この街に、空間の移り変わりも時の流れにも昔から変わらず在り続ける、その銅像のもと。周囲より少し小高くなったそこで、少女はようやく歩みを止めた。ほんの少しだけ荒くなった息を整えて、今までずっと手を引かれ渋々ながらついてきていた男に改めて向き直る。

「一体なんだと言うのかね」

男は大して息を乱した様子も無く、しかし理解できないとでもいうように軽く息をついた。
事実その溜息は目の前の少女に対する嫌味であったし、目的地に着いたであろうにも関わらず今だ自分の手を握りこんだままである少女の行動に対しての諫でもあった。少女も、その10という年の割にはとても聡明な子供であったから、当然その棘には気がついていないわけが無いのだ。それでも。
それでも言外に篭められた皮肉をまるで意に介した様子も無く、少女は笑ってみせる。
その笑みの理由が分からず、もしくは不快だったのかもしれない。男が眉間に皺をよせる。


「すごい赤焼けだから、アカギさんに見せたかったんです。綺麗でしょう?」
「……たったそれだけの理由で他人の仕事を邪魔出来るとは、恐れ入ったな」
「それだけ、じゃありません。」

私にとっては、すごく、大事なことなんです。念を押すように呟く少女。答えになっていない。男は顔を僅かにしかめた。これだから子供は嫌いだ。仕事、義務、そう言ったことの重要さを理解せずに我を押し通し、それを疑問にも思わない。

「いい加減に手を離したらどうだね。目的地には着いたのだろう」
「嫌です。手を離したら、アカギさん、逃げちゃうでしょう」
「……逃げないからその手を離したまえ」
「本当ですね?」

くすっと笑って、少女が手を離す。一体何が面白いのやら。男は二度息を吐いた。

自己中心的で身勝手。自らが良しとするものを優先し、他者に対する配慮、遠慮というものに著しく欠ける。それは世界に対しての知識を持たない子供であるからには、仕方のないもの。そうだとわかっているからこそ、いちいち目くじらを立てるような真似はしないが、断じて好ましいとは思えない。
いや、中にはその子供らしさを愛らしく思うものもいるのだろう。生物学的に子供は自然と愛される作りになっているそうだから、恐らくはそうした人間のほうが正しいのだろうが、自分は到底こうした子供の特性を好ましくとれるとは思えなかった。

いや。好ましく思えないのは、「人間」の特性か。

虐げ平らげそうして築き上げてきた歴史が作り出した不完全性。その、全て、醜いものが。


「どうですか?」
「…は。」
「この、空を、アカギさんは。どう思いますか?」


思考に耽っていたが為に反応の遅れた男に、少女は憤ることもなく、もう一度丁寧に問いかけた。

どう思いますか。

その質問に、ようやく合点が行ったと男が微かに笑みを浮かべる。
そうかつまりそう言うことか。やはりこの少女も子供であり、そしてなにより人間なのだ。
自分に見せたいと銘売ってこそいるものの、やはりその根底には自らの望みを湛えて居る。
なんとも、小賢しい。
そして、なんとも、必死な事だ。

「――美しいな。」


だから男は、この燃えるような夕焼けに向けて、言ってやった。

鮮やかな色彩。全てを燃えつくすようなそれに、本心のままに、「美しい」。そう言ったのだ。
男があっさりとその美しさを肯定したのが意外だったのか、少女が一瞬、一瞬だけ言葉に詰まる。


「……、そう、そうです。アカギさんも、そう思いますよね?」
「ああ。」
「でも、アカギさんのしてることは、それを感じる心すら、無くしてしまうんですよっ!」
「………はあ。」

三度。男が息をつく。

「……世界は、いつでも、美しい。」

「………」


気圧されたように、言いかけたことをどもらせるしか出来ない少女に向けて、まるでだめ押しのように言葉を重ねる男。


「そう、例え、人間ごときがそれを感じなくなったとしても」


世界は綺麗でしょう。
貴方はそれを感じる心すら無くしてしまってもいいの。

それが少女の問い。


「世界は、ただ美しい。それそのものの本質は、誰にも感じられなくとも、誰に干渉されることもなくとも、ただ美しくあるだろう」

赤い赤い夕焼け。

例え今、世界中の人間から光が奪われたとして、その鮮烈さは消え失せる訳ではない。人が感じられなくなるだけで、確かにそこに在り続けている。
人の事情など構わず、ただ、そこに在り続ける。


「それは大変…そう、大変素晴らしいことだとは思わんか」


世界は美しい。
例え人ごとき矮小な存在が感じられずとも、そこに美しきものがある、その事実は変わらない。


「そのありようだけで美しい世界を、人の欲望…キミの言葉で言うならば、その「こころ」とやらが汚していく」

それが。

「大変、醜いことだとは思わんか」


それが、男の結論。


ぷつり。沈黙が広がった。
口を開き、閉じて。しおしおと少女が俯く。

「気は済んだかね」
「………」

その痛ましい表情に、何も思わない自分は、やはり何処か歪んでいるのだろう。
一つ、この場に来た時と同じように四回目の息をつくと、男は踵を返し、元の場所へ歩き始める。会社へ、彼の使命の場へ帰るのだ。


「…………私は。」

そして、小さく聞こえた呟きに、歩みを止めた。


「……それでも、綺麗なものは綺麗だと思いたいし、感動したいし、誰かとそれを一緒に、分かち合いたいです」
「………」
「それは、ママだったり、ジュンだったり、博士だったり、シロナさんだったりするけど……」
「………」

「そのなかに、アカギさんも一緒に要ることが出来たら、それは、それは、とても……良いことだと…嬉しいと、思います」

「………罪深い事だな」


男が、何を称したのかはわからない。
わからない、が、確かに彼は少女の言葉を、罪深い事だと断じたのだ。

言い得ぬ無力感に、ぐ、と唇を噛み締める少女。
伝えられない。また、大事なことを、彼に伝えられない。
まだ幼い自分には、どうしたら伝えられるかもわからない。何を伝えたいのかすら明瞭でない、自分のような「こども」にはわからない。


「………どうして」

少女の声が震えたが、再び歩き始めた男が立ち止まることは二度となかった。



ビューティフル・ワールド



どうして


どうして わかりあえないの



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ヒカリちゃんは年の割には聡明ですが子供故にやはり語彙や表現力や相手を論破することには長けてないでしょう、そんな幼女を論破し自分の発言にさらに鬱に陥るアカギさんの可哀想な感じは大好きです。ああ哀れ。
20130605初出
20130205再掲

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