湛山さんの趣味とでも言おうか、この店――――《時屋(ときや)》は自由気ままにやっている。
店の主人の湛山さんは変わった人で、長年傍にいるけど何を考えているんだか未だによくわからない。
ただいつも笑みを浮かべていて、女性に好感を抱かれるような優男。絹糸のように細く長い黒髪は邪魔ではないのかと毎回思う。
しかしまあ、僕だっておかっぱみたいな髪をしているし人のことは言えないか。第一、湛山さんの助手とでも言えばいいんだろうか、そんな位置にいる僕もまた少し変わっているんだとも思う。
さてさて、話がズレたけど今は《時屋》の話だった。
え、何の店かって?
安直すぎる店の名前からもわかるように、一言で言えばとびきり変わった店である。
なんたってこの店が売っているのは《時》なんだもの。
《時》―――つまり時間。
過去から未来。未来から過去。それらを繋げることの出来る湛山さんは、この店で、《時》を売る。
よくわからないかもしれないから、わかりやすく例をあげるとしよう。
例えば、僕がどうしても戻りたい過去があるとする。その願いを、ここ《時屋》に来ると湛山さんが叶えてくれるのだ。つまり、湛山さんはその過去の《時》に僕を戻すことが出来るというわけ 。逆もまた然り。
――――これが、《時》を売るということ。《時渡り》だ。それがこの店《時屋》の商売。
ただし一つ、注意をして欲しい。
湛山さんは、《時》を売ると同時にそのお代として代償を要求する。その代償とは、これまた《時》。客の《時》をお代としていただく。
例えば、周囲の人々からその客が“いた”という記憶を。その時間ごと。大きな代償と感じるかは人それぞれだけど、そうやって《時》を貰わないと湛山さん自体がもたないとかなんとか。よくわからないが以前そのようなことを言っていた。
時を移動させるのだから、もしかしたら身体に負担がかかるのかもしれない。いや、おそらくそうだろう。
まあ。大体にして《時屋》に辿り着くこと自体が難しいから、頻繁に客も来ないわけで。湛山さんがぶっ倒れるなんてことは今のところ起きてはいない。
――――《時屋》。
それは、《時渡り》―――つまり客の望む《時》を売り、代償として客の《時》を貰う者である。
いらっしゃいませ