甜−楽



車道の向こう側、車で走り去る紳士を見送りぽつりと佇む猿飛に元親が声をかける。


「おい!!」


通行人の視線を集める大声で呼べば喧騒の中でもさすがに届いたようで、猿飛は二人に顔を向けた。
自分を呼んだ相手が元親一人なら、愛想笑いのひとつも零したであろう。
だが。目に入った元親の隣の人物に猿飛は眉間の皺を深くした。
相手の事情など露知らず、というか考えもせず元親は車道を横切り近づいてくる。その後をひょこひょこと控えめについてくる幸村。


「珍しいな、お前が外出るなんて」

「ちょっとね。会わなきゃいけない人がいたのよ」

「かしこまってか?」

「ま、ね」


曖昧に返事をした猿飛は、どう頑張っても無視しきれない、元親越しからの熱すぎる視線に耐え切れず、少し体をずらしてその熱視線から逃げた。
他の担当作家と同じように仕事で会ったときの猿飛は着流しだったのでスーツ姿の彼が新鮮で落ち着かなくて、幸村は少しだけ見惚れていた。
それに気づいた元親は『何隠れてんだ』と小声で言いながら、幸村の背中を押し自分と猿飛の間に放り込む。
いきなりの至近距離にお互い、それぞれの理由で赤面した。


「おおおおお久しゅうございまっ、ますまする!!」


緊張のあまり幸村は自分でさえ何を言っているのかわからなかった。
だけど、
それが猿飛の笑いを誘い、彼が纏う空気が一気に和らいだ。


「何、ますまするって。取り乱しすぎでしょ」


呆れたように笑う猿飛に、少しの恥ずかしさとたくさんの喜びを感じながら、幸村ははにかむように笑った。


「俺たちこれから昼飯なんだけど、お前もこねぇか?」


思ってもみない展開に一番動揺したのは幸村。まさか猿飛と昼食を共にすることになるなんて。嬉しい話運びに鼓動を速めた胸と高揚した顔で返事を待つ。
当の本人は元親の誘いに一瞬躊躇し顔を曇らせたが、不安げな瞳で自分の返事を待つ幸村と目が合い

「オレも、ちょうどお腹すいてたとこ」

と快諾するより他ない空気に流されることとなった。






「そういや、なんで担当こいつにしなかったんだ?」

配慮のかけらもない単刀直入な元親の質問に他二名は箸を止め、凍りついた。

「二人とも初対面だろ?能力的にも大差ないって話で、何を基準に選んだんだよ。聞きたいよな?幸村」


そりゃ気にはしていたが、幸村自身、既に気持ちを切り替えた後なので今更知ったところでどうこう言う問題でもないし、何が何でも聞きたいわけでもない。どちらかといえば、触らずそっとしておきたい項目である。


「元親、もうちょっと周りをみようね。まぁ、あの話はオレも前田さんから選んでくれって云われて本当困ったんだよ。言うとおり基準がなくて。だけど二人が挨拶に来てくれたときに、徳川くんのほうが熱心にオレたちの会話を聞いてたから。真田くんはオレの書く話嫌いでしょ?そういう感じがしたの」


そんなことないと幸村は直ぐに返したかったのだが、確かに面と向かって会うまでは裏切られたと思い込んでたし、失望していたので、都合のいいように全否定はできなかった。


「はぁ?んなわけねぇーだろ。こいつお前に憧れてこの仕事に就いたんだぞ」

「えっ……」


思わぬ事実に驚いた猿飛は俯く幸村を見つめた。


「そうなの?」


その問いに幸村は、『はい』と一言だけ返事をした。
他の誰でもない真田幸村が、自分に憧れを抱き、自分を目指してこの世界に足を踏み入れたという事実に、猿飛は己を呪った。
そして、いつものように掴みどころのない表情で笑い、首を横に振った。


「先生の小説は欠かさず拝読致しております。読破後も幾度も読み返し、二作目以降の作品は漏れなく発売日に店頭に並び、初版を手にするよう努めて参りました。最近の作品はまだ、というか…はい。未読にございますが」


あのとき、逃げ切れたと思えた苦しみが、再び、素知らぬ顔で目の前を塞いだ。
人生は上手くいかないようにできているのかもしれない。
幸村の話を聞きながら猿飛はそう感じずにはいられなかった。


「先生のお話は某が失くした幼い頃を、取り戻させてくれるような気がして。あぁ、えっと、某が勝手にそう感じているだけで、そう、何というか、昔誰かに教えてもらったのに忘れてしまった大切な何かを、思い出させてくれるようなそんな優しい話が多いから……そんな、感じで…はい」


幸村は未だ、恥ずかしげに俯いてそわそわしている。


「ガキのころの記憶がねぇのか?」

「はい、八歳ぐらいまでの記憶が。母からは兄と家の屋根の上で遊んでいたところ誤って落ち、大怪我をした故と聞かされております」


真面目な顔してお前も大変だったんだなと零す元親に幸村は、はぁとだけ返すと話を切り替えた。思い出したことが、ひとつ。


「あっ、子どもといえば先生は以前、絵本を描かれていたそうですね」

「え、あぁ、まぁ……全然売れなかったけど。何で知ってるの?」

「元親殿から作家になる以前の先生のお話を伺いました。お二人は共に戦った仲と聞いております」

「まーた余計なことしゃべる」


眉根を寄せる猿飛に、素知らぬ顔の元親。


「どうして、絵本だったんですか?」

ずっと気になっていた。元親に聞かされてから、猿飛佐助が絵本を描いていたなんてどうも想像つかなくて、結びつかなくて。その彼が今や、世の中に官能小説を発表している。あまりに真逆すぎて、気にせずにはいられなかった。


「読んで欲しい子がいたから」


箸を休めることなく、そう一言だけ答えると猿飛は沈黙した。
そして。


「オレ、そろそろ行くね。誰かさんが急かしてる原稿仕上げなきゃいけないし」

「何仕事してるフリしてんだよ。お前〆切り守ったことねぇーだろ」


身支度をし、席を立つ猿飛にもう帰っちゃうの?な幸村の悲しげな眼差し。
それに気づいてうっと呻る。


「真田くんはさ、時々小鹿のような目をするよね」


それ無意識なの?と言いながら、心当たりがなくて首を傾げる幸村に

「オレの本、読んでくれてありがとう」

と最後に告げ、猿飛は店を後にした。






「行ってしまわれた……」

ぽそっと呟いて落ち込む幸村。

「だがしかし、元親殿には足を向けて眠れませぬ。このように計らって頂き、感謝してもしきれませぬ。生涯の思い出になりましょう」

「ま、貸しひとつってことで。何かあったとき頼むわ」


人の良さそうに笑って答える元親に幸村は心から感謝した。
担当に選んでもらえなかったことにひどく落ち込み、酒に溺れはしたが、代わりに元親という先輩であり競合相手であり、また友人でもあるこの男と出会うことができた。この一時間にも満たない間に、幸村は元親への感謝と共に猿飛への尊敬と憧憬をいっそう深くしたのであった。



仕事を終え、幸村が自室に戻ると扉の前に思いもよらぬ客人が立っていた。

「兄上!!」

そう呼びながら小走りで近づくと客人は、幸村に似た顔で笑顔を見せた。

「おかえり。久しぶりだな」

兄の信之だった。


「来るならそうお伝えくだされば!!」

「父さんの代わりでね。三雲さんに会いに来たんだ」

「おぉ、三雲様に!!此度父上は……」

「全然大したことないんだけど風邪を拗らせててね。母さんが行くなって。
まぁ、ただでさえ母さん、三雲さんと会うの良い顔しないだろ?俺が行くのも渋い顔された。けど、幸村に会うって言ったら途端に私も行くなんて言い出したから、こっそり出てきたんだ」



幸村と信之の年齢差は一つだけ。
にもかかわらず、幼い頃から兄は周囲に落ち着きのある大人びた印象を与える人物だった。
対照的に年齢を重ねてもどこか子どもっぽさが抜けない幸村とは、周りからは二人がずっと歳の離れた兄弟だと思われていた。今でもそれは変わらないようで。


「仕事には慣れたのか?」

「はい。毎日楽しゅうございます」

「そうか。担当してる先生は良い人か?」

「どなたも良くしてくれます」

「そうか。よかったな」


幸村が淹れた茶を啜りながら兄が安堵の表情を見せる。頼り無げな弟が心配だったが、どうやら上手くやっているようで信之はほっと胸を撫で下ろした。


「猿飛先生にお会いしました」

「……そうか」

「とても不思議な御人です。正直、最近の作品傾向には賛同しかねますが、面と向かってお会いするとこう、言葉では表現しにくいのでござるがなんだか初めて会った気がしなくて」



「そうか。よかったな」

「はい!!あ、兄上今日はここに泊まりますか?」

「いや、三雲さんが駅前に部屋を取ってくれたんだ。だからそっちに行くよ」

「おぉ!!三雲様はなんと御優しい方なのか」

「あの人がいなかったら真田家は、こうして生活できてないからな。一生、頭が上がらないよ」



 

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