▼ぐるぐるうしお 
 目を閉じれば浮かぶのは、いつでもあの戦いのことです。初めて見る武器、初めての苦境。気が付けば燻る硝煙に目の前の男が倒れていて、音のない世界でどす黒いしみが彼の胸元を濡らしてゆきます。
 死ぬのは怖くないはずでした。しかし何故か自分はいまでも生きていました。音のない世界に響く、自分の言葉が何よりも自分のことを責めていました。


 さて、宴もたけなわ、それでは宿に戻ろうかという頃合いです。腰を上げ各々がまことに礼を言いかえり始めている中で、ハーシバルがハイバラへと声をかけました。
「お前さ、今日はこっち泊まってけば?」
「……」
 言われたハイバラはどういうことかと眉を寄せるでもなく、ただいつもの真顔でじっと見返します。ハイバラがその心中を表に出さないのはいつものことなので、気にせずハーシバルも続けます。
「あ、可笑しな意味じゃねえぞ。まことさんから聞いたんだよ、お前ここに部屋があるんだろ。あの、ほら…縁談がどうのってなった時にまことさんの父さんが用意したらしいじゃねえか」
「…オレはもうあの道場のものではない。」
「そうは言ったって、まだ残してあるってまことさん言ってたぞ。なあ船長、それでいいだろ」
「ああ、俺も賛成かな。折角戻ってきてるんだからゆっくりしてけばいいよ、しばらくはデジーマでやることがあるんだし」
 ハーシバルに加え、船長も同意の姿勢を見せています。海の旅は長く、また危険が付き物です。コンキスタ号は海賊家業を生業にしているわけではありませんが時には苛烈な戦闘を乗り越える必要がありますし、冒険の途中ではまだ確認していない毒物にあたることも、些細なことから病で命を落とすことも少なくはありません。コンキスタ号には優秀な乗組員が付いていますが、それでも船が沈まないとも限りません。船乗りというのはげんを大切にするものですから口に出すことこそしませんでしたが、それらのことも踏まえての発言であることは明らかでした。
「……。」
 それでもなかなかハイバラが首を縦に振らない事に船長とハーシバルが可笑しいなと思い始めたころ。
「私の方からも、よろしくお願いします」
 凛とした声が一同にかけられました。見送りに玄関へと出ていたまことでしたが、三人がなかなか出てこないために中へと戻ってきていたのです。気が付けば室内に残っていたのは三人だけになっていたようです。
「話したいことは山のようにあります。…それに、父上に、顔を見せてやってほしいのです」
「……。」
「決まりだな。行くぞハーシバル、早く追いつかなきゃモッチーにどやされちゃうよ」
「おう」
「それじゃ、まことさん失礼します。あ、見送りはここでいいんで!片付けもあるでしょうし、こっちも遠慮しちゃうからさ」
「あ、いやそのような訳には…ああ、行ってしまわれた」
 流石商業に手を出しているだけあって見事な引き際です。走りこそしないもののあっという間に見えなくなってしまった姿になんとも言えないどこか滑稽なものを感じながら、追いかけることはしませんでした。二人の意をくむことが一番だと思ったのです。
 時間にして今は夜、外を出歩けないことはありませんが、どうせなら心づもりを整えてからの方がいいでしょう。父にとってもハイバラにとっても。
「ハイバラ殿、今日はもう遅いことですし、父上には明日…」
「申し訳ないが、その件についてはお断りさせていただく」
「!」
 当然来ていただけるものだと思ってそのように考えていただけ、まことの驚きは大きいものでした。
「そんな、どうしてです」
「………。」
 ハイバラは黙り込んでしまいましたが、それはいつものような本人の性格からくるものではなく、彼にしては珍しく「気まずい」という思いからくる沈黙のようでした。
 案の定、ようやく吐き出した続きには彼らしくもないあまりにも沈痛な響きが込められていたのです。

「……合わせる顔もない。」 

 まるであの時のような、
 武人としての意地を捨て「無事に」まことの元へと戻ってきてくれた時のような、そのような顔をさせてしまったことに、まことは酷く動揺しまし息を飲みました。そこに、父の痩せ衰えた背中と同じ、見てはいけないものの手触りを感じたのです。彼は何を持って合わせる顔がないというのでしょう。心当たりは幾つもあって、それだけに何からどう説得すれば見当もつきました。
なにか、言いたいのに。
何か言って楽にしてあげたいのに、それに値するだけの言葉が見つからない。自分の無力さを突き付けられたようで何も言えないのでした。

 ハイバラはぐるりと部屋を見渡しました。自分のために宛がわれた部屋は、掃除こそよく行き届いてましたが中のもの事自体は何も触れられていないようで、自分が道場から抜けたときそのままにしてあるようでした。
 机の上に重ねられた数冊の書を手に取ります。もともとまことの父親の持ち物であった書物です。ハーシバルは、ハイバラが縁談の時に宛がわれた部屋だと思っていたようで、実際その通りなのですが、正確に言うとその以前からもこの部屋をハイバラは定期的に使っていたことがあるのです。文字の読み書き。世界的に見て識字率の高いデジーマでも「貧しい農民の多くはそれに不自由していることが多く、それを不憫に思ったまことの父親がハイバラに教えていたことがかつてありました。
「……。」
  ここにくると、様々なことを思い出します。勿論、苦い思い出も、そうでないもののも沢山ありました。
ハイバラは一つ大きく息を吸うと、ゆっくりと吐き出し畳に胡坐をかきました。何を考えているのか、その表情から読み取ることはできません。しかしやはりその吐息にはどこか沈痛なものが含まれているようでした。

▼よいよいよぞら
「ハーシバル、お前、変わったな」
 まことの家からの帰途、キャプテンのそんな言葉にハーシバルはすごく嫌な顔をしました。
 普段反抗している母親へこっそり用意していたプレゼントを友人に見られてしまった少年のような、苦い苦い顔でした。
「やめてくれよ。お前、カンドリーと同じこと言うんだな」
「照れるなって。いいことだと思うぞ。ナツミ少尉のことでも思い出したのか?」
「やめろって、それが嫌だって言ってんだよ。別にあいつは関係ないぞ」
「だって前までのお前じゃあんな気を遣ったこと言い出さなかっただろ」
「失礼だな。俺だって人並みの気遣いぐらい…ちぇっ!」
 純粋に良かれと思ってしたことがからかわれ不満なのでしょう。憮然とした表情でキャプテンの足を引っ掛け「何すんだよ!」という彼の言葉を無視して先に進みます。
「悪かったって。ハーシバル。そう拗ねるなよ」
「…だってさ、見てらんないじゃないか。」
「?」
 すっかりおふざけの態勢になっていたキャプテンは、それが何のことを示しているのか気が付くのに数秒を要しました。
「…お前さ、やっぱり変わったよ」
 しみじみとキャプテンが言います。以前のハーシバルではこのように他人に対し慮るということは出来なかったでしょうから、船を預かるものとして、また彼の古くからの友人として彼の成長が喜ばしくあったのでしょう。照れたような「やめろって」という声が夜の空気に溶けてゆきました。

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