先生、
先生私、

先生私嫌です
私そんなもの頭に立てたくありません
先生そんなもの私に立てたりしないでしょう?

『お前は何を言ってるんだ』

だってそんなの立てたら体操が出来なくなるでしょう
ほんの少しの体の歪みですら失敗に繋がり、ほんの少しの失敗が点数として露骨に表されるこの競技で、イヤホンヘッドフォンすら出来ないやらない程の繊細な体の扱いを求められ、そんな競技で頭にハタなんて立てたらどうなるのか分からないわけがないでしょう

体操が出来なくなる、
なら先生は私にそんなもの立てたりしないでしょう
そうでしょう?

『ハタに比べれば器械体操なんて』

「…―…――……」

なんでそんなこと言うの
なんでよりにもよってあなたがそんなこと言うの!

「…―う…ぅ………」

『いいからお前もはやくこのハタを刺しなさい』

やめてやめて!なんで今更!なんで今更!
¨なんだっていい¨にしなかったのはあなたじゃないか!

あなたがいなきゃ私、私が体操をすることに、続けることに、体操、体操なんて続けられないよ!出来るわけがないよ!

父さん!!!


「篤城!」


切り裂くような異声にパッと目を開く。
目の前、誰かがいるのは解っているのに情報を処理しきれなくなった頭が目の前のことを把握することを拒否している。ええーっとお……

「だ…大丈夫…か?」
「………。」

えっと……えっと……あの………

あっ!

「……小波君?…小波君だ!」
「う、うん。そうだけど。……あの、篤城、ほんと大丈夫?」

大丈夫?なんのことだろ…それはさておいて、…えっと…あれ…そうそう、よく考えたらなんで小波君がここに?

「…どうしたの?」
「いや、俺は篤城がどうしたのか聞きたかったんたけど…」
「私が何かしたの?」
「いや、何かしたというか……あの篤城、まだ寝惚けてる?」
「?」

寝惚けてるなんてわけないよ、だって私さっきまで起きて先生とお話…あれ。何のお話……だっけ……。確か、練習が出来なくなるって…ええと、ハタが、ハタをさせって言われて…。
ああ。


「ごめんね、寝惚けてました」
「う、うん。こんな状況だもんな。悪い夢を見ても仕方がないよ」
「ごめんね…!」

ちいさな子供みたいなところをみせちゃって恥ずかしいよ。うう…
落ち込む私をよそに小波君は私の肩を揺すっていた手を離し、立ち上がってパンパンと膝を叩いた。見上げて目に入った窓から差し込む光は青白くほの光る月明りで、ああもうこんな時間なんだね。交代の時間だ。

「で、篤城、…体調、思わしくないみたいだけど…良かったら替わろうか?」
「そんなわけにはいかないよ!小波の体がそれで持つわけないじゃない。ごめんね、気を遣わせて」
「いや。その…随分顔色が悪かったからさ。」

顔色?
ああ、これは…

「私、低血圧だから…見た目ほど調子が悪いわけじゃないよ」
「…低血圧?」
「うん。アスリートには割と多いんだ、血管が広がるし運動の時には嫌でも高くなる分普段の血圧が凄く低くなるの」
「へえ」

だから、少し体調が悪いだけでも寝起きはあんまり綺麗な顔してないんだ。血の引いた顔。寝起きもあんまり良くないしね…あはは、情けないところ見せちゃったなあ。

「そういや俺、低血圧って名前は知っててもそれが具体的にどんなことなのかまでは知らなかったなあ」
「そんなにね、大したことはないよ。ちょっと寝起きが悪いとか初めは頭が回りづらいとか、貧血したときみたいな感じ…かな」
「ああ」
「うん。だから大丈夫。」

特に別段調子が悪いわけじゃないし。夢見が悪かっただけだよ、ちょっと夢見が悪かっただけ。
心配かけてごめんね。小波君優しいし責任感あるから、気になるよね。

「それじゃあ、ゆっくり休んでね。」





「はあ……」

あれから暫く。ウォーミングアップ代わりの筋トレを終えて、私は一息ついた。
……よく考えたら、あの時の小波君。交代の時間なんだから本当ならほかに人が居てもおかしくなかったよね。多分、帰ってき次第時間よりも少し早目に様子を見に来てくれたんだろうけど、はあ…申し訳ないこと、しちゃったな。心配かけちゃうし、他の人にあんまり弱みを見せたくなかったんだけど…
私に出来る事なんて、「自分のできることは自分でやる」「あまりでしゃばり過ぎない」ぐらいのことなのに、……はあ………。

いけない。今は練習と見回りに集中しなくちゃ。数少ない、さらに出来ることも少ない練習なんだから、せめて身を入れてやらなきゃいけないん…

『体操なんて、もうどうでもいい』

…だ…から……。

「……。」

床に仮想で引いた一本の線の上、振り上げた腕を力なく落とす。ああ。ああ、ほんとう、本当に嫌な夢を見ちゃったなあ。
情けないなあ。本当なら今頃試合会場入りして、練習会場で最後の仕上げをしていてもおかしくないようなところなのに。悔しいなあ、不甲斐ないなあ、やりきれないなあ。なんで私、こんなところで、こんなことしてるんだろう。

はあ………。

「オウ。なんだ、子供がこんな時間まで」
「……?」

その時不意にかけられた声に、私は上手く反応できなかった。
聞き覚えのない声だったし、全く予想していなかった突然の事態だったというのが大きいかな。きょろきょろと辺りを見回してみても、普段から練習場代わりに使ってる踊り場には誰の姿も見えない。声だけがぽつんと反射して聞こえて居る状態に私は首を傾げた。なんだろう?

「侵入者でも来たのかと思って見に来たら…その恰好、お前さん体操競技でも?それともフィギュアか。雑技…ってのはこの国のこの年の子供にゃ浸透していないはずだしな。」
「…はあ。……器械体操を…少し…」
「成程ね」
「…。」

体操競技にはいくつかの種類がある。大きなものでは私のやっている器械体操、それと新体操の二つが世間的にも有名だろう。この声の主の人、どうやら随分と事情通らしい。
スポーツ選手だったりとかするのかな。

「…それにしても随分と落ち着いたもんだな。」
「はぁ…ありがとうございます…?」
「馬鹿。この状況じゃあな、そういうのは能天気って言うんだよ。俺がハタ人間だったらどうするつもりだったんだ」
「あ。」
「おいおい」

確かにその可能性もあるのか――と、いうより、私はまず初めにその可能性を疑って然るべきだったのだ。この時間に聞き覚えのない声。侵入者の可能性を疑うべきであったし、そもそもこんな近くにまで接近されるまで気が付かなかったということが、なにより如実に自分の危機感の無さを表している。

「…でも、そうだったらとっくに立てられているはず…じゃあ…」
「時間稼ぎだとしたら?お前ひとりをここに引き留めておいて、残りの面子が今軒並み旗を立てられているかもしれない」
「!」
「見たところ、見張り役らしいからな。お前が声を上げたらこの状況じゃ他の奴らが飛び起きちまう。逆に言えばお前が何も言わなきゃ、相当のことじゃほかの奴らは起きてこないっつーことだ」
「………!」
「そんな怖い顔すんなよ。冗談だろ、冗談。大体あのバカどもにそんな策を練る頭が残ってるとは考えらんねえからな」

そういうと、声の主はするりと暗闇から姿を現した。
ぼろぼろの衣服は闇に紛れやすい暗い色。何より目新しいことに、その声の主は成人男性だったのだ。
ここ最近同級生しか目にしていなかったのもあって、子供しか生き残っていないようなそんな気すらしていたけど…そうだよね、大人の生き残りがいたってなにも可笑しいことじゃない。

「…はじめまして」
「おう。椿だ」
「椿さんですね。よろしくお願いします」
「ああ。」

そのままぽつんとした沈黙が下りる。まあ、挨拶も済ませたことだし特に他に会話をすることも無いしね、練習の続きをしよう。

「…いやいやいや。お前さん、あれか?これから仲良くしましょうって相手に名前も明かさないタイプかよ?」
「えっ?あ、ああ!」

こ、これは失礼なことを…大変失礼なことをしてしまいました。
私の名前なんか興味ないだろうと思って言わなかったけど、考えてみたらこれってすごく失礼なことだよね…あうっ…

「ごめんなさい、ちょっと色々あって…ええと、篤城、実里…です……」

ぺこりと頭を下げて、ひとつため息。
私ってほんとう…ダメなやつだ。これじゃあ椿さんに能天気って言われても仕方ないよ。
何してんだろ。わたし。ほんとう、何してんのかな……こんな…何もちゃんとできてなくって…

「以後よろしく…おねが……い、しまっ…」

何にもちゃんとできてなくって、だ……っめな、やつだなあ……!

「…っく、」
「?」
「うえっ……ひぐ、」

何もちゃんとできてなくって、練習もできてなくって、体力は絶対に以前より落ちて、技だって絶対に下手になってる、

「お……いおい!何も泣くこたあ無えだろうが!」
「おねがいじま……ずび……うくっ、」

ちゃんと見張りすることもできなくて、頼まれたこともまともにこなせなくって、小波君に心配かけて、泣いてる場合じゃない、

「だー、もう、これだからガキは…」
「うっ……ごめんなざ…ぐす……うっ、うぅうっ」
「………。」

何もちゃんとできてなくって、練習もできてなくって、体力は絶対に以前より落ちて、技だって絶対に下手になってる、ちゃんと見張りすることもできなくて、頼まれたこともまともにこなせなくって、小波君に心配かけて、泣いてる場合じゃない、そんなことわかってて、みんなだってやりたいこともなにもかも後回しにしてる、私だけこんなに自分のやりたいことさせてもらえてるのにそれでも満足できなくて後ろめたいくて、ほんとに、ほんとに、わたしなにをしてるんだろ、こんなところで、こんなところにいる場合じゃないのに、こんなことになってる筈じゃないのにい………!

『体操なんてもうどうでもいい』

どうでもよくなんてない、どうでもよくなんてなかった、どうでもいいことになんてしなかった、どうでもいいことになんてしてくれなかったのはあなたじゃないか、どうして父さんあなたがそんなことを言うの、なんでこんな目に合わなきゃいけないの、なんで今更になってこんな思いをしなきゃいけないの、なんでこんな……なんで……

「ううっ…ううう…」

ぼろぼろに泣いてしまって、涙が溢れて溢れて止まらなくて、あまりにそれが久しぶりのことでどうすればいいのか分からなかった私はついにその場にしゃがみ込んでぐずぐずと涙をこぼし続けた。
いったん堰の壊れた嗚咽は簡単には収まりそうもなくて、こらえようとすればするほど肺の引きつけは大きくなる。それを必死に抑えつけながら、私はただぼろぼろと涙と鼻水を垂れ流しやり過ごした。
水が滴る頬が、燃えるように熱い。




どれくらい経っただろう。

昂ぶった感情を収めるのが涙の役割だ。思うまま泣いた私の心の混乱は鳴りを潜め、今は嵐の過ぎたあとのように静かだった。
落ち着いた呼吸で立ち上がって辺りを見回してみれば、そこに椿さんの姿は見えなかった。気を遣わせちゃったかな。それとも変な奴と思われたかな……申し訳ないな。
だけど、過ぎたことは仕方がないね。次に会った時にさっきのことを謝るとして、今はとにかく、練習と、それから見張りを……と、目元をごしごしとこすって考えたとき、じゃりりと地面と靴のこすれる音を私の耳は聞き逃さなかった。
さっきのやり取りもあるし、知らず知らずのうちに注意を払うようにしていたのかもしれない。タイミングから言って、椿さんが帰ってきたのだろう。ほら、さっきまでのことを謝らなくちゃ―――……

「篤城?」

かつ、かつと階段を下りてくるその声の主に、心臓がばくんと大きく飛び跳ねたのを感じた。
お、おっ、おお、大神くん!?いったいどうしてこんな時間に……

「いや、練習が終わったことだし下の階に行こうかと思っていたら気配がするものだから覗いてみたんだが、そうか夜の見張り番だったか、遅くまで――」

かつん、と大神君が最後の一段を降りる。その瞬間だ。安っぽいドラマの演出のように、月にかかっていた雲が晴れて解き放たれた絹のような月明りが開けっ放しの窓から私の視界に差し込んだ。

「――篤城。お前。泣いてるのか」
「…。」

その時のきょとんとした大神君の顔は、ちょっとした見物だった。いつでも自身ありげに笑う大神君の顔ばかりを見ていたものだから、なんというか、そう。
大神くん、おかしな顔。

「…ちょっと、ね。色々考えちゃって。でももう大丈夫だから」
「そ…そうか。ならいいんだが」
「ごめんね、情けないところみせちゃって。」
「別に、いや…謝ることじゃないだろうそれは」
「そうかな」

恥ずかしいなあ。
恥ずかしいし情けないよ。どうやら様子からして子供みたいにわんわん泣いてた時のことは気が付いてなかったみたいだからそれが唯一の救いと言えばそうかなあ…あはは。


「篤城、お前でも、涙を流すなんてことがあるんだな」
「……なにそれ。人間だもん、当たり前だよ…おかしな大神君。」

ふふ、あはは。
うん、なんだか、妙に元気が出ちゃったな。大神くんの前で、おかしな事は出来ないし、情けないことも出来ないね。1回とことんめそめそして吹っ切れたのかもしれない、今はなんだかこれからは良いように事が運ぶような気がするのだ。

頑張ろう。出来ることを出来るように、頑張ろう。いつか、絶対、島を皆で脱出するんだ。

よしっ!


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