんを想像したら、本当にかわいらしかった。その姿を呆れながら見る弥生ちゃんと、宜野座さん。
想像なのにちょっと妬いてしまう自分がいたりする。
「海は? 入られなかったんですか?」
「ああ……他の係の奴等が見回っていたからな、俺達はとにかく日陰で目を光らせていたよ」
「せっかくこんな日は、上司の監視も薄いんだよ? 入っちゃえば良かったのに……。」
「そうやって、こっそり想像しては監視官の後ろで笑ってる君の顔が、簡単に思い浮かぶよ」
変なところが真面目な性格だから、実際にはやらないけど、宜野座さんにはお見通し。
風に乗って潮のにおいがここまで香ってきている。規則的に揺れる水面に反射する陽が、眩しくて、目を細める。思わず、懐かしい、とつぶやいてしまった。
「ここ、誰かと来たことがあるのか」
真面目で、律儀な、宜野座さんの良いところ。流さずに、きちんと尋ね返してくれる。
「はい。潜在犯になる前ですけど、あります。その……当時、お付き合いしていた方と、来ました」
はっとして、口をつぐんだ。戻ることのない人生の、過去の遺産。わたしとしては、この道を選らんで、選択ができて、後悔していないんだけど。
余計なことなのに、宜野座さんは誠実に受け止めてくれる。
「そうか。じゃあ、まだ君が学生時代の頃だな」
「そうなんです……。わたし、結構泳ぎが得意なんですよ……彼氏のこと放って遊んでたら、呆れられました。同じ夏に、振られて」
「……。」
潜在犯になってから、海に来ることなんて滅多になくて。ずっと公安局の部屋に籠っていると、外の世界は、特別な場所という思いが強くなった気がする。
しばらくの沈黙があったあと、宜野座さんが静かに、一言告げた。
「入るか」
「……え?」
「海。入れば良い、と言ったのはお前だろう? ……だから俺は、入る」
「えっ? ……きゃっ!って、あ……ちょっ、待って、宜野座さんっ……!」
宜野座さんは突然、羽織っていた極彩色のシャツを勢いよく脱ぎ捨てた。
慌てて顔を反らすと、中には薄い白Tシャツ一枚に、ハーフパンツの水着を着ていたようだ。それでも、普段より多い露出に、心臓がひっくり返りそうな気持ちがする。
「水着とはいえ、濡れちゃったら帰りが大変ですよ?!」
「っ……、いや、問題ない」
宜野座さんは浜に続く階段を降りると、ずんずんと風を切るように歩きながら、すぐ海辺に着いてしまった。わたしも、すぐに背中を追いかける。
「義手は!? 大丈夫なんですかっ……?」
「何……泳ぐわけじゃないんだ。平気だよ」
あ……、泳ぐわけじゃないのか。なるほど。
さっきのわたしの話の流れからして……一緒に競泳でもするのかと思ったから。思わず彼の「身体」の心配をしてしまった。気分を害していないといいけれど……。
膝下辺りまで海に浸かった宜野座さんから声がかけられて、もうこれ……完全に呼ばれてる。
「そういえば、霜月や六合塚は水着を着ていたようだが、君は着てないのか?」
「!!」
宜野座さんの何気ない一言に、ガーンと心の悲しい鐘が打たれた気分だ。
宜野座さんはすぐにわたしの顔色に気が付いたようで、少し慌てた。
「す、すまん……その……ただ、女性陣で合わせているのかと思って……考えてみたら、常守も私服だったな。すまなかった。忘れてくれ」
「えっ!? いや、あの……こちらこそ、期待に添えず、すみません。わたしなんてちんちくりんが着られる水着がなかなか無くて……昔着てたのと似ているのを、着てはみてるんですが……」
そう。実はこのワンピースの下には、元カレとこの海に来たときに着ていたような水着を、一応、着ているんだ。勿論、施設に入った頃に以前の生活の荷物は処分されたから、同じ商品ではないけど。似てるもの。
宜野座さんは、わたしが着てるって言ったからか、急に静かになってしまう。
でも……海に入るなら、水着の方がいいよね……? 宜野座さんも脱いでいたし……
「あの、じゃあ、わたしも水着で入るので……。ちょっとだけあちらを向いてもらって良いですか……?」
「あっ!ああ……も、勿論」
つい数ヶ月前、シーアンで共に戦い抜いた上司とは思えない程の狼狽えっぷりに、ちょっと笑ってしまう。
誰にも言うことはないけど、宜野座さんって、可愛らしいところがあるように内心、思う。それから時々、目元に宿る「あの人」の面影を感じ取っては、頬が緩んでしまうのだ。
羽織っていたシャツを、丁寧に畳んで、濡れないように浜ではなく、近くの石畳に置いた。
「……宜野座さん」
控えめに声をかけると、宜野座さんはちらりと伏せ目でわたしの様子を伺った。
別に、本当に、たいした水着じゃない。昼間のビーチでも、若い婦人たちが着ていたような、布面積が多めの、スポーツ向けの水着だ。
「あの、そんなに、じろじろ見ないでくださ……」
「よく似合ってる」
右手を差し出された。
「おいで、凪」
自然と引かれる手に、追い付かない心と足がもつれて、おまけにビーチサンダルが転がった。
気が付いたら、静かに凪ぐ海のなかにふたり、立ちすくんだままでいた。
「あ……名前。」
「あぁ……うん……たまには、そういうのも、良いだろ」
「じゃあ、わたしも?」
久しく呼んでみたら、きっと心が破裂してしまいそうになってしまう。
「凪がいいなら、俺を呼んでくれ」
「……のぶ、ちか、さん」
「うん。凪」
潮風に、束ねずにいた髪が頬に張り付く。
宜野座さんは、わたしの頬に、細い指を寄せて、そっと掬ってくれた。
「好き、宜野座さんが」
視線が熱く交わった。
そのまま、下唇をなぞるように、彼の指が動くのを感じる。
少しひんやりして、冷たい宜野座さんの左手が、わたしの背中のくぼみあたりを辿る。
直感的に目を伏せると、夕陽に煌めいた波に、目が眩んだ。
彼のあたたかさを感じた……その瞬間……無機質なデバイスがわたしたちの身体の間で鳴り響いた。
**
酒の臭いが溢れかえる宴会場で……わたしは今、わたしの好きなひとの腕の中で眠る……上司を見届けている。
「ごめんね……その……さすがに酔った須郷執行官と……お姉ちゃんが……手に負えなくてさ……」
「問題ないわ」
わたしのとなりで、いつもより格段に、健康的に顔を赤らめた雛河が、申し訳なさそうに肩を落とした。
宜野座さんに軽々と持ち上げられ、横たえられた朱ちゃんは、気持ち良さそうに眠っている。こんなにむぼうびな姿、久しぶりだな。その事実に、心がざわついた。もっと側に寄り添ってあげないといけない子なのに、たくましく生きて、行ってしまう人。かつての、狡噛さんのように。
ため息をつきながら後片付けをする霜月監視官へ近付くと、わたしの濡れた太ももを見て、表情を変えた。
「貴方、海に入ったの?」
「ええ……膝くらいまでね」
「一人で?」
「野暮な質問ね」 聞き耳を立てていたのか、弥生さんがわざとらしいボリュームで呟いた。
明らかに顔色を変えてわたしと宜野座さんを交互に見る監視官に、思わず「やめてください!」と赤面してしまった……。
「その、わたしと宜野座さん。そんなんじゃ……ありませんから……」
「そんなんって、どんなんよ……ったく。猟犬のくせして……」
変なところに引っ掛かってしまったのか、霜月さんは、しばらくぶつぶつと小言を漏らしながらも、片付ける手は決して緩めなかった。
わたしはといえば、素足のままひたひたと縁側で休む酔ったふたりのもとへ移った。
朱ちゃんと須郷は、変わらず、しっとりとした本物の畳の上で、肢体を緩めて、あたたかな視線のなかで、こどものように眠り続けていた。
ある家庭が、家族だけで過ごす夏のような時間を共有していることに、胸が締め付けられる思いだった。
向こうにいる宜野座さんは、弥生さんや雛河、霜月さんに囲まれて、目許に皺をつくっては、あたたかいくちびるをゆるやかに引き上げて、優しく、やさしく微笑んでいた。
#title by 夜にたねまき