白瀬は本部の廊下に足音を響かせていた。随分と急いだ足音だが、なにせ隊長直々のお呼び出しだ。普段の彼ならば現場での指揮に織り込むか例えお飾りであろうと対外的なものを優先し一度部長を通して連絡を入れるはずで、その上「仕事が全て終わった後で良い」という追伸つきである。つまり、かなり重要な話であるためにその案件に集中できるだけの条件を作って来いというわけだ。これで時間をかけてしまうようでは名が廃るというもの。たとえ意識していなくても急ぎ足になるわけである。
して程なく、白瀬はその部屋の扉に立っていた。対策室責任者、要するに部長の為に用意された部屋のドアを軽やかにノックすると扉の反対側から「入れ」と簡潔な返事があった。その声に首を傾けドアを押す。中から聞こえたのは想像していた隊長のものではなく、それより枯れた黒駒部長のものだったのだ。
「失礼します」
「ああ、白瀬か。待っていたぞ」
「…それは、遅くなり申し訳ありません」
「そう噛みつくことも無いだろう。それでも思っていたより随分と早い」
「ありがとうございます」
内心で鼻を鳴らしたのを微塵とも表出さず白瀬は一礼した。何が随分と早い、だ。自分と大して変わらないコマの癖に偉ぶって、そういうところに小物臭さがにじみ出ているのだとは本人は気が付いていないのだろうか。
「それで、案件というのは…」
「まあ急ぐな。…そうだな、少し話をするか。お前が優秀だったおかげで灰原が来るまでに少し時間ができた」
白瀬は目をそらし心中でそっと悪態を吐いた。私はあなたと話をするために仕事を早く終わらせたわけじゃないわよ。本当に言うのはせめてもの情け、この程度の相手にむきになるのは大人気ないと思うからだ。そうでもなければ、この男の無能ぶりには普段からほとほと苦労させられており、到底敬意を払って接するような相手でもない。
いっそ二人きりなのをいいことにパシリにでも使ってやろうかとすら考えたが、黒駒には幸いなことに白瀬は彼の次の言葉にわずかに興味を抱き、それを実行には移さなかった。
「心構えが出来るというのは、君にも悪い話じゃないはずだからな」
「…心構え、ですか。それは例の案件について?」
「ああ」
「お言葉ですが、どんな命令が来ようと私は躊躇いなくこなして見せます」
言葉に険が混じったのは彼女のプライドによるものだ。大人気ないと隠していた本音を露わにするほどに、彼女は何より侮られることを嫌っている。誰よりも実力を持っていても、女という色眼鏡で見られ侮られ軽んぜられる。それは同じ捜査員でも同じことだ。誰より素早く正確に射撃を行い計算を行い観察をこなして見せても侮られる、そのことに対する焦りにも似た焼け付くような思いが彼女には根付いていた――否。数人の例外が居た。自分の認める数少ない人物の顔を思いだし、記憶に反芻する。一人は自分をここに呼び出したはずの張本人である灰原隊長であり、もう一人は…
「確かに、お前は優秀だ」
思考を遮る声に白瀬はハッと意識を引きもどした。回想の世界に浸るのは悪いことではないが、仮にも今は仕事中だ。
「忘れては無いだろうな、その体がオオガミのものであること。オオガミに生み出されたものであり、オオガミに忠誠を尽くすためにお前が生み出されたことを」
「…はい、勿論」
白瀬の従順の返事に「そうだな」と呟き黒駒は眼鏡を押し上げる。
知ったことじゃないわ、私の体は私のもの。実のところはそう考えてはいるものの、かといって組織に反した行動を取り実力より低く評価されることは白瀬の望むものではない。
「…さて。ところで、最近オオガミの方から新しい研究についての話が入ってな」
その急に思える話題転換に白瀬は微かに眉根を寄せた。ここで話すということは自分にも関係ある話なのだろうが…
「ここがアンドロイドの試験運用の舞台となっていることは知っているだろう。自力でたどり着いた真相だからな、忘れられるはずもないだろうが」
「…はい」
「第三世代がどのようなコンセプトのもとに作られたかは?」
「潜入捜査タイプの個体の発展型だと…卓越した身体能力以外では、あらゆる面で人間そのものの…」
「そうだ」
妙にさっぱりとした黒駒部長の返事に、なぜだか白瀬は胸の奥が内側からひっかきまわされているような不快感を抱いた。嫌な予感がすると、これ以上この話は聞きたくないと、今すぐに引き返すべきだと体が言っている。理解できない不快感に肌を泡立たせた白瀬はそれでもプロ意識から不快感を飲み込み表情には微塵も出さなかった。嫌な予感がする。途方もなく嫌な予感だ。
「あらゆる面で人間そのもの。では、お前は人間とアンドロイドで違うこととはなんだと思う」
「……身体能力や、生まれ持った権利、でしょうか」
「それも一つの違いではあるが決定的なものではないだろう。…答えは、その出生だ。私達は人の腹から産み落とされ、お前たちは培養ポッドの中で強制的に育てられ排出される。一応は意図した部分以外発達に何の問題もないことになっているがね、最近研究者の一人が実に面白い説を出した」
冷たい汗が白瀬の指先を滑り落ちた。嫌な予感がする。
途方もなく、嫌な予感。
「その研究者曰く、」
女であることで、侮られることが何より気に入らなかった。
「――胎内で赤子は非常に多くの経験をはぐくみ――しかし――により培養され――体はその経験をすることなく―」
その中で、男であったらばと思ったことは一度や二度ではない。男であれば、隊長のような、もしくは小波のような、そんな体格を持っていれば素質を持っていれば侮られなかったろうかと、このような思いをしなかったのだろうかと、思ったことは少なくない。
「―しかし反発したのは培養ポッドの開発陣――完璧だと――故に優秀な個体同士を掛け――自然妊娠の中で―最終的に比べてみようと――」
だがそれでも、
「要するにだ。君と灰原の協力のもと、アンドロイドの優秀な個体同士を交配させ、その子供を観察しようとそういう――」
それでも、ここまで女であることを辱められたことはなかった。
「―――お断りよ!!!!!」
ダン!!!
身を這い上がる嫌悪感に思わず黒駒の前の机を叩き、わななきを隠し彼女は叫んだ。
手のしびれる感覚に微かに正気を戻し、震える喉で空気を大きく吸い込み、怒りを抑えた声でささやく。
「……失礼。でも、お断りするのはほんとよ。私である必要はないわ。」
「それが、困ったことに会長が興味を示されてな。どうせならということでお前に白羽の矢が当たった訳だ。ちなみに相手は…」
「……っ!」
忌々しい顔を隠せもせず彼女は踵を返した。この部屋に少しでも長く居たくない。居てたまるものか、この汚らわしい空気を少しでも吸ってたまるものか。そう踏み出しかけた一歩目で彼女は勢いよく何かにぶつかりたたらを踏んだ。崩れかけたバランスを、自分の腕を強くつかんだ感触が引きもどす。思わずそちらへ目をやって白瀬はすっと血の気を引いた。今全く見たくない顔がそこにある。
「…隊長…」
「…」
何時の間に。気配もなく。そんな混乱が一瞬白瀬を襲うが、握られていた腕を離されたことですぐに気を引き締めると「失礼します」と一声、彼に背を向けて歩き出した。彼女と言え勿論混乱することはあるのだ。案の定、今度は逆の腕を灰原に掴まれ立ち止まる。掴まれた腕がジンジンとした。
「遅かったな、灰原」
「…所用入ったもので。説明はもう?」
「ふん、お前の予想した通りかなりの剣幕だ。話を聞きもしない」
「…では、打ち合わせ通りに」
「ああ」
血の気を引いた白瀬を横目に、黒駒が椅子から立ち上がる。彼はそのまままっすぐ出口へ向かうと扉を開け外へと出ていった。それを見届けた灰原が白瀬から手を放す。予想外の解放に白瀬はよろめき、すぐに姿勢を正して彼に正面から対峙した。サングラス越しの表情に向き合い、嫌な緊張でからからの喉で生唾を飲み下す。
「話は聞いたな。そういうことだ」
「………」
向き合ったまま恐れ交じりの反抗的な目で睨み付けてくる白瀬を一瞥し、灰原は軽くスーツを整えた。眼差しを下げ、「賢いお前のことだ。一度返せば策を練るだろう。簡単には手を出せないだけのものをな。そうならん内に抵抗の気概を削ぐと…そういうことだ」と厳かに切り出す。
顔を真っ白にした白瀬は、動きの鈍った足を一歩後ろに下げた。信じられないものを見るような目で灰原を見つめ、一瞬だけ胸元に手を伸ばし駆け、そして諦めたように肩の力を抜いてうなだれる。殺して良い相手でもなければ、到底勝てるような相手でもない。
「…はじめるか。」
ゆっくりと近づいてくる足音を、白瀬は絶望的な気持ちで聞いていた。

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