天−楽 −驟雨−

遮る雲を蹴散らした日差しが容赦なく照りつける真夏の空の下、幸村はいつものように猿飛宅へ仕事に訪れた。

いつもの扉をいつもの通りに開けたのに、そのむこうの光景に違和感を覚え、声をかけるのをためらう。
玄関先を埋めていた紙の束が見当たらない。そこは綺麗に整理されて本来の姿を取り戻していた。

急に胸がザワりと音をたてたので靴を脱ぐと、幸村は慌てて上がろうとしたがそこで自分以外の訪問者がいることに気づいた。見慣れた大きさの靴が並んでる。

仕事部屋を覗くといつも以上に物が溢れて乱雑とした中に、主ではなく、元親の姿があった。

「おう。いねぇみたいだ」

留守を聞く。文机の上に積まれた大量の紙や本はどれも、日焼けをしたのか古びていて、茶色く変色していた。

「片付けの途中だろうか。先生らしくないでござる」

返答がないことを幸村は別段気にとめなかったが、元親自身はこの現状に少しの焦りを覚えていた。嫌な前兆を感じる。
黙り込んだ元親を尻目に幸村は膝をつき、目の前の束の一番上に置かれた本を手に取った。

埃をかぶった紙魚だらけの、絵本。
幸村はどうして、山積みの中でこの絵本に誘われたのか理解できなかった。
考えもしなかった。巡り合わせ、とか、運命なんて言葉で当てはめられるようなことなのか。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

「きつねととら……」

記された作者名に目を向けた。



背の高い赤いポストを横切って、汗をかいていることなど気にもとめず、二人はいつもどおり、いつもの山道を進む。はしゃぐ子どもは時々振り返り、にこにこ何を言うでもなく嬉しそうに佐助の手を引いた。

その笑顔にすべてを許される気がした。
自らが背負ったどろどろの黒い思いさえも。
初めて会ったときよりも二つ大きくなったはずの幸村の体は、まるで成長を放棄してしまったかのように小さいままだった。
少なくとも佐助にはそう見えた。だから余計に変わってしまった自分自身をこの子にどう隠そうか必死だった。

今だって握ったこの手から、送る視線から、自らの浅ましく汚れた思いが伝わってしまうのではないかと怯えていた。
やっと、普通になれたと思ったのに。

わずか八つの少年の汗ばむ首すじに、掻きむしりたくなるほど心は騒ぐのに、駅前で自分を好きだと告げた少女の乳房には、触ることさえできなかった。
幸村の前では優しいお兄さんでいなければならないという思いが、重くて苦しくて、本当は正反対なのに演じることを強いられて、でも演じなければ自らの偏屈した本性をさらすことになる。
それは許されない。誰にも知られてはいけない。佐助自身も、認めることはできなかった。

自分が異性ではなく、同性の、小さな少年にしか愛情を持てないことを。

蝉の声を掻き分けて何も知らぬ子どもと、すべてを知りながらも隠し通す青年は、手をつなぎ、同じ場所を目指して進んだ。




重ねて置かれた絵本のすべてが同じ人物の作品だった。
動きの止まった幸村を元親は訝しんで、手元を覗き込む。

「あぁ、あいつが昔描いてたやつだろ。前言ったよな?絵本描いてたって」

それは知ってる。そうじゃなくて。

「……三雲、佐助?」

偶然。

「…あいつの、名前だろーが」

様子のおかしい幸村に元親はおとなしく彼の反応を待つ。

「し、しかし、先生の性は猿飛では?」

「あぁ。猿飛は小説書きだしてからの筆名で、あいつの本名は三雲。三雲佐助ってんだよ」


偶然なのか。真田家の恩人の三雲と同じ性。
それだけではない。幸村が都内に就職すると両親に告げたとき快諾した父とは逆に母は猛反対した。
出版社だと言った時なんて烈火のごとく怒り狂って、父と兄が必死に宥めたほどだ。何故ダメなのか理由を問うても教えてくれない。夜、両親の会話の中で幸村は耳慣れない名前を聞いた。

「ダメですよ。よりに寄って出版社だなんて。いつ佐助さんに会うかもわからない。あの子の部屋に本があったんです。それを承知でみすみす送れますか」

「幸村は覚えてないんだ。会っても問題ないよ。佐助くんも自らすすんで関わったりしないだろう。大体、君が反対するから大学へだって家から通わせたんだぞ、二時間もかけて毎日。もういいじゃないか。好きにさせてやりなさい」

「幸村をあんな目に合わせた人間を!!いくら三雲様のご子息だからって……私は絶対に許しませんからね」


結局、幸村は反対を押し切って上京したのだが両親の口からでた人物が気がかりで問いただしてみたが、父も母も知らないの一点張り。
兄に聞いても聞き間違いじゃないかと優しく返されてしまった。

よく見ると作者名の下の部分が不自然に黒い墨で塗りつぶされている。
幸村は明かりを求めて縁側により、日の光に当てて裏から透かしてみた。「……」

子どもが書く平仮名の大きな文字が、微かに浮かんで見えた。

はっきりとは見えないが、
おそらく。


さなだ ゆきむら


「何か見えたのか?」

覗き込む元親。目を凝らすとやはり彼にも

「さなだ ゆきむらって……」
「わからない……」


幸村には八つまでの記憶がない。
だからもしかしかしたら、記憶のない時間に猿飛と会っていたのかもしれない。でもどうして両親や兄はその事実を隠すのか。家族は幸村が猿飛佐助という作家に憧憬の念を抱いていたことを知っている。
しかもその人物が恩人である三雲氏の子息であるとすれば、どうして。

まるで三雲佐助はこの世に存在しないかのように、誰もが振る舞うのか。
そして何より、猿飛本人がどうして何も告げないのか。

「先生の行きそうなところ何処かご存知ないだろうか?」
「いや、知ってのとおりあいつ出不精じゃん。わかんねぇ」

確かに。ならば、

「某、社に戻りまする。確認したいことがある故、失礼!!」


快晴だった空の、雲行きが怪しい。




汗で濡れた白いシャツを川で洗い、岩の上に広げて乾かす。
幸村は膝まで浸かってバシャバシャと水を蹴って、楽しそうに笑ってる。

「いた!!いた!!魚いた!!」

声を上げながら走り、勢いよく両手を川底に着いた。

「……むぅ。逃げてしまった」

少し風もあって涼しい。
佐助は振り返る幸村と、同じ笑みを返した。
いつまでこの醜い心を隠し通せるだろうか。
無条件に自分に懐く幸村を前に、正直、限界だった。
怖かった。どれだけ自制できるか。どこまでもつのか。





テェブルに置かれたアイス珈琲はかれこれ、二十分近く手をつけられず氷が溶けて、薄い透明な層を作っていた。
猿飛は特に考えも持たずふらふらと馴染みの店に来ている。
幸村と再会した時点でこうなることは容易に想像できた。だからあのときと同じように二人きりの部屋で毎回、どれだけ自制できるか。どこまでもつのか。そんなことばかり考えていた。

猿飛にはもう、どうすることもできなかった。己の執着心の強さに、恐ろしいまでの幸村への愛情に自身も身震いするほどだ。

猿飛は小さな少年に傾倒するのではなく、小さな少年だった幸村に執着していたようで。成長した彼と対峙しても以前と変わらぬ想いを抱いていることに気づかされた。

再会する前は、希に少年を買うこともあった。必ず記憶の中の幸村と同じぐらいの年で、同じくらいの背格好の子どもを選んだ。いつぞやいちど、最中に『幸村』と名前を呼んでしまったことがあった。
その少年が金を受け取り立ち去る間際に、猿飛に向かって馬鹿にしたような笑みを零しことを彼は忘れられないでいた。いるはずのない幸村に軽蔑されている気がした。

ひぐらしの声も届かない店内から見上げた空に、黒い雲が流れ始めてる。
今頃、幸村が打ち合わせに来ているかもしれないと、脳裏を過ぎったが自宅に帰る気分にはなれなかった。





おかしい、と自覚したのは去年の秋。真田家から戻り、また同じいつもの日常を繰り返している中でだった。

十六歳の、秋口。
彼は自室で自慰行為にふけっていた。初めは、他がそうするように女の裸体を思い浮かべながら擦っていたのに、イく段階になって頭の中で佐助を咥えていた女が急に、幸村に姿を変えた。

驚いた彼があっと低く唸って目を開いたのと同時に手の中に生暖かい感触が広がった。

佐助はしばし、呆然と掌を眺めていたが、どう言い訳をしても幸村を思いながら自慰を終わらせたことは変えようのない事実だった。

突然の脳内の変化に戸惑い、罪悪感というよりも、どうしてこうなったのか理解できなくて、彼は強制的に記憶を排除するよう努めることにした。のだが、その翌日は夢に出てきて夢精した。

忘れたくて、忘れたくてしょうがないのに、自分に甘えてくるときのあの愛おしい声で『佐助』と名前を呼ばれれば、自身は激しく反応し歯止めなどは一斉効かなくなった。毎日続いた。
そのうちに会いたくなった。幸村に会いたくて、会いたくて仕方なくなった。

しかし今の自分が幸村と対峙したら、どうなってしまうかわからなくて会うべきではないと冷静に意見する自分もいる。無論、その選択が正しい。
どうしてこうなったのか、その訳を、悩んで、考えて考え抜いたのだが、結論はでず三年目の夏を迎えることになった。


強い日差しのおかげで岩場に干した白いシャツはすっかり乾いた。袖を通し、ボタンをとめていると蜻蛉を追いかけていた幸村が戻ってきた。

紅潮した頬で嬉しそうに走ってきた勢いそのままに、佐助に飛びつく。
腰くらいの高さにある幸村の頭をよしよし撫でながらも彼の表情は晴れない。


「今日はてっぺんまで行くからな!!」
「え、お山の?帰るの遅くなっちゃうよ」
「この前、父上と兄上と一緒に見たすごいものを佐助にも見せてやるぞ」
「えー何よー」


駆け込むように社に戻った幸村は慌てて電話をとった。私用に使うなどもちろん禁止されているが、それどころではない。
電話には兄がでた。弟の部屋に電話はないはずなのに何事かと驚く信之。かけた先は実家である。

ゆっくりと自分を落ち着かせてから幸村は猿飛佐助という、作家のことを話し始めた。信之はそれを黙って聞いていた。

そして、話し終えた幸村に信之は三雲佐助という、男のことを話し始めた。
幸村はそれを黙って聞いていた。


先程までの晴天が嘘のように、雨が、降り始めた。






あまり遅くなっては真田家の人々が心配するので、適当なところで帰ろうと決めていたのだが、当の幸村は

「お空が暗くならないと見えないから、今日は夜までいるぞ」

などと意気込む。そして

「父上にも母上にも許しは得てるから心配は無用だからな!!」

心の内を見透かされたかのような発言に佐助は苦笑した。
それでも子どもの言うことだからと早めに引き上げることを心がけようと思った。
すっかり日も暮れて、辺りは真っ暗になった。
元気が取り柄の幸村もさすがにはぁはぁと息を上げて辛そうにしている。
それでも一切弱音は吐かなかった。佐助にあるものを見せたい、という一心で山を登っているのだ。
その思いが佐助にも伝わっていたので、安易に帰ろうなどとは言い出せず結局、随分高くまで登ってきてしまった。

佐助にとっても決して楽な道のりではなく、下ばかり見ながら歩いて来た。
頭上は木々の葉で覆われて明かりもない。
何処を歩いているのか途中から怪しくなってきた佐助が、そろそろ限界かなと顔を上げたとき幸村がくるっと振り返り、目一杯破顔して

「着いたぞー!!」

大声を上げた。
幸村に手を引かれ進み、木々が開けたそこから見えたのは、千の星だった。

「きらきらの星!!」
「すっごい……」


空に広がるのは星の海だ。押し寄せてくるようなその迫力に見とれ、ぼうっと立ち尽くしていると手を離れた幸村がその場に横になり、佐助にも同じようにしろと訴える。

体を横たえ見上げた、空。
目の前を埋め尽くす無言の星たち。
閉じた瞼の向こうで、ごうごうと空が動くと、耳の傍で夏虫が鳴いた。

「佐助、佐助。あれ、あれはわし座!!」

隣の幸村がかわいらしい笑みを向けて空を指差した。
「本当だ」

佐助の反応に満足気な子どもは

「すごいな!!」

嬉しそうに見つめてくる。

「あぁ、うん。……うん。そうだね」
「これをな、お前にみせたかったんだ。父上と兄上と前に見てな、すっごい綺麗だったから、今度は佐助と一緒に見たかったんだ!!」


向けられた純粋な想い。ただひたすら愚直なまでにまっすぐな幸村の視線が佐助には重かった。


「佐助知ってるか?星に願いごとをすると叶えてくれるんだぞ」
「それは流れ星でしょ」
「違う、普通の星」
「何、普通の星って」
「お空の星」
「あぁ、そう。うん、わかった」
「だがな、一つ願いが叶ったら、二つ良いことをしないとダメなんだぞ。父上がそう言ってた」

なるほど。子ども二人に家の手伝いをさせるための昌幸の目論見だろうと、佐助はすぐに理解した。


「佐助また来年も来る?」

「来るよ」

「その次も来る?ずっと来る?」

「……来るよ」


その言葉に安堵した幸村は、ふふふっと恥ずかしげに笑うと佐助にぎゅむとしがみついた。

「佐助だいすき。俺いっぱい良いことする!!」

呟いた子どもに

「オレも大好きだよ」

汚れた心を悟られぬよう、小さな声でその想いに答えた。





降り出した夏の雨が家路を塞いだ。帰りたくはないがそろそろ限界かと重い腰をあげた矢先だった。
予報はずれな天候に傘など持っていない。
歩いて数分の距離だ。このまま濡れて帰ろうと一人、店を出ようとすると馴染みの主人が傘を貸してくれるという。
濡れる心配がなくなり、急ぐ必要もなくなった。

いつもと同じ、自分の速度で雨の中を歩きだした。
整備されていない路の雨に濡れた泥、泥、泥、どろ。

ごうごうと音をたてて顔色を変える空。
何処かの子どもの、泣き声。
濡れた手。
ゆらゆら揺れるたくさんの松明。
大人たちの怒鳴る声。
動かなくなった、腕の中の幸村。




すうすうと寝息が聞こえ、幸村を見れば疲れたのか眠り込んでいた。
相変わらずの寝付きの速さに小さく笑う。
その寝顔を見つめながら佐助はこれ以上、幸村に会うべきではないと感じていた。
三年経っても病名は明かされず、ここへ来る理由も未だに知らない。それなのに幸村に対する邪な思いは膨れ、いつ自分がどうなってしまうか、危うい状態が続いている。
この子どもを悲しませてしまうかもしれない。それが一番佐助にとってつらかった。

踏み込んでしまわぬ前に、取り返しのきく今のうちに、この想いは閉じ込めて、
今年を最後にしようと決めた。

そう決意したとき、彼は人知れず泣いた。
膝頭に顔を埋めてとなりで眠る子どもを起こさぬよう声を殺して泣いた。
自分は異常者なのだと、やはり兄たちのように普通には生きられないのだと、先の人生を悲観した。溢れ出す涙が止まらなかった。

「佐助」

顔を上げると眠そうな瞳で幸村が、佐助を見つめていた。


「どうした?泣いてるのか?」
「ち、ちがっ、泣いてないよ」


慌てる佐助ににじり寄った幸村は短い腕を回し、自分よりも大きな体をひしと抱きしめた。

「泣くな佐助。泣くな」

ぎゅっと力の増した腕の感触に、あぁやっぱり自分は汚れていると再確認した。

そこからはもう、目も当てられぬような地獄のような展開だ。

「佐助、や、やだっ!!やめ、佐助!!!」

嫌がる幸村の叫びは届かない。
真っ白な子どもの首筋を吸いながらシャツの中へ手を入れて、震える小さな体を弄った。
逃げようともがき暴れる子どもを抑え付けるその顔は、佐助のものとは言い難いほど歪んでいる。気が動転し泣き叫ぶ子どもの頬を打ち、恐怖を植えつけ黙らせた。
抵抗をやめた子どもは何とかこの状況を終わらせようとごめんなさい、ごめんなさいと許しを請う。
その願いも届かず無情にも進む行為。
ついに佐助が下半身に手を伸ばしたとき、幸村はありったけの声を振り絞って名前を呼んだ。
『佐助!!』と。その声に、悪夢のような行為はぴたり止んだ。

幸村の服に手をかけたまま佐助は動かなくなり、その目からはまた、ひとつ、涙がこぼれた。そして、

「ごめ、ごめん…ごめんね幸村。ごめんね」

震える声で何度も謝罪し、そのうちにさっと体を引くと佐助はそのまま走り出した。
背中で幸村が何か言ったが聞き取れなかった。
暗い道なき山の中を闇雲に走り続けたせいで、足を滑らせ一気に転落した。

星も見えない闇の底で佐助は意識を手放した。
どれくらいの時間をそうしていたのか、気がついたときはまだ辺りは暗いままだった。
自分の状況を把握すると一気に戻る記憶。幸村は。幸村はどうしたのか。真っ暗の中に、ひとり残して来てしまった。慌てた佐助が立ち上がろうとしたとき、すぐ近くに小さな塊が見えた。

全身の血の気が引いた。真っ黒の中で浮かび上がったその姿。
恐る恐る近づけば、ほら、やっぱり。

「ゆ、幸村っ!!幸村、ゆきむら!!」

泥や草にまみれたその体を力任せに抱き上げると子どもは、静かに眠っていた。

気が触れたように佐助は何度も、何度も、何度も。名前を呼ぶのに、幸村はまったく返事をしない。
混乱する頭でどうしたものかと考えながら手を掛けた小さな額に、ぬめっとした生温かい感触を覚えた。
一抹の恐怖が指先から伝わる。
その感触の正体はどろっとした夥しい量の黒い血液だった。

「……はっ…ゆ、幸村…」

きつくきつく抱きしめながら泣き叫ぶ佐助の声が虚しく闇の中に消えてゆく。
どうすることもできずに彼はその場で声をあげ、泣き続けることしかできなかった。

そのうちに遠くからゆらゆらと、いくつかの光が近づいて、強い明かりが、二人の姿を照らした。松明を手にした昌幸と村人たちだった。

助け出された二人はすぐに病院に運ばれた。
幸村は町の大きな病院に移されることになった。佐助は軽い外傷ですんでいるが、後後精密に検査することになった。その場には警察も姿を見せ、佐助は聴取を受けたが、詳しいことは覚えていないと伝えた。
佐助の状態を気遣う昌幸とは逆に、妻である幸村の母親からは嫌悪と憎悪を込めた視線を終始向けられていた。
彼女は変わり果てた愛息の首筋に不可解な鬱血の跡がいくつもつけられていたことを不審に思っていた。
その後まもなく三雲賢持も駆けつけ佐助は父の病院で検査を受けることとなった。

結局、幸村は丸々ひと月、昏昏と眠り続けた。
そして夏の終わりのある日、目覚めるとすべての記憶を失くしていた。
自分のことも覚えていない子どもの状態を思い知らされた母親は狂ったように真田家に残されていた佐助の本などの私物を燃やしてしまった。

だが記憶こそないものの、幸村は持って生まれた純真な性格と粘り強さで元の生活を徐々に取り戻して行った。

一方、佐助は。

元々いた本の海へ、逆戻り。以前よりももっと深い、明かりも届かない底の底へ。父ももう、何も言わなくなった。

その後、大学に行って、戦争が始まって出兵して敗戦して、生き残った佐助は家には帰らず、数年後、絵本作家になった。
思い出の中でしか会えない大切なあの子に読んで欲しくて。だが現実は、彼が描きたいもので飯が食えるような状況ではなく、生活に困っていたところ編集者にすすめられるままに短編の小説を書いてみた。それが馬鹿みたいに売れた。二作目も同じように彼の生活を安定させた。

以後、彼は小説家猿飛佐助として誰もがうらやむような成功者となった。






  




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