「今朝は桂さんが出掛けてるから、私が全部作ったんだよ」
どこか誇らしげにそう言いながら、俺の前にお膳を持ってきたハル。
「この前桂さんに習ったの。晋作さんが好きなだし巻きの味付け!」
嬉しそうにハルが差し出した器にチョンとのっている黄色い塊は、お世辞にも上手に巻けてるとは言えないが・・・
ハルが俺を想い作ったのだと思うと、この世で一番美味いだし巻きに違いないと思えるから不思議だ。
早速目の前のだし巻きに手を伸ばし指でつまみ上げて、「行儀が悪い」とハルが制止するのも聞かずに一切れ丸ごと頬張った。
「ふん!ふまい!」
「晋作さん、喋るのはちゃんと飲み込んでから!」
小五郎がいない時には、それを補うかのようにハルが小言を言う。
そんな所も俺にとっては可愛くて仕方ない。
ゴクンと音をたてて飲み込んで再び口を開いた。
「小五郎の作るだし巻きより美味いぞ!」
「お、おだて過ぎだよ!味付けは覚えたけど、まだ全然上手く焼けないし!」
途端に頬を真っ赤に染めて、両手をぶんぶん振りながら否定するハル。
全く、可愛いにも程がある。
微笑ましくハルを見つめながら、俺はもう一切れ卵を摘んで口に放り入れた。
「ほんなほほはなひほ!」
「・・・もう、何言ってるか分かんないよ・・・・・・あ、晋作さん、卵が口の端に付いてる」
「んん?」
「そっちじゃなくて、ほら、ここ・・・」
ハルは普段俺が頭を撫でたり抱きついたりしようもんなら、警戒心丸出しの野良猫みたいに身を翻す癖に。
こんなふうに、不意にまるっきり無防備になって自分から近寄ってきたりする。
これは俺の前でだけなのか、他の男にもそうなのか…?
後者だとしたら始末に負えんぞ。
そんな考えが脳裏を過ぎるのと同時に、白くて細い柔らかそうなハルの親指と人差し指の先が俺の右の口端に一瞬触れて離れていこうとした。
芽生えたのは、少しの悪戯心。
膳を挟んで身を乗り出したハルの身体が元の体勢に戻る前に、俺はその細い手首を掴んだ。
「・・・それはオレのだ。勝手に持っていくな」
「?!」
驚き目を丸くしたハルの指先に摘まれているだし巻きの欠片を口に入れた。
指ごと喰ったそれは、ハルの指のおかげか先程よりも美味く感じる。
「・・・・・・っ!!し、し・・・」
「どうした?」
「っ!・・・い、今!ゆ、指!」
「ああ、美味かったぞ!ご馳走さん」
「〜〜〜っ!!」
真っ赤になって口をぱくぱくさせている顔を見てハハッと声を上げて笑うと、キュッと唇を噛んだハルに上目使いで睨まれた。
怖さの欠片もないどころか、そんな反応が益々俺を煽るのだと分からんのだろうか。
「まあそう睨むな!それよりお前、オレの事より自分の事を気にしろ!」
「・・・え?」
「付いてるぞ、頬に。飯粒が」
「ええ!?」
「恥ずかしい!いつ付いたんだろう?!」と、俺に左手首を掴まれたままのハルは慌てて右の頬を押さえた。
「そっちじゃなくてこっちだ」
「!!?」
すかさずハルの左の頬にパクリと喰らいつき、舌でペロリと舐めてからハルの手を開放してやる。
完全に思考が止まっている様子のハルを見て満足した俺は朝餉の続きを喰った。
うん、今朝は確かに、そんな無防備なハルを可愛い奴だと思っていたのだが・・・。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
巳の刻。
自室の襖を開けて出た俺は、廊下の向こうから聞こえてきた会話に眉を顰めた。
「いきなり胸に飛び込んでくるとは、暫く会わぬ間に私への想いを募らせておったか、小娘」
「お、大久保さん?!」
「妾にするには少々色気が足りぬが、それ程まで想われれば悪い気はしない。今すぐ薩摩藩邸へ連れ帰ってやっても構わんぞ」
「は、離して下さいいいーっ!」
今日は此処・長州藩邸で会合がある。
だからその為に小五郎が朝から薩摩藩邸へ大久保さんを迎えに出向いていた事は知っていた。
会話の内容からして、此処に到着したばかりの大久保さんに、ハルが不用意にぶつかったのだろう・・・と想像はついたが・・・
「ハル!」
「え、あ、晋作さっ・・・?!」
俺はハルの背後にずんずんと近付くとその華奢な肩を掴み、そのまま大久保さんの懐から引き剥がすように自分へと引き寄せた。
「・・・!!」
ボスッと音を立て俺の胸板に顔をぶつけ、鼻を押さえるハル。
その手を掴んで俺は無言で踵を返し、ハルを引きずるようにして廊下を歩きだした。
大久保さんの呆気にとられた顔も、その後ろに控えていた小五郎が止める声も、戸惑っているハルも、全部無視して大股でその場からハルを連れ去る。
「あ、あの!さ、さっきのは、わたしが慌ててたから!曲がり角で大久保さんがいる事に気付かなくて、だから只の出会い頭の事故というか・・・っ!」
ハルは俺が勘違いして怒っているとでも思ったのか、恐る恐る説明を始めた。
そのくらい俺だって分かっている。
分かってはいるが、腹が立つ!
いや、分かるからこそ腹が立つのか。
自室に戻った俺が部屋の中央まで来てピタッと足を止めると、勢い余ったハルが今度は俺の背中にドンとぶつかった。
また鼻をぶつけたらしい。
振り返ると、手で鼻先をさすりながら俺を見上げてくるハルは涙目だ。
「・・・事故?」
「!?」
覗き込むように顔を近付けると、ビクリと身体を退こうとしたハル。
その頬に掌を添えてやると、訳が分からないといった様子で一瞬目を白黒させたハルだったが、あろう事かハルはそのままギュッと目を閉じて顎を引いた。
この状況でそれは、口付けされても文句は言えんぞ?
わかっているのか?!
もうどうにも納まらない気持ちが溢れ出て、俺は掌を添えたのとは反対の頬に音を立てて喰い付いた。
今朝と丸っきり同じだ。
「今朝、『飯粒がついてる』と言ったが」
「え?」
「あれは嘘だぞ?」
「??」
「だから、あまり男を信用するな」
「???」
「お前は無防備過ぎるんだ!」
「そ、そんなの!」
「なんだ?!」
俺がグッと顔を近付けると今度はハルも一歩も退こうとはせず、それどころか更にズイッと自分から俺の懐に踏み込んできた。
何を考えているんだ!
相手が俺だから襲われずに済んでいるというのに!
襲うぞ!!
・・・そう思った瞬間だった。
「!!」
ハルの手が・・・その小さな両の手が俺の襟首を掴んだかと思うと、予想外の力で引き寄せられて・・・柔らかな感触が一瞬唇を掠めて逃げていった。
俺は瞬時に何が起こったのか理解出来ず、目の前がチカチカして瞬きを繰り返した。
「・・・む、無防備なのは、晋作さんだって同じでしょっ!!」
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・全くだ。
まさか、ハルの方から、唇を奪われるとは考えてもみなかった。
間近で俺をじっと睨むように見据えたままのハルに漸く焦点が合って、挑戦的なその瞳の中にいる自分を見つける。
不意打ちの攻撃に茫然自失な己の顔を見ると、心の底から可笑しくなった。
「・・・・・・・・・ふ、ははっ」
「・・・な、何、笑ってるの?!」
込み上げてきた笑いが止まらず、そのまま腹を抱えて笑い出す俺。
驚いて、怪訝な表情を向けてくるハル。
本気で訳がわからないらしく、再び涙目になってきている。
「し、晋作さん!何が可笑しいの??」
「・・・悪い、これじゃどっちが狼かわからんな、と思ってな!」
「・・・お、狼?!」
「ハルは無防備なオレを襲う狼だろう?」
「なっ・・・!」
「喰われっぱなしじゃオレの気が納まらんな」
「え・・・・・・っ」
そう言って、俺は・・・
俺だけの可愛い狼の唇を、先刻よりも長く、優しく奪った。
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130116/加筆修正
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