展ー落

はぁはぁと息を吐いて幸村は、その息に昨夜の酒が残っていないか入念に調べる。

出勤初日の新人が酒の匂いなんか纏っていたら、社会人として失格もいいところだ。


「寄りによって今日でなくても……」


勧められるままに深酒してしまった昨夜の自分と調子のいい慶次を少し恨む。
職場の入ったビルディングの前まで来ると幸村はもう一度自分の身だしなみを整える。

今日のために仕立てたスーツと帽子は、なかなか様になっているようだ。
抜かりないことを確認すると意を決し、速度を上げた鼓動を胸にやや紅潮した頬でその扉を叩いた。




絶唱出版は何せ小さな会社なもので、従業員の人数も20名いるかいないかぐらいで、幸村の働く文芸は彼含め、6名で構成される。

上司も先輩も同期も皆、人あたりがよく、職場自体にはすぐ馴染めそうで幸村は一安心した。
幸村と同じく今日入社の徳川家康とは、どことなく互いに自分と同じ匂いがすると感じ合ったようで、その日のうちに仲良しになれた。


先輩について仕事を見習う内に時間は瞬く間に過ぎ、午後二時をまわった頃。
初めてのことに緊張し続けて正直気疲れしていたが、幸村と同 期の家康の先輩である前田利家がある作家先生と打ち合わせにいくから同席しろと指示したことにより、二人は一気に元気を取り戻した。

仕事、ではあるがやはり有名作家に会えるという期待があるのは、否定できそうもない。


「その作家先生とは?」

家康が問うと

「猿飛先生だ」


爽やかに返した利家の言葉に、家康は少し興奮気味に頷いたが幸村は正直手放しでは喜べなかった。

以前だったらきっと家康以上に喜んだであろうが、今の作家猿飛佐助には会いたいとは思えない。
あの騒動で正直、ジャンルを替えた彼に失望さえ覚えたから。

しかし。

仕事、だから自分の気持ち云々ではなく、こなさなければならないものであると自分に言い聞かせて幸村は、先に会社を出て行く二人を重い足取りで追った。






猿飛佐助の住まいは郊外にひっそりと佇む平屋である。

名のある作家が住む家としては少々こじんまりしている気もするが、独り身であることを考慮すれば十分な広さだ。

家の前に到着すると、さっきまでのお気楽な雰囲気を潜ませた利家が至極真面目な顔つきで後輩二人を振り返る。


「二人も知ってると思うけど去年の騒動以来、先生、前以上にちょっと……な」


言葉を濁す利家。
言わんとしていることがまったく解らない二人。


「ちょっとなというのは、どういうことでござろうか?」

「うん。まぁ、前からちょっと難しい人ではあったんだけど、感情の起伏が激しいっていうか。機嫌のいいときと悪いときがあって、まぁなんだ。正直、扱いづらい」


本当正直…と感心する二人。
ダメそうだったら早々に退散するから、と告げた利家の後ろで二人の緊張感は一気に高まる。

そういえば。

幸村は猿飛の小説は大好きだったが、猿飛自身のことについては何も知らないことに気づいた。

いつだったか、一度だけ彼が出演したラヂオを聞いたことがあった。
おぼろげな記憶だが声の感じは若かった気もする。

わずか数分で終わってしまったが、落ち着いてて、柔らかくてどこかで一度、聞いたことがあるような、そんな優しい雰囲気の人という印象を覚えたことを思い出した。

だが今、利家から聞いたところによれば自分の記憶の人とは少し違うのかもしれない。


トントンと叩いた引き戸を無遠慮にガラガラと開けた利家は、玄関先から薄暗い廊下に向かって叫ぶ。



「絶唱の前田ですー!!せんせー打ち合わせに参りました!!上がりますよー」


難しい人、といったワリには利家の態度はいささか無遠慮すぎるが、彼が云うには機嫌が悪かろうが良かろうが、先生が出迎えてくれた事なんてないから、勝手に上がらないと話なんてできやしないんだよ。だそうだ。


山積みにされた荷物と乱雑に置かれた紙の束の隙間を縫い、ドカドカ上がりこんだ利家の後を追う。
お世辞にも綺麗とは言えない家の中だ。

ある襖の前で座した彼に続いて二人も倣う。
だが襖の向こうからは物音がしない。
そんなことなど気にすることもなく、いつも猿飛がいるのであろうこの部屋の襖を開けながら利家は名前を呼んだ。


「先生。約束のお時間です」


利家の後ろから室内を覗いた幸村と家康は身を固くする。

雑然とした室内に開け放たれた障子から陽光が差し込み、外されなかった風鈴が季節はずれの音色を響かせていた。

家主は。

庭に向いて置かれた文机に突っ伏し、すうすうと寝息をたてていた。



出会ってはいけないふたりの、再会だった。







 

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