(名前)
青春を部活にかけるものにとって、それ以外の時間は貴重な休憩時間である。それは授業ですらも例外ではない。
ということで蒸し暑い教室の中うつらうつらと夢うつつの世界へ飛び立ちかけていた小波は突然教室中で鳴り始めた椅子を引く音に飛び上がり、周囲に合わせて立ち上がった。実際突然のように感じたのは小波が眠っていて話を聞いていなかったからなのだが、本人にとっていきなりだったことに変わりはない。彼は周囲の人間が手際よく席を移動していることに顔を青ざめかけたが、そこに丁度よく彼の肩を叩くものがあった。
「小波君はこっちですよ!」
「高科!」
「えへへ。…次は班活動ですよ、聞いてなかったでしょう」
「悪いな」
「いえ!友人ですからね、これぐらい軽いものです。自由班で良かったですね」
そう言うと彼女は彼を連れて自分の席へと案内する。四組の机を合わせて作られた作業スペースにはすでに二人ほどの人影があった。同じように高科が誘ったのだろう。まず目に入った、顔を伏せた知らない女子生徒に一瞬言葉を詰まらせかけたものの、その中に相棒とも言える眼鏡の少年を見つけ彼は安堵の息をついた。
「荷田!」
「小波君も呼ばれたでやんすか?」
「ああ、知り合いが居たんで安心したよ。で、俺達はどうすればいいんだ?」
「おいらに聞かれても…」
「おいおい…まさか、授業を聞いてなかったな?」
「アンタにだけは言われたくないでやんす!」
口々に言い合った彼等は、そこでふと自分達を呼んだ少女を見た。
班員を集めたぐらいなのだ、彼女なら何をすれば良いか分かっているだろう。そう思っての行動だったが、二人分の視線を受けた高科は微妙に狼狽えているようだった。
「な、ナオっちも小波君達より少しだけ早起きしただけなので…実は分からないんですよねえ」
「…おいら、なんだかこんな予感はしてたでやんす」
「ナオ、どうしてよりによって荷田君を呼んだんだ!」
「でもっ!ほらっ、みょうじさんが居ますから!彼女ならきっとわかりますよ、ね!」
高科の言葉や身振りに合わせ、二人の視線がその隣の席の女子へと向かった。高科の声に、少女は先程小波が見たままずっと伏せていた顔を上げた。
あまり機嫌のよさそうな顔ではない。無愛想、寧ろ敵意すら感じさせそうな…その顔に覚があるような気がして小波は首を傾げた。
「今回扱ってる作品について、幾つかの内容を話し合うこと。…だって」
「幾つかの内容、ですか?」
「ん」
高科の疑問にみょうじは黒板を指差す。見れば成る程、幾つかの内容が箇条書きに並べられている。既にノートを広げているみょうじを見て、以外の面々が慌ただしく用意を始めた。
「いやー、みょうじさんちゃんが居て助かりましたよ。あたしたちだけじゃどうなってたことか」
「別に、生徒として当たり前のことやってるだけだから」
「そうですけど!お礼の言葉ぐらい素直に受け取って下さいよ」
授業後、昼休み。終業の礼を終えてから、頬ずえをついて高科の話を聞いているみょうじがなんとなく気になり小波はそちらを窺っていた。
「部活が忙しいから授業を疎かにする、なんていけないと思うし。私はね」
「…それ、俺達に言ってる?」
窺っていた…のだが、心当たりがありすぎてついそのまま小波は話しかけてしまった。正論ではあるのだが、あまり気分の良くない言い方ではある。本人も心疚しい所があったのだろう、小波が聞いていたことに気がつくと気まずげに視線を逸らして呟いた。
「………別に、小波君たちだけに思ってることじゃないから」
「まあ、確かにそうなんだけどさ」
「あはははは!みょうじちゃんさん、それじゃあ部活をサボりがちかつちゃんと授業についていけてないナオっちはどうなっちゃうんですかー!」
思わず苦笑した小波をカバーするように大きく笑った高科を見て、みょうじは「そうだね。部活、どっちも疎かにするぐらいなら片方に絞った方が良いとは思うかな」と切り捨てる。ばっさりと叩きつけられた正論にうっと高科が詰まったのを期に、小波は先程から気になっていたことを聞いてしまうことにした。
「ところで、みょうじ。間違ってたら悪いんだけど…」
「何」
「最近よくグラウンドに来てくれてるよな」
「…。そうだね」
「野球、好きなのか?」
「――好きなんかじゃないっ!」
「!」
「……あんな部活なんて…っ、わたし、…野球なんて…好きじゃない…」
「……」
突然声を荒げられた小波は、まさに鳩に豆鉄砲の体である。
本人にしてみてもそれは不覚だったのか、「ごめん」と早口に言うとそのまま顔を伏せて早足に去ってしまった。
気が付けばクラスも少しざわめいている。話が聞こえていたのか、特に、野球部の面々の混乱はそれなりのものだった。
突然の展開に放心していた二人の内、最初に元に戻ったのは高科だ。
「ご、ごめんなさい小波君!」
「…え?いや、ナオが謝ることじゃないだろ」
「でもです。…あの子、悪い子じゃないんですよ。ただ、最近色々あって…」
「色々?」
小波が問い直すも、高科は曖昧に笑って首を振るだけだ。言えないということだろう。
「元々はすごく面倒見のいい、優しい子なんですよ。…だから、ほっとけなくて…」
「あまり気に病むなよ。俺なら気にしてないから」
「ありがとうございます…」
しかし、高科の前だからこそ言わないものの、少女の態度にあの言い方はないだろうと思ったのは確かだ。
「…あの子、もうグラウンドには来ないのかな」
小波は席に戻ると一人ごちた。本人がどのように言おうが、練習中こちらを真っ直ぐに見つめるあの視線に悪いものは感じなかったのだ。さて一体どうしたものかと小波は考えたがさっぱりわからない。やがて彼は大きく伸びをして机に突っ伏した。わからないことをいつまで悩んでいても仕方ない。
青春を部活にかけるものにとって、それ以外の時間は貴重な休憩時間なのである。
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