02


「…………」
「……なんか言ってよ」


 なかなか返事が来ないので、白い海に浮いたフレークから顔を上げてサイケを見れば、サイケはびっくりすることに、ピンクの瞳を今にもこぼれ落ちそうなくらいに潤ませていた。

 ぎょっとしてスプーンを落としそうになる。


「凪ちゃ〜〜んありがと〜〜!!!!オレ、嬉しすぎてちょっと泣きそうだよ!」
「ちょっとっていうか、かなり泣きそうだけど……」


 言ったそばから、ぼろりと音を立てるかのように涙(人間じゃないから、水?)がサイケの頬に伝った。
 それを拭いながら、サイケは歯を見せて笑った。


「そっかぁ……凪ちゃんは、オレのことをそんなふうに思ってくれてたんだね。うんうん!僕、嬉しいよ!またひとつ凪ちゃんのことを知れたしさぁ。これが、世間で言う、ツンデレってやつだろう?」

 一人でうんうんと頷くサイケ。黙って聞いていると、サイケは更に舌を動かした。

「それにしても臨也さんも本当素直じゃないよねえ。はじめは臨也さんが管理するって聞かなかったのに。今じゃ凪ちゃんがオレを気に入ってるみたいだからって、こうやって四六時中凪ちゃんのお世話をさせてる。
オレと凪ちゃんが二人っきりになることよりも、凪ちゃんの生活のほうが大事なんだねぇ」

 え?とあげそうになった声は、フレークを喉につまらせることで消えた。すぐにコップに入った麦茶を差し出してくれるサイケに礼をして、流し込む。てゆうか、牛乳に麦茶って。

 組み合わせの気持ち悪さを感じるのと共に、ぼんやりと臨也とサイケが初めてこの家に来たときの言葉を思い出していた。


──あげるって言っても、お前の管理はこのまま俺がするけどね。君を出すのは俺が凪の部屋に来たときだけだよ。

──…オレは臨也さん達の幻覚なんだ。だから臨也さんが設定した人たち以外にはオレの姿は見えないんだよ。


 そうか、とわたしは理解した。

 臨也があれから音沙汰ないのは忙しいからだけだと思っていたけど、サイケを作ったのは臨也なのだから、わたしたちの暮らしも筒抜けになっているのだろう。
 それでいて、これまでサイケをわたしのそばに置いていてくれた。

 こんなことを忘れるくらいに、わたしはサイケとの時間を楽しんでいたんだ。

 ただ、心の底では、臨也の代わり、と、して。


「『もう、他人じゃなくなっちゃった』……って思ってくれて、いいんだよ?」


 は、とサイケの顔を見れば、いつも浮かべてる笑顔はなくって、ちょっとだけ拗ねた顔。
 臨也の怒った顔と、よく似ている。
 そんなことを考えていたら、サイケが頬杖を付いて、一言。


「ね、今は、オレのことだけ見て」

「……いつもサイケに触れられたのも、声が聞こえたのも、わたしだけ?」
「……そうだよ。忘れてたの?臨也さんと、ナミエと君だけなんだって。今頃はお隣さんに、独り言、大丈夫かしらって心配されてるかもね」
「サイケは、わたしの考えてることが分かるの?」
「そりゃ、ね。オレはさ、所詮」


人間じゃないから。


「サイケ……」


 どうしてだろう。わたしは今、あなたが考えてることが分かるよ。そうすると、わたしは人間じゃないってことなのかな? ううん、そうじゃない。サイケにもちゃんと、あるんだよ。人間の喜怒哀楽、ひとを思いやる気持ちも、いとおしく思う愛情も。

 言葉にしてないはずなのに、またもやサイケはわたしの心の内を読み取ったのか、ふわりと笑った。


「ありがとうね、凪ちゃん。でもオレは、やっぱり此処にいるべきじゃないんだ」
「……え?どういうこと?」


 臨也さんと会える良い機会だし、とサイケは一人言った。
 どういうこと?と尋ねても、答えてはくれない。


 代わりに吐き出された言葉に、わたしはただただ困惑するだけだった。

---

 すれ違う人にぶつかりそうになるのを避けながら流れをぬうようにして構内を走っていた。額に伝う汗でメイクは落ちてしまいそう。
 左腕の時計を確認する。約束の時間を六分過ぎたところ。
 車両点検のおかげで遅れるはめになってしまった。

 荷物をつっかえさせながら改札をくぐったところに、見慣れた丸い後頭部と黒いファーコートの後ろ姿を見つける。


「臨也……っ! お待たせ!」


 わたしの声に振り返った、二週間ぶりの、だけどそう変わらない臨也は、わたしの姿を確認して嬉しそうに目を細めた。


「ごめんね、待ったでしょ?」
「全然。俺も、ついさっき着いたって、メールしたのに返信ないから」


 慌ててケータイ電話を取り出せば、着信ランプが点滅していた。画面には“折原臨也”の文字が表示されている。


「わ、ごめん……」


 何から何までツイてないことばかりだ。情けなくなって謝れば、首をかしげられてしまった。


「どうしたの? そんなに、おどおどして」


 なんにも知らない臨也の目。ただ純粋に不思議に思っているのが伝わってきた。これで演技をしてるのを見抜けないほど、臨也と適当に付き合ってきてはいない。


「ん、何もないよ」
「……ふぅん。まあいいけど。さてと、じゃあ行こうか」
「どこに?」
「俺の部屋」
「え? 食事は?」
「うん、食事もするけど、外食はまた今度。今日は家で作ってよ。それともピザでもとろうか」


 臨也に手を引かれながら折角お洒落してきたのにとガックリしていると、チラッと振り返った目が合う。


(何か言いたいことでもあるの?)


 有無を言わせない臨也のひとみに、並んで歩くことで降伏を示す。



***


──今夜、臨也さんをこの部屋に連れてきてくれる?何時でも良い。オレ、待ってるから


 昼前、サイケに言われた台詞に、わたしは胸の中がとっても複雑に色んな糸が混ざりあって、気持ちが悪かった。
 折角こうして臨也との時間を過ごせてるのにどことなく上の空だし、広すぎる部屋も革張りのソファも今日は馴染まず、落ち着かない。

 食後。ダイニングテーブルの向かいに座る臨也は、食後に出したフレンチトーストを美味しそうに頬張っていた。


「料理、上手くなった? 前に作って貰ったときよりも美味しい気がするんだけど」
「前に作ったときは誰かさんが料理の途中でちょっかい出してきたから失敗したし、その前は作ってる間に仕事が入っちゃったでしょ」
「……」
「……なんか言ってよ。」
「その時の俺を、殴りつけたい気分だね」
「あら、会わない間に冗談が下手になっちゃったのかしら」


 明らかにむっとされた。けど、このくらいならいつものお返しで良いでしょ?


「昨日の夜、メールしたときはそんなじゃなかったよね。今朝、何かあったの? それとも二週間も放ったらかしにした俺への愛は、もう冷めた?」
「そんなわけない。ずっと会いたくて仕方なかった」
「うん。俺も。凪に会いたくて、予定より早く仕事が片付いたよ。けど凪は毎日俺に会ってたも同然じゃないか。あんなに瓜二つなんだからさ」


 きた。
 臨也の口からサイケデリックの話題が出るのを待っていたわたしは一瞬、くちびるをびくつかせてしまった。
 臨也は二枚目のフレンチトーストを食べやすく等分するのに夢中だから、多分気が付いてはいないが、わたしは今かなり動揺している。

 目線を落としたまま臨也は口を開く。


「で、あいつとの暮らしはどうだった? 結構可愛いところあるんだろう、俺と違って。浪江の話じゃ俺が基盤に造られてるはずなのになあ。あ、結局“寝た”の?」
「臨也、今どんなに最低なこと言ってるか解ってる?」
「はは、解ってるよ。でも認めたくないだけ」
「何を」


 俯いている顔、その隙間から垣間見えた表情は、計画性のあるあくどい彼の顔ではなくて、心の深い奥底が剥き出しになっていた。
 あまり見たことない臨也の態度にたじろぎ、かける言葉が見つからない。


「俺さ、初めに言っただろ。管理するのは俺だって。実のところ、今の仕事がなかなか忙しくてね。あいつを凪に引き渡してからしばらく思い出すこともなかったんだよね。もちろん君に連絡を入れる暇も無くてさ。
ねえ、ちゃんと気付いてた?」


 最後の問いかけにはうん、と頷いた。
 臨也は普段どんな期間直接会うことはなくともーー万が一、事件に巻き込まれたり、入院することのない限りはーー最低限、三日に一度は連絡を寄越すはずだった。


「ならよかったよ。君が愛想を尽かしてないって言ったのは真実そうだね。」
「言ったじゃない。会いたくて、仕方なかったの」
「……その顔、あいつにも見せたの?」


 臨也は、いつの間にナイフとフォークを揃えて置いている。無音の世界は苦手だ。臨也と付き合い出して余計、そうなった。
 あせると早口になって、場を持たせようとしてしまう。


「俺に、会いたくて会いたくて仕方ないって顔」
「顔には出してない、つもりだけど」
「うーん。もろに出てるよ」
「茶化すとか、あなたは思ってない証拠」
「俺が誰にでも心を許す人間じゃないってことは、君だってわかりすぎてるはずだけどね」


そうやって、またすぐに裏をかくような目で見るから、勝手に臨也のペースになっている。

どうしたものか。


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