私のクラスには、スズキ君という無口な男の子がいる。いつも1人で、窓際の席に座りぼおっと窓の外を眺めている。耳にはヘッドフォンかもしくはイヤホンがあてがわれていて、そこからは彼の好きな音楽でも流れてるんだろうか。それを見かけない日はない。
別にクラスで浮いているわけでもイジメられているわけでもないけど―――というかクラスのみんなはそんなこと出来るほど肝座ってない―――でもやっぱり普通ではない位置付けにスズキ君はいる。
顔は美形…に分類されるほうらしく、クラスの女子がきゃあきゃあ騒いでいたのは記憶に新しい。美形らしい、か。なんとも羨ましい限りだ。
というのも、実は彼の顔をきちんと見たことが私はない。なんせ彼の前髪は長めであり、目元が隠れてよく見えないのだ。
人の表情を知る情報として口元が見えていることは大事だと思う。だけど、目元が見えていないほうが相手の表情がわからない気がしてなんとなく私は苦手。
つまり、スズキ君が苦手。あの独特な、失礼だけれども異質に感じさせられるそんな雰囲気が。そう、苦手なんだけれども。
「…、」
「…」
なんなんだろうこの状況は。落ち着かない。胃の下辺りがそわそわしてしまう。どうして私はスズキ君と2人だけで放課後の教室にいるんだろうか、と何度も思う度に今日の日付が悪かったと内心頭を抱えている。
どんな巡り合わせだろうか、つーか担任が面倒くさがり屋なおかげとでも言うのか。出席番号が今日の日付だったからという理由だけであの担任は私とスズキ君に雑用を押し付けやがった。よくわからんプリントの整理を。
ペラペラと紙を捲る音をBGMに、スズキ君が無口なのとたいして仲良くないという理由から、心の中はすぐにでもこの空間から逃げ出したい気持ちで一杯だ。いつか担任殴ってやると自分を押さえ込みながら耐える。
そんな私とは対照的に、机を挟んだ私の真ん前に座るスズキ君はいたって静かに仕事に取り組んでいる。相変わらず目元は見えないうえに、やっぱり耳にはイヤホンだけれど。それってつまり、話しかけるなと暗に言ってるんだろうか。あー、やっぱり苦手だ。
「―――…あ、私、持って、いくよ」
数十分の後、ようやく終わった雑用。ちらりとスズキ君の手元を確認して、作業が終わったことを確信する。彼の手元の紙の束を指差しながら自ら話しかけてみたはいいが、果たして彼は私の声が聞こえたのだろうか。ましてや見えてるんだろうか。反応なし?
ジ、とそのままでいること数秒。うつむき加減だったスズキ君がゆっくりと顔をあげて、さらりと流れる前髪の隙間から真ん丸のビー玉みたいに黒くて綺麗な瞳が私を見た。
なんて、瞳だろう。あ、と気がついた時には、そのビー玉の中には深くて暗くて、とてつもなく広い宇宙が広がっていて、身体ごと吸い込まれてしまいそうな気がした。
「……あの、それ」
再度プリントを指差して、伝える。喋らないしイヤホンを外すことはしなかったけれど、理解したのかコクリ1度頷くとトントンと紙の端を机で揃えてからそっとそれを差し出してくれた。
うわ、指まで綺麗。なーんて、どうして苦手なはずのスズキ君に食いついているんだ自分!渇を入れつつそれを受け取って、スズキ君の瞳から逃げるように足早に教室を後にした。
▼
夕日がガラスを通して校舎内に差し込む廊下を教室目指して歩く。担任に頼まれていたプリントは渡し終えたし、あとは帰るだけだ。さて、スズキ君はもう帰っただろうか。
帰っていて欲しいと願う反面、いて欲しいとも思えるようになったのは、悲しいかな美形に食いついてしまう女の性である。
どうせスズキ君と今後関わる機会なんてないだろうし、今日これきりでもう1度くらいはあの端正な顔を拝見したいものだ。ま、そんな簡単にいかないだろうし期待なんてしてないけど。
そうこう考えている内に教室へと着いた。教室の扉を開けようと手をかけて―――気づいた。
(う、わ)
なんだ、あれは。目をごしごししてみても、パチパチ瞬きしてみても、はたまたベタに頬をつねってみても。どうしたって視界に映った光景はくつがえらない。
なんてことだろう、私は幻を見ているのかな。いや違うあれは現実。
―――スズキ君、宙に浮いてる。
教室のほぼ真ん中。机よりも高い位置にその身体がほわほわ浮いてるのだ。マジックだとかそんなものじゃないことは、直感でわかる。
理解するや否や、私はイケナイものを見てしまった感覚に陥った。なんでとか、どうしてだとか思うより、見なかったことにしなければと言うどこか防衛反応に近いような考えで頭が一杯になる。
意識が遠いところに飛んでいきそうになるのを抑えつつ、手をかけていた扉からよろよろと数歩離れた。
と。
「……ミサトさん?」
ミサト―――私の名前を呼ぶ声が教室の中から聞こえてきて、ビクリ、肩が揺れた。中にいるのは、スズキ君だけ。スズキ君が、私に、気づいてしまった。
逃げようかという考えが頭には浮かぶが、どうしたことか身体が固まって動かない。焦る一方で、そう言えばスズキ君の声、初めて聞いたかもなんてことを呑気にも思っていた。きっと見なかったことになんてできないって、どこかで諦めていたんだと思う。
そのうちカラリ、扉が開いてそこからスズキ君が顔を出した。今はちゃんと、地に足がついているのを見て少しホッとする。スズキ君は、そんな私を見て「中に」静かに教室へと招き入れた。
「――は、」
数分後。聞かされた事実に開いた口が塞がらない。スズキ君、頭でも沸いたんだろうか。それとも理解出来ない私が可笑しい?確実に前者だろう。私はいたって普通だ。正常だ。
「僕、宇宙人なんだ」
「うちゅう、じん…」
「ワレワレハ、とか言ったほうがいい?」
んなバカな。少し無口なところはあるが、スズキ君のどこをみたら宇宙人だと言えるんだかさっぱり。だいたい、宇宙人って逆三角形の顔形をしていて、目は顔の半分くらいあってツルツルボディなんじゃないの?スズキ君、1つも当てはまってないじゃん。
彼の瞳が見えないことをいいことに、凝視する。イヤホンが外された今、スズキ君と会話が成立しているのが変な感じだ。そこでフ、とスズキ君が小さく笑った。こんなスズキ君レアだレア。というか、何故笑ったのかわけがわからず私は困惑した。
「ミサトさん信じてないでしょ」
「だって、」
「うん、信じなくてもいいよ」
「え、」
「顔形が逆三角形でなくても、目がすごく大きくなくても、ツルツルなボディでなくても。宇宙人は宇宙人だから」
あ。読まれてる。心の中の内側、自分だけが知りうることを知られている。なにこれ、スズキ君はエスパーなの?そんな疑問を表情で訴えれば「宇宙人だから出来るんだ」と答えにならない答えを貰った。ああ、ややこしい。
つまり、宇宙人であるスズキ君にはエスパー能力があると?
「そう思ってくれて構わないよ」
「……うん、わかった」
全部見透かされているかと思うと恥ずかしいけれど、まあ、スズキ君だ。誰彼構わずに言いふらしたりはしないだろうし、いいか。自分でもあっさりと納得してしまった。こんなんでいいのか自分。頭を抱えてる私の心を読んだのか、エスパースズキ君はクスクスと控えめな声をもらした。
「ミサトさん、いい人だね」
「え、どこが?」
「僕を宇宙人だって言いふらす考えはないところが」
すっかり機嫌麗しくなったらしいスズキ君は、にこりと笑ってさっきまで彼の耳にあったイヤホンの片方を差し出してきた。つけて、って?「何、聴いてるの?」「聴けばわかるよ」どうやら自分でも聴けということのようだ。よくわからないままそれを片耳に装着すれば。
キラキラと、まるで細波の優しいようなそれでいて違うなんとも表現し難い可愛らしい音が耳に飛び込んできた。ぽわーんとぼやけるような低くて温かい音やシャラシャラと砂時計の砂が落ちるような音も聴こえる。小さ過ぎてよく聞き取れない音も、耳に語りかけてくるような心地よい音も聴こえる。ああ、この音、好きだ。
聴いているだけでこの身体が、意識が、どこまでも広がっていくような不思議な気持ちにさせられる。この音達のハーモニーはまるで。まるで。
「「宇宙、みたい」」
「でしょ?」
したり顔でニヤリ、頬を緩めた自称宇宙人の少年は「それ、宇宙の音だから」と自慢気に言い放った。そしてこうも言った。
「ミサトさん、宇宙に行く気ある?」
ここぞとばかりにあの瞳が私を宇宙へと引き込みとらえて離さない。それは、私を気に入ったと言う彼からの、なんとも強引なお誘いだった。
少年Sの言うことは