カチリ、コチリ。
時を刻む音が、ただ響く。

「―――なんで、断ったんですか?」

僕は背後にいる湛山さんに、静かに問いかけた。悲しげに扉の向こうに帰って行った少女を思い、つい少しばかり責めるような口調になってしまったのは仕方ない。
本人の意志関係なくこの時屋に辿り着いた者は、心の底にあの頃に戻りたいだとか、未来に行きたいだとか……そんな願いを持っている。それを叶えるのが、時屋なのに。断るなんてことは、今まででなかったはず。期待させるだけさせてしまって、落胆させてしまった。どうしてあの子だけ。湛山さんは、あの儚げな彼女の願いだけ、どうして断ったんだろうか。
返事のない気配に焦らされて振り向く。そこには、どこか困ったように苦笑する顔があった。

「蘆花、私はなにも意地悪をしたんじゃないよ」
「っ、だったら叶えてあげても……」
「私にだって、出来ない事もあるということだ」

その言葉は、酷く心に突き刺さった。湛山さんにも、出来ないことがある…?そんな可能性は今まで全く考えたことがなかった。だって湛山さんは、性格に難はあれど、きっちり仕事はこなす人。だけど自分が尊敬し慕うその人が、出来ないと言う。彼は嘘をつかない人だ。だとしたら、何故出来ないと言うんだろうか。……ああ、僕は今までいったい何を見てきたんだ。

「……、」

この人の助手失格じゃないか。何故叶えてやらなかったのだと責めてばかりで、この人が出来ないという理由すら検討もつかないのだから。

「―――、」
「蘆花」
「、」
「…蘆花」
「僕は、」
「ねえ、知ってるかい?蘆花は素晴らしいよ」
「、は?」

俯き悔しくて歯を食い縛る。と、湛山さんからかけられた言葉は、いきなりすぎて一瞬意味がわからなかった。というか、話が飛びすぎて。素っ頓狂な声を上げる僕に、湛山さんはクスリと笑った。

「蘆花は頑張り屋で、真面目で、少し堅いけれど、根は優しくて、温かい。他人の為に心を動かすことができる。それは誰にでもできることじゃないんだよ」
「、」
「君は彼女のことを思っただけ。それでいいんだよ。私だって、本当なら叶えてあげたいさ。でも出来ないから、代わりに蘆花があの子の味方をしてあげたことは間違ってないよ。それでいい」

……この人は、どうして。
じんわりと包み込むような言葉が少しずつ心に染み入る。ゆったりとした動作で持ち上げられた湛山さんの手が、ぽすりと頭に乗った。優しい手だ。初めて会った時から変わらない。

「小さいねえ、蘆花は」
「……湛山さんが大きいんです」

ようやく落ち着いた気持ちを整理しつつ、ならば何故彼女を未来に飛ばすことが出来ないのかを考える。その間、ただ湛山さんは見守るように例のロッキングチェアに腰かけて黙っていた。答えは自分で見つけなければならないものなのだ。
よく考えろ、自分。《時渡り》にはその人の時間が代償になる。ただそれだけの簡単な仕組み。深く考えずに単純に考えてみよう。飛ばせないということは、安直に考えると――。

「……代償が、払えない?」

そうならば、湛山さんがあの子を帰したのにも筋が通らなくもない。代償がなければ、願いは叶えられないのだから。

「湛山さん」
「…そうだね。それはほぼ正解。さて、代償が払えないということは、どういうことだかわかるかい?」
「……ま、さか」
「私にもどうやっても抗えないことだよ」

思い当たることはただ一つ。

「……彼女はもう、」

―――時を生きていない。つまり、死んでいる。
まさか、彼女は幽霊だったのか。気づかなかった。唖然とした顔を見た湛山さんは、理解したことを確認するとようやくその口から真相を語り始めた。

「私は《時》を代償としていただく。しかし、彼女はもう時を生きていない。私が時を越えて飛ばせるのは生きた者だけ。つまり、彼女は払える《時》を持っていないんだ。この場所に辿り着くことが出来たのは、おそらくここが時と世界の狭間だから。そこに生だの死だのは関係ないからね。何を思い残したのかはわからないけれども、彼女の魂は逝けなかったようだ。どうにかしてあげたいのはやまやまだがら私にはどうしようもないんだ。私の領分ではないから。ただ、下手な期待を持たせないようにするので手一杯だったんだよ」

見た雰囲気から、彼女はきっと生まれ落ちた時から好きに動ける身体ではなかったのだろう。早く、大人にでもなりたかったのだろうか。それとも何か別の夢でもあったのだろうか。
何も出来なかった僕には、ただ、小さなわだかまりだけが残った。



抗えない理




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