転−落 −晩夏光−


真田家は百年以上続く老舗の酒屋である。それが幸村の父、昌幸の代になると急激に経営難に陥った。資金繰りに四方走り回ったが、ついには店をたたむより他ないという無念、残念極まりない窮地に立たされてしまう。

そこへ現れたのが三雲賢持なる人物であった。予てより真田の酒を贔屓にしていた彼は、酒屋の危機を耳にし、このままみすみす失くしてしまうのは実に惜しいと資金の援助を買ってでる。
三雲賢持は酒屋が負った負債を全面的に持ち、尚且つ、建て直しの資金まで用意したのだ。おかげで真田は蔵を守り、今現在も暖簾を出し続けていられるのだが。


さて、この三雲賢持。真田家とは旧知の仲で真田の酒を愛好する一人でもあった。経営不振を聞きつけ沈黙のまま金を差し出したが、申し出は有難いが受けかねると昌幸はこれを断った。が、後日。真田の負債は三雲氏により全額返済された。昌幸も知らぬ間に。
三雲賢持は医者の家系の出で、関東で親から代々続く医院を経営していた。
真田家との付き合いは古く、彼の曾祖父が真田の酒に惚れこんだことから始まり、時代が変わった今でも懇意にしている。かといって多額の借金を肩代わりしてもらい、再建の資金までも用意してもらうのは行き過ぎであると昌幸は伝えたのだが、三雲賢持はそれを問題ないと一言で振り払った。


ただ一つ。

条件があると。金を出す代わりにその条件を飲んで欲しいという。
昌幸は快諾した。

その条件というのは。
夏の間、末の子どもを預かって欲しいというものだった。

こうして真田昌幸は三雲賢持に救われ、二人の子どもを無事に育て上げることができた。長男の信之は蔵を継ぎ、次男の幸村は東京で駆け出しの編集者として日々精進している。





兄が顔を見せに来た翌日。幸村は出社と同時に吉報を耳にする。
編集長より当分、徳川の変わりに猿飛を担当するよう辞令を受けたのだ。


「何故……」

「徳川の担当の島津先生が行方を眩ませてただろ?昨日、熱海の別宅に隠れてるところを奥様と徳川が発見してな。二人の監視の下、しばらくあっちで缶詰にして原稿上げてもらうことにしたんだよ」

「はぁ。どこの先生も同じようなことをしておりますな」

「まぁそんなわけで頼むな。まったく人手が足りないっていうのに」

「だがしかし、某で良いのでございましょうか?猿飛先生の担当」

「前田がお前にやらせろっていうから。元担当の言うことだし心配ないだろ」


編集長の言葉に幸村が利家のほうに目を向けると、いつもの彼らしい人の良い笑顔で笑っていた。
利家は幸村が猿飛に憧憬していることを慶次から聞き、今回の臨時人事で猿飛担当に幸村を推薦したのだ。
言葉はなくともそれはお頭の弱い幸村にも何となく感じとれ、慶次にしても利家にしても元親にしても自分と猿飛を繋ごうと気にかけてくれることに申し訳ないと思いつつも感謝の気持ちでいっぱいになった。

恐らくそんなに長くは続かない仮担当ではあるが、幸村は猿飛を間近で見られるせっかくの機会を存分に味わおうと気持ちを新たにした。



猿飛の住まいの前で、幸村は以前訪れたときのことを必死に思い起こしていた。


「確か、上がり込んで行かないと先生とは話もできやしない、ということだった気が……」

ガラガラと引き戸を開け、中を覗くと見覚えのある紙の山。

「ぜっ、絶唱の真田、徳川の代理で参りましたー!!」

暗がりに向かって叫ぶも、前回同様返事はなし。

「上がりますぞ!!」

一応断って、幸村は靴を揃えると記憶を辿りながら猿飛がいるであろう部屋を目指す。
そしてやはり前回同様に物音ひとつしない部屋の前で座し、一言声をかけてから襖を開いた。
すると中では執筆真っ最中の猿飛が庭に向かって置かれた文机前で、静かに筆を走らせていた。

こちらに気づいているのかいないのか。
集中して黙々と手を動かす猿飛に声をかけるのは憚られる。
幸村は部屋の前でしばらく、その背中を見つめていた。

「徳川くんはどうしたの?」

突然かけられた質問に、対応が遅れる。

「あ、そのっ!!」

焦る幸村が答えぬ間に猿飛が振り返る。


「最近よく会うね」

少し笑った。



「あの、徳川は別の仕事が入りまして、勝手ながらしばらくこの真田幸村が代理を務めさせて頂くことに」

「そう。よろしくね」


別段、驚きもせず嫌な素振りも見せず猿飛は短く答えると、また机に向かった。
緊張気味な幸村は紅潮した顔で正座をしたまま。また懲りなく猿飛の背中を見つめてる。仕事をしに来た。

「昼までに三章までは出来そうだから持って行って。あと悪いんだけど冷蔵庫の中から麦茶取ってきてくれる?」

「はっ、はい!!」

「御勝手そっちね」

教えられたとおりに進み御勝手につくと冷蔵庫を開けた。中にはあまり物がない。麦茶を注ぎ、部屋に運ぶ。

「先生、お持ちしました」

「ん、ありがとう」

「ぬぉい!!」


お礼を言う猿飛の手に麦茶が渡ることはなかった。幸村、盛大に躓き、思いっきり中身をぶちまける。

「ひゃーーー!!」

犯した罪にあわあわして気が動転して、あろうことか幸村は畳みに散らばる原稿で猿飛の顔や体を拭き始める。

「嘘、本当に?そういうことしちゃうわけ?」 

されるがままな猿飛は目の前の事態を冷静に受け止めていた。

「ぬわぁぁああ!!こ、これは原稿ではないかぁ!!」


茶色く染みた原稿用紙を握りながら、取り乱す幸村。

「も、もうしわけございませぬぅぅぅぅぅぅ!!!!!!」

「うん、いいからとりあえず一回落ち着こうか」


うーうー呻りながら縮こまり俯く幸村。反省。

「そんなに気にしなくていいよ。つーか読めそうだからこのまま出すけどいい?」

「も、問題ありませぬ……」

すっかり気落ちした幸村に呆れ顔な猿飛。そんなに落ち込まなくていいのに。







リン…
庭先の風鈴があいかわらず風に揺れている。
二人の間に流れるのは7月の夏の風だけ。

原稿に向かう猿飛は一心に筆を走らせる。他を寄せ付けない緊張感のある空気に幸村はこれ以上邪魔はしまいと大人しく座して待つ。
段々と気温が上がってきた。少し蒸し暑い。
幸村はネクタイを緩め、手で扇いでみるがちっとも涼しくはならなかった。それよりも。リリンと高い音を奏でる風鈴のほうがよっぽど手団扇よりも聴覚から体を涼ませてくれる。

「懐かしい……」

無意識に呟いた独り言。

背から聞こえた声に猿飛は目を見開き筆を止めたが、またすぐに再開した。
近くで蝉が鳴いている。





約束の三章までを書き上げ時計を見れば、ちょうど正午を示していた。
しかし。振り返ったそこに幸村の姿はなく。
自らも驚くくらい大きな不安に駆られ、猿飛は部屋を出て玄関に向かう。

あれ、靴あるな。

自分よりも小さめな革靴が綺麗に揃えられている。
どうしたものかと、部屋へ戻ると御勝手のほうで物音がした。覗くと幸村が何やら御膳にのせている。その様子を黙って見つめる猿飛。
その後もちょこちょこと忙しく動き回る幸村に、声をかけようとはしない。というより、ずっと見ていたい気分だった。「あ、先生。断りなく申し訳ございませぬ。お昼になりますゆえ、蕎麦でもいかがかと」
「あっ、あぁ。どうもありがとう」
「お持ちしますゆえ、部屋にてお待ちくだされ」


にこにこと笑う幸村に、猿飛は何だか気恥ずかしくなって大人しく部屋へ戻った。


「何か、薬味のネギ太すぎじゃね?」
「むぅ……某には通常である気が……」
「そうだっけ?え、そういうもんだっけ?」


誰が見ても太すぎるネギの大きさにちょっとした疑問を投げるが、受け入れられず。


「真田くんは食べないの?」
「いやいや某は!!」
「だってどうせ食べることになるんでしょ?じゃあ一緒に食べればいいじゃん」


猿飛の言葉に甘えてまたしても昼食を共にすることになったふたり。


「何だか夢のようでございまする。猿飛先生とこうして、蕎麦を共に啜るなんて。ずっと憧れてて、追いかけてきて。あ、いつかラヂオに出演されておりましたな」


幸村の話に相づちを打つわけでもなく、猿飛は黙々と蕎麦を食べ続けている。


「声を、初めてお聞きして、どうしようもなく高ぶって、本当にいるんだって思って。いつかお会いしたいと願っておりました」


まっすぐに自分を見つめる幸村の視線から逃れるように猿飛は、手を休めることなく食事を続けた。


「某は、ずっと末永く先生とお付き合いできることを望んでおります」



やっぱりネギは太かった。口の中が苦い。







嬉々として原稿を持ち帰る幸村を見送り、すっかり気温の上がりきった室内へ戻ると猿飛は飲みかけの麦茶を飲み干した。

体が熱いのは夏の暑さのせいだけでないことはわかってる。
吊るされた風鈴を見つめながら、下半身のそそり立つ自らに手をかけ、猿飛は自分を慰めた。脳裏にべったりと張り付き、惑わすのは男である幸村。


汚らわしいと、
自らを罵りながらも止まらぬ手に、嫌悪と罪悪を感じなから猿飛は果てた。
上がる呼吸。だるい下半身。汚れた掌を見つめ、昔の罪の再犯を認識しても、もうどうすることもできなかった。人は変わることなどできやしないのだと、失意に陥り、罪に染まった手を洗うために部屋を出た。









 


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