愛しき生けるもの


 宜野座さんの伏せられた目はとてもきれいで、男性なのに“美”を感じる。怒られるのを覚悟してでも眺めていたいのだ。あわよくば、レンズ越しに見つめ合いたい。どんなに宜野座さんに夢中で報告書を滞納しても、犯人に後頭部を殴られても、わたしにとってはその価値アリな被写体だ。
 それを真摯な姿勢で宜野座さんに伝えると、ふんと鼻だけで笑われた。

「お前が報告書を滞納するのはいつものことだろう。それに怪我は駄目だ。ただでさえ少ない人員をこれ以上減らすわけにはいかん。あと、さりげなく職場に“それ”を持ち込むな」
「非番なので、宜野座さんに言われる権利はありませーん」

 言ってやれば、視点を“それ”に向けてから、ため息混じりで眼鏡に触れた。いつもそんなに気にかけてくれてありがとう、宜野座さん。

「今日は、撮らせてくれるまで帰らないって決めたんです」

 眼鏡のむこうの両目がつり上がる。そんな宜野座さんにべっと舌を出しながら、監視官デスクの向こうから伸ばされた腕をひらりと避けると、ガコッと鈍い音が響いた。肘をデスクに打ち付けたらしい。痣にならないといいけれど。
「お願いっ! 宜野座さん。一枚でもいい、撮らせて!いつか食堂で何か奢るから!」
「えー?! 凪っち、ギノさんだけずりぃ。俺も何か奢ってくんないの?」
「縢の分は、宜野座さんが払うって」
「うっほマジ?! ギノさーん俺からも頼みます」
「ふっ、ふざけるな縢! 福炉も余計なことを言うな!」
「まあ、宜野座さん、落ち着いて下さいよ」

 縢のあまりのいい加減さに耐えきれない宜野座さんをどうどうと手で制すれば、宜野座さんの握りしめられた手が震えた。でもあんまりいじると可哀想だし、なにより目的が果たせなくなってしまうのは困る。忘れられなくなってしまうから。

「ね、お願いします。一枚でいいので」

 毎度お馴染みのやり取りに勤務中の面々(宜野座さん、縢、それに弥生さん)は溜め息のオンパレード。一係には溜め息発電、などというものを設置すれば良い。三人分のコーヒーなら淹れられそうだ。勿論、そんな発電法が存在していればの話だが。

「お願いします、宜野座監視官?」

“首をかしげて可愛コぶれば、大抵のオトコは落ちるのよ……”

 唐乃杜さんが言っていたテクニックを発動してみれば、全員がこちらを見ていた。まったく感情の無い目で。

「あの……せめてリアクション下さい……ヘコみます、さすがに」
「古いわね、それ」

 弥生さんの言葉に、男二人は顎を引いて肯定の意を示していた。この空気であなたの恋人発案ですよ、とはさすがに言えなかった。



 しばらくして常守さんや征陸さんが交代でやって来て、当直を替わった。
 夕方、わたしと宜野座さんは厚生省の前にあるベンチに並んで座っている。
 こんなところで休んでいたら堂々と職務を放り出してます! と宣言してるようなもんですよ、と宜野座さんに言えば、小言を食ら……わなかった。あれ?

「宜野座さん、仕事のしすぎで優しい人になっちゃったんですか?」
「はっ……?」

 狡噛さんばりに睨みを効かせてくる宜野座さんがこわい。いや、わたしは狡噛さんに直接睨まれたことないからたとえが適当か分からないけれど。

「そんなに睨まないで下さい……」
「あ…… すまん」

 ふい、とそっぽを向かれてしまう。けれどわたしにはご褒美だ。うつくしい輪郭をしたその横顔に、思わずカメラを構えていた。

「宜野座さん」
「なん……」

 だ、と、言いきる前にフリーズ。わたしの、動かないで下さい、という声に応えて。

「きれいです、ギノさん」
「……それはほめているのか馬鹿にしているのか、分からないな」
「何言ってんですか。ほめていますよ、もちろん」
「お前も上司に対して、随分と言うようになったもんだ」
「えへへ、常守さんの影響かもしれませんね」

 宜野座さんはわたしの一言に少しだけ顔を俯かせた。その瞬間に、シャッターを切った。レンズ越しに、わたしの大好きな目元を見つめる。

「楽しいか?」
「ええ。とても。本当は任務中の貴方も撮りたいところですけど」
「そうか」
「もう、そんなに時間もないと思うので」

 腕を下ろすのと同時に宜野座さんのひとみがわたしを捉える。とても、困惑した目付き。

「どういう事だ」
「……定期考査で、ちょっと引っ掛かりまして。少し前から、すぐに息が上がるし、おかしいなとは思ってたんですけど」

 局長からの通達を思い出しながらわたしはなるべく明るくとりつくろった。 ──残念な知らせだが、執行官として継続して勤務する事は健康上不可能だ。
 別の課に移ることでここに留まるか施設へ戻るかは自分で選べ、と局長は一週間の猶予をくださった。

「ほら、カメラを持つようになったでしょ。ちょうどそれくらいからなんです、発病したのは」
「そんな……それは、“それ”を手放せばいい事だろう」
「それとこれとは、別なんです。わたしもビックリしたんですけどね、逆に、趣味のおかげで少しずつ犯罪係数が下がってきてるんですよ。不思議でしょ? 精神的なケアーのために手放すなって、お医者さんにも言われました」
「ここをやめてどうするつもりだ」
「施設へ行きます……戻るんじゃなくて行けるように、あと一週間、セラピー頑張って受けます。そこで、患者さんに向けてセミナーでも開こうかなって」
「行って、どうする」
「もともと美術系の判定は出てたのでちょうど良いかなと……」
「違う! お前だって病人なんだろう、そんなやつが、潜在犯相手に何が出来るっていうんだ」
「宜野座さ、ん」

 宜野座さんはそれきり、黙ったままで。固く結ばれた拳に息がつまる。ふたりの間をビル風が吹き抜ける。わたしは静かに手元を見つめていた。ふと頬に熱を感じて顔をあげると、正体はそれら辺り一面、ノナタワーまでもを包み込む夕陽だった。
 絶対不変的なこの光に、めまぐるしいこの街ですらすべてが身を委ねて、闇に包まれて行くのだ。わたしはあと、なんどこのうつくしい光を生身に浴びることが出来るだろう……
 言い過ぎた、と宜野座さんが呟いたのはそんなことを巡り巡り考えていたころだった。

「いいんです。分かってますから。それに、宜野座さんはいつもわたしのこと心配してくれていたでしょ? いつも嬉しかったから、いいんです」
「……俺に出来ることは、ないのか」
「ないですよ。お気持ちだけで嬉しいし、今こうして前向きにいられるのは、宜野座さん達のおかげですし」

 カメラに触れてから宜野座さんと目を合わせて、はにかむ。少しだけ心のうちにある、虚しさを悟られないように。

「そもそも宜野座さんが居なかったら、また美術に触れようと思わなかったし…… 弥生さんがいなければ、カメラが手には入ることもなくって。縢と常守さんの快活さに惹かれて、前よりは社交的になれたし。お父さんみたいな狡噛さんと征陸さんもいて……わたし、めいいっぱい楽しみましたから。もういいんです」
「局長から福炉に直接話が通ったのは、本当のことなのか?」
「はい。わたしも直々だなんて驚きましたけど」
「理由は何にせよ、なぜもっと早く上司に知らせない。施設に行くのはもう少し経ったらでもいいだろう。そう急がなくとも」
「局長から聞いた日にその言葉を下さったら、迷っていたかもしれないけど、今はもうやりたいことが出来たんです」
「それが、写真なのか」
「はい。すぐにここを去るってわけじゃ、ないですけど」

 宜野座さんは深く息をついて、脱力をした。何だかんだ、可愛がってくれていたのはわたしだってよく分かっていて、恩を仇で返すような真似をしてるのも承知してるのだ。

「だから最後のお願い、聞いてもらえますか?」
「福炉……」

 わたしが好きな宜野座さんの困った表情、好きなしぐさ。

「いいですか?」
「……まったく、頑固なところも常守譲りか」

 宜野座さんは目を伏せ、肯定の意を示した。敵わんと、そんな風に言いたげに。

「顔を、上げていてくださいね。そのまま動かないで」
 わたしの声に宜野座さんはゆっくりと、顎を持ち上げる。宜野座さんをふちどるラインはどこもかしこも美しくって、ずっとずっと見つめていられる。

 雲の切れ間からこぼれた淡いひかりが、まるで布のように柔らかく揺れていた。
 写真は嘘をつかないから好きなんだ。陽は、普段は見えない宜野座さんの影を創った。こんな表情も出来るひとと、またひとつ新しい一面を知る。
 望んでいた瞬間をようやく手にする代わりに、わたしはこれから、あまりに大きなものを失うのだ。

「今日、俺が外へ出た理由を教えてやる」
「え?」

 唐突に、宜野座さんが言った。

「お前が、あまりにも思い詰めた表情で頼み込んできたからだ。いつもとは明らかに違う様子でな」
「え。わたし、やだ。そうでしたか?」
「上手く撮れ。下手に撮ったら、報告書も倍にするし、今度潜在犯の前にお前を突き出す」
「こわいです、宜野座さん」
「それから、何か奢るっていう約束も有効だからな」
「はい。分かりました」
「分かればいい」

 満足げな顔で眼鏡のフレームを持ち上げた。いつのまにか、いつもの宜野座さんに元通りだ。宜野座さんの優しさを感じるのとともに、取り繕う様子が可笑しくて笑ってしまうと、宜野座さんがふわりと微笑む。
「あ、いい顔してます。宜野座さん」

 わたしは右人差し指に力を込めるのと一緒に胸の内で、こっそりとシャッターを切る。
 この瞬間を脳裏に焼き付けて、忘れないように。この気持ちを、いつでも思い出せるように。



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