巓−落



掠れかけの思い出に醜く縋る自分に嫌気を覚えながらも、こうして夏が近づけばあの頃を取り戻しに行くように訪れるこの地に、今年もまた、足を踏み入れる。

導かれるように九十九折りの山道を奥へ奥へと進めば広がる、15のときに見た景色。
ひとり、許しを乞い、延々と歩き続ける。



死などでは対価にならない重罪。

償うことすら許されず、言い渡された罰は糸を切られることだった。




人の気配がある集落を避けるようにして、ひたすら山の中を歩く猿飛には目的地がない。泊まる場所もない。ただ、歩くだけ。懺悔しながら、歩く、だけ。

西の山に、陽が沈むまで。

足の感覚が消える頃。日付が変わる少し前。たどり着いた場所で、疲れきった体を横たえ見上げた、空。


目の前を埋め尽くす無数の星が、無言の慰みを与えた。

閉じた瞼の向こうで、ごうごうと空が動くと、耳の傍の夏虫が鳴くのを止めて、辺りは不自然なほどに沈黙した。





「さすけ、さすけ。あれ、あれはわし座!!」



耳元で聞こえた声に驚き瞼を開くと、隣で子どもが同じように横たわり、猿飛にかわいらしい笑みを向けて空を指差していた。


「あっ、えっ……」

猿飛の反応に不満そうな顔で子どもは

「聞いてるのか?」

見つめてくる。


「あぁ、うん。……うん。そう、だね」

「さすけ?」


ゆめかまぼろしか。
それとも、どちらでもないのか。

状況が把握できない猿飛に、透き通った瞳を向けてくる正体不明の子どもが、自由を奪うほどの恐怖を与えている。

カタカタと震える体に力をこめて、隣から目を背けた。
先程と変わらない星空。
深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻そうと再び目を瞑る。

すると。

隣にいる子どもが、鼻を啜りながら泣き始めた。
猿飛は重い体を動かし、何事かと子どもの様子を窺う。

「どう、どうしたの?」

揺れる声でそう問えば子どもは。
胸のあたりを押さえながら、苦しんでいた。


「い、いたい……痛い。さすけ、痛い、痛い…助けて」


慌てた猿飛は咄嗟に子どもの背中をさすり、混乱する頭でどうしたものかと考えながら手を掛けた小さな額に、ぬめっとした生温かい感触を覚えた。


一抹の恐怖が指先から伝わる。

その感触の正体はどろっとした夥しい量の黒い血液だった。


光源は唯一、星明りのみにも関わらず判別したのは、その血が何故流れたものなのか心当たりがあったから。


「はっ…」

猿飛が息を呑むと泣き止んだ子どもの服が、泥や草で汚れ、ひどく痛めつけられたものへと変わっていた。



そして大人しくなった子どもは顔を上げ、真っ黒な瞳で

「さすけ、だいすきだよ」


笑った。




噴出す汗が背中を流れ、言いようのない恐怖と緊張で、猿飛はたまらず嘔吐した。

草を掴み、込み上げる嘔吐感に何度も堪えたが、まともな食事を摂っていない体からは胃液しか出てこない。
ひととおり落ち着くとはあはあと荒くなった呼吸と、流れる涙をそのままに振り返ったが、子どもの姿はもうどこにもなかった。

猿飛は大きく深呼吸をし仰向けに転がると、安堵からかまた目を瞑った。


しばらくして瞼を開くと、眼前には無数の星が何事もなかったかのように先程と同じ輝きを放っていた。








「若虎よ、人生とは上手くいかないことで出来ておるようなものなのじゃ」

「はぁ、しかしもう〆切から一週間になりますぞ」

「……羊羹食うか?」

「いただきます!!!!」

新人幸村は担当の北条氏政にまんまと甘いもので釣られていた。


「むぅ、なんたる濃厚な味わい!!し、仕方ありますまい。後二日だけ待ちますぞ!!」

「おうおう、若虎は慈悲深い」


うまうま、羊羹を詰め込む幸村の横で北条はニヤリと悪い笑みを浮かべた。
そこへ。

「何、食いもんに釣られてんだ」

スタンと開かれた襖の向こうから現れたのは、同じく北条担当の富嶽社に勤める元親だった。


「ぎゃぁぁああ!!鬼じゃー!!」

「あ、元親殿!!某は大変、んまんまな羊羹を……」

「馬鹿、んなもん後で買ってやる。おい北条先生、昨日〆切だった原稿がまだ会社に届いてないようなんですが」

「そ、それは」

「昨日までに郵送するって話だったはずが、一体どうなっちまってるんでしょうかねぇ?北条せんせーよぉ!?」

「ひぇーーすみません!!まだできてないんですぅ!!」

「毎回毎回手こずらせやがって!!さっさと書けよ、おら!!」


二人のやり取りはとても作家と編集者には見えなかった。
お、鬼でござる!!とは、丸々一本羊羹をむしゃむしゃしながら零した幸村の正直な感想。

「お前も!!」

突然向いた矛先にビクりと体を震わせた幸村。

「むしゃむしゃしてねぇでちゃんと見てろ!!仕事っつーのはこうやってやんだよ!!」


元親の気迫に負けた幸村は丸くした目で、コクリとだけ頷くのが精一杯だった。


ふたり仲良く北条邸を後にする。

「お前、この後仕事つまってねぇなら昼食ってくか?」

「あ、喜んで!!」


幸村酒乱事件以来、家が近いこともあって二人は行動を共にする機会が何となく多くなっていた。
慶次を含め一緒に食事をすることもしょっちゅうで。競合社の社員の前に互いに友人の一人になっていた。

並んで歩いて定食屋へ向かう途中、東京駅の前で元親がふいに足を止めた。

「佐助?」

聞こえた名に幸村が元親の視線を咄嗟に追うと、車道を挟んだ向こう側の道でスーツ姿の猿飛が誰かと話し込んでいた。



 

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