名前




※オオガミ所属超能力者夢主







髪を結ばないのか、と直接聞いたのはこれが初めてか。

久々の、実に久々の部下以外の相手との合同任務。今回が初顔合わせとなる少女に向けて言った言葉が真実これまでで初めて口にするものだとして、女のあの髪は動き回るのに邪魔にならないのかというのはかねてより単純な疑問として洗谷の中にあったものだ。同僚のうち幾人かはやはり同じように髪を伸ばしたまま結ばないでいることが多く、些末なことながらも、その光景を目にする度に男は眉をひそめたものだ。――髪に痛覚は無いとは言え頭皮はまた別の話。捕まれたときに弱味の一つとなりかねない物をわざわざ放置しておくことがこの男には今一つ理解できないでいた。実にオオガミの忠実な僕たらんとする彼らしい考えである。

とは言え洗谷も、ただ気になったからという理由で仕事の最中に気心も知れていない相手に無駄話を持ちかけるような性格はしていない。要はテストだ。答えの内容そのものより、相手がどのような内容をどのような表情、しぐさで表現するかを観察し対象の人間性を見極めるテスト。オオガミという組織の中の一兵士、それが誰であれ、どのような性格をしていてどんなものに価値基準を置くのかを知っておくのは少なからず益のある結果にになりうるだろう。

いわんや今日の相手をや、である。

噂に聞いたところに依るとこの女、現ジャジメント社長にその力を向けたことがあるらしいではないか。
本来なら死体も残さず表舞台から消されて然るその所業が確かにあったのは当時の書類をいくつか辿ればすぐに証明された。そして今は何がどう回ったか、そのオオガミに身を置きオオガミの為に力を奮っている。
歩みを止めぬまま、彼は自分より一歩二歩ほど後ろに付いて歩く彼女に少しだけ意識を集中させた。
彼が忠誠を誓った前社長は暗殺を受けて死亡した。その代わりに今その座に座っているのは、その息子の、つい昨年まで球ころがしに熱を上げていた経営の手段も知らぬ若造だ。確かに優秀であり伸びしろの余地も十二分に示してはいるが如何せん根が甘い。幼い娘に余計な同情心を起こして行動したのだとしたら、そしてあの男がそう言う理由から行動を起こす姿は想像に難くない。洗谷は現社長大神博之のことをあまり快く思ってはいなかった。
ジャジメントとの緊張高まるこの時期に、危険分子が少しでも見えたなら――その時は自分が。彼の思考を知ってか知らずか、いや恐らく気がついてはいないだろう、彼に問われた少女は髪をつまみ、照れくさそうにはにかんでみせた。

「そんなに大した理由じゃありません。結ぶと跡が残るのが嫌で……綺麗な髪だって、褒めて貰ったことがあるんです」
「……それは大層な理由だな。」
「ありがとうございます、えへ」

けして褒めてはいない。寧ろ戦場にあるまじき理由に対する批難を込めてすらいた一言だったのだが、少女ははにかみ今にでも鼻歌を歌い出しそうに上機嫌になる。薄く頬を染めてまでいる。言われた相手に悪からぬ思いを抱いているのはどのように見ても明らかだった。その笑みを見た瞬間洗谷に去来した感情は、表すなら失望に近いのだろう。

――どんな大した理由があるのかと思えば恋愛絡みか。

如何にも年頃の少女が傾倒しそうな理由だ。生死をかけて戦う障害にするにはあまりに軽く不釣り合いな、そんな印象に心中で失望の息をついた。命のやり取りをする場で見ようによってはおふざけにも捉えられるその姿勢は洗谷の好む性質のものとは程遠い。
しかし言われてみれば、確かに、その髪は褒められるに値するものではある。あくまで普通に生きている限りの話ではあるが、艶やかに光を照り返し、風に靡いた瞬間の滑らかな動きなどははっとするものがあるほどで、逆に、顔も悪くはなく体もそれなりに鍛えられておりそれだけでも人目を引きそうな印象を全て髪に食われている感も否めない。
先ほどの返答と言い――こうして改めて見れば見るほど、この子供がかのジャジメントのトップに差し迫ったことのあるほどの逸材には見えはしない。おままごとに憧れる子供とさして変わらないではないか。
だからといって、この少女を侮って良いわけではないが…。そう、オオガミにもジャジメントにも、その他九頭龍カエサリオン、ユキシロなどのいずれの勢力にも超能力者の存在は今や必須と言っていいほどに浸透しており、戦力を外見から図ることほど愚かなことはないと、そう、わかってはいる。しかし男は少女の様子に失望を抱きながら、確かに安堵をも抱いていた。

人の恐るるべきところはその覚悟にあり。

少女に付いた『毒蜘蛛』の二つ名が示す蟲使いという能力は確かに使いようによっては様々な戦略を生み出せようものだが、しかし、中身がこれでは御するのも容易い。さぞや狂った人間が来たと思っていたが、これでは特にオオガミの脅威にはならないだろう。
自分が何かするまでもなく勝手に篩い落とされ戦場から消えてゆくはずだ。

先を行く洗谷の侮りを知らず、少女は頬を染め鼻歌混じりに後をついて行く。


しばらく沈黙が続き、やがて不意に洗谷は歩みを止めた。金属質な少し広めの廊下で蛍光灯の灯りがちらちらと揺れている。
時計を確認すればきっちりと当初の予定時刻通りである。立ち止まった洗谷に少女が話しかけた。

「目的地点ですね」
「理解が早くて重畳。打ち合わせ通り、私はこちらから向かう。」
「はい。予定通り、管制室で」

落ち合いましょう。
少女のその言葉を最後に、二人の道は一旦別たれることになった。


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