名前




※オオガミ所属超能力者夢主


洗谷はもう動かない研究員の体を足でのかし次へ進む。おそらく死んでいるその体は妙に強張っており、蹴れば案外簡単に血で凍った床を滑っていった。触ればおそらく人体に似つかわしい冷ややかさを感じることが出来るだろう。人体を占める水分は凡そ70パーセント、彼の能力である天候操作の応用、気温の急激な低下により細胞が凍り付いているのだ。当たり前の話ともいえる。
氷点下の世界においてはむしろ、しれっとした態度で白い息を吐き出している男の方が余程異常。どういうわけか平常と変わらぬ恰好にも関わらず少しも寒さが身に染みた様子はない。

冷え切った室温を徐々に戻し、適当なところで次の場所を目指しさらに一歩踏み出したところで、溶けかけた血がぬめり異様なにおいを放つことに彼は気が付いた。
――どうせ廃棄される施設なのだから凍らせたまま捨て置けば良かったか。険のある顔をさらに苦く歪めて彼は思った。慣れればなんということはなくとも慣れるまでは余り気分の良いものではない。流石に死体が完全に溶けるのは時間がかかるだろうが一度凍らせた肉が溶けたときにどうなるかというのは経験上嫌になるほどに理解している。今ほど蹴り退かした体のように損傷が少ないならまだしも、胴体からばっさりと二分されているもの、千切れた太ももの辺りを抑えたまま凍っているもの、などに見られるようあまり状態のよくないものも大いに存在する。ちなみのこれはおなじく天候操作の応用、鎌鼬による裂傷であった。
出会い頭に鎌鼬で一挙に薙ぎ払い生き残った面子も混乱の内に凍り付かせる。超能力にいささか頼り過ぎた力技の戦法ではあるものの、超能力以上の武力が未だ開発されていない現状でこれ以上手っ取り早く被害の少ない方法はあるまい。
もしもこの研究所で未だどの勢力も開発に成功していない超能力に対する対抗策が存在したならまた違った話になるのかもしれないが、そもそもこの組織がそれだけの武力を持っている様子があったならいくら洗谷とあの女に対する信頼厚かれど二人きりでの任務など任されなかっただろう。
表面的にはオオガミと友好的に接していながらも裏では別の勢力グループとのつながりを持っていた。
価値のある開発を行っているならまだ利用価値もありそうなものを、しかしこの組織は身の振り方を間違えた。
金でも渡されたのか、はたまた違う理由があったか、それは洗谷の預り知らぬことである。
自分はただオオガミのために動く駒でよい。匂いも不快感も、それは自分のことであり任務には関係のないことだ。
首を振り、余計なことを考えた自戒とし、彼は先を進む。
何度か鎌鼬を振るい、何度か気温を操作した。その数だけ死体が増えていった。




目的の部屋に入ると、その部屋の端、寄りかかるようにして少女が既にそこにいた。毒蜘蛛という二つ名に似つかわしくその体は綺麗なもので返り血一つついてはいない。
逆に既に彼女が粗方片付けておいたらしい管制室はといえばなかなかの惨惨たる眺めで、肌の色を可笑しな具合にしたもの、体の半分ほどの体積をなにかに食いちぎられたようになくしているもの、様々な「元」人間が地に伏しあるいは虚ろな目を点に向けていた。千切れ転がる四肢の数は片手できかず、――何より、赤い。千切れた死体から流れる血、床に広がるそれ――自分の歩いてきた道もそう綺麗なものでは無かったが、これほどに一目で見て惨たらしい様ではなかった。これではまるで、獣が食い散らかしたような…そこまで考え、洗谷は自分の考えに不意に納得する。
そうか、食い散らかしたのだ。
しかしこれは獣ではない。彼女子飼いの、あるいはこの場所にもともと生息していた、虫。
この死体たちは虫に食い散らかされ死んだのだ。はて今はどこに潜んでいるやら一匹の姿も見えない。

「遅くなったな」
「いえ、そんなことは。こちらにあまり人が居なかっただけで、……洗谷さんっ!!」

男の姿を認め浮かべた笑みはすぐに険しく塗り替えられ、少女は洗谷の名を呼んだ。
洗谷が突然背後に現れた気配に振り向くより早く、彼の背中に何かが巻き上がるような風圧と肉のひしゃげる音があたる。洗谷が鋭く振り向いたとき、彼の目に見えたのは人の背丈ほどの大きさをした何かに何か黒くて小さいものが群がりもごもごと蠢いている姿だった。時折ビクビクと痙攣のような動きが混じる。

おぞましい。

至近距離の不意打ちに思わず血の気を引かせた洗谷の前で、それはがくりと膝らしきものをつき、溺れた蟻のようにくしゃくしゃと体を丸めるとそのままぷつりと動かなくなった。同時に群がっていた何か不快なものがぞろぞろと散りどこかへと消えてゆく。遺体の様子は酷いもので、頭にぼつぼつと残った髪の長さでかろうじて女性だと分かるそんな状態だ。洗谷が顔をしかめたとき、反するようにほっと緩んだ気配が背後に広がった。振り返り一応の礼を言う。

「…恥ずかしいところを見せたな」
「いえ。お役に立てて何よりです」
「生で見るのは初めてだな。それが例の君の能力か、なかなか凄まじい能力だが…ところで、先ほどの虫たちはどこへ?」
「帰ってもらいました。この施設、オオガミと違って衛生管理はあまりよくなかったみたいですね。――長い時間拘束しちゃって、いろんなもの食べさせられて、疲れてなきゃいいんですけど」

人のように高度な思考を持たない相手に、随分と感傷的な物言いをする。
これだけ無残な殺しをいくつも重ねていていまさら言うに事欠いて虫の気持ち。洗谷は内心おおいにしらけてその娘をみていた。

「…あ。」

だから少女の顔から笑みが消えたとき、自分のそれが相手に伝わったかと思い、同時にぎくりとした。
しかしそれは違う。少女は確かに洗谷の方を見てはいたが、それは先ほど自らの能力で殺しせしめた遺体に対する視線の直線上に洗谷が居たに過ぎない。身を固める洗谷に気が付きもせず、髪を翻し男の隣を通り過ぎ、遺体の傍へとしゃがみ込む。
しばらくそのままじっとしているかと思えば、ただ眺めるに飽き足らずその体を検分し始めた。どうやらその体を起こしたいらしいのだが力を失った体はぐねぐねとおかしな動きをして思うようにいかず、その上掴んでいた腕が肩から千切れて再び倒れてしまう。血がぴしゃりと跳ねて、その時初めて少女の肌に血が付着した。
見ている洗谷の身からすれば不可解の極みである。よほど「無駄な時間を費やすな、帰るぞ」と言い出そうかとも思ったのだが、しかし少女の顔が笑みではなくこの上ない真顔だったのに興味を抱き結局はそれを黙ってみている。

「ああ、もう」

上手くいかないことに自棄になったのか、彼女は地面に膝を立てるとそのまま密着するように屍を抱き起した。屍の体中に及んだ傷口から流れる血液がべっとりと少女の体を濡らした。

「洗谷さん、これ、みてください」

少女が、抱き起した体を洗谷の方へ差し向ける。その頭部には一つの髪留めが止まっていた。
衣服すらも食い散らかす虫たちもプラスチックには手を出さなかったらしく、ぐずぐずな体になった持ち主に対してそれは滑稽なほどに綺麗な形を保っている。鈴蘭を意匠にしたらしいそれに少女は顔を綻ばせた。

「これ、私のお母さんがくれたプレゼントにそっくりなんです」
「…母親が?」
「はい、誕生日プレゼントに。旅行中だったんですけど、外で買うと高いからいいって言ったのに、いいからこの中から選べって押し切られちゃって」
「なるほどな」

急に饒舌になった少女に、先ほどの会話を思い出し、男は思わず口を開いていた。
失策というのは常に油断していたころにやってしまうものだ。

「似たような首飾りなどではなく、髪留めを選んだのか」
「はい、髪が伸びてきて丁度良かったし、一番安かったんですよね」
「…そういうときは好きなものを選んでやるものだ。なにも我慢してまで、付けないものを買うことも…」

「………なんの話ですか?」

にこり、屍を抱いた少女が首を傾げて微笑む。

「いや。先ほど言っていただろう、髪に跡が残るのが嫌だと…」
「ああ!その話。じつはそれもお母さんなんですよ。お母さんっていうかお父さんもなんですけど。私の髪は綺麗だからきっと似合うよって」

支離滅裂だ。対話の形をしていながら会話としての役目をはたしていない。少女の笑みが虚ろなことに男はその時になってようやく気が付いた。そしてぞっとする。
もしかして自分はなにか失敗したのではないか?

「似合うよ…って言ってくれて…あれ。じゃあわたし、いまなんで……つけてないの?」
「それは、」

もしかして自分はなにか失敗したのではないか。
思いながらも、つられて男は口を開く。開いてしまう。

「それは君が、髪に跡を残したくないからだろう」
「…そう、そうです、髪に跡は残したくないの、だって褒めてもらったから、きれいな髪だねって、でも、おとうさんとおかあさんにプレゼント渡されて、それならいいって、これは付けたいって私思ったんです。ならどうしてわたし……わたし……」

ブブ。
微かな羽音。嫌な予感がして視線を走らせれば、部屋の隅、幾匹かの虫がひっくり返って歪に羽を羽ばたかせて体を震わせている。一匹、二匹、三匹四匹…苦しみ悶えているかのような姿に洗谷はぞっとした。どうじに部屋の暗部がふつふつとゆらめく。

「これは……」
「そう、思い出した。確か壊れちゃったんだ…壊れちゃって、私はもうこれ以外の髪留めはいらないって。でも、ならどうして壊れたの?あんなに大事にしていたのに、最後のプレゼントだったのに…どうして踏まれたりなんか……踏まれた?ええ踏まれたの、誰に?わからない、知らない言葉を喋って、私とお母さんとお父さんと沢山の知らない人たちによくわからない注射をして、お母さんとお父さんが、横たわって、あ、あっ、あ、」

あ。
少女がそう呟いた瞬間。管制室が沸騰した。
沸騰した、まさにそのように一気に虫が噴出したのだ。ぼこぼこぼこぼこ、どこからか無限に湧いて出る虫は部屋を縦横無尽に飛び回り這い回りあらゆるものに群がってゆく。

「苦しかった、苦しかった、苦しくて死ぬかと思った、いっそ死にたかった、全部あいつのせい、あの子のせい、私なにも悪いことしてないのに、おかあさん、おとうさん、あっ、なんでしななきゃいけなかったの、なんで、ああっ、うう、ううううう…ううううううっ!!!!」
「…くっ!暴走かっ」

洗谷は飛び回る羽虫を必死に顔から遠ざけ、時には能力を使いそれを防いでいた。彼にとっての唯一の幸運は虫は明確に人に襲い掛かっているというよりはもだえ苦しみ結果飛び回っているとでも言うような滅茶苦茶な動きをしていたことだろう。黒い嵐のような虫のなか、少女だけ不思議と白いまま。
虫の動きはさらに苛烈になり、目を開けていることも難しくなった。能力を使うことも考えたが、虫の類は総じて温度変化に強い。そう人間よりよほどだ。下手に行えば蟲使いという数少ない強力な能力を失うことになる。

いや、むしろ、失った方がいいのか。

その考えに洗谷が行き着きかけたとき、発生したときと同じくらい唐突に虫の動きが止まる。完全にではない。速度が落ちたという程度だ。だが落ちた速度はますますゆっくりになり、やがて力尽きるようにぽたりぽたりと飛んでいた虫が床に落ちる。能力の苛烈さに虫が付いて行けなくなったのだ。

静かになった管制室。男はほうと一息をつき、さてどうするかと少女を一瞥する。

「……。」
「……あー…っ、はあ」

彼女はふるふると頭を揺らすと頬を叩き、座り込んだまま洗谷に向けて頭を下げる。先ほどまでの混乱はもう収まったらしい。申し訳なさそうに謝罪する言葉に、先ほどまでの乱れはない。

「情けないところを見せました。ごめんなさい。もう大丈夫です」

立ち上がりざま、腕に抱いた女から髪飾りを抜き取る。どうするのかと思えば、そのまま地に落とし、足で踏みつけばきりと飾りを壊す。少女は一つ大きく息を震わせて、最後に一つ呟いた。

「もう、大丈夫です」


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