すっ、と軽く息を吸う。

今も流れているはずの他県の選手の床の音楽も、会場を揺らすほどの歓声も、仲間の声援も全て置き去りにして、聞こえるのは自分の体の軋む音と呼吸の音だけ。大丈夫、集中出来てる。微かな震えはそのまま、大丈夫今日の舞台を乗り越えられるだけの練習はしてきた。しっかりゆっくり、踏まえるポイントを踏まえるだけ。

横幅ぴったり10センチの長い台の上で、左足を軽く上げて踏み込み上半身を鋭く倒す。同時に腕を振り下ろし、その遠心力と体重移動のまま後ろ足を振り上げ、前足も蹴りあげる。ノーハンドと言われる前方の片足伸身前宙だ。
蛍光灯の白光の幾筋と平均台の残像が視界を二分するように真っ直ぐに直線を描き、振り上げた足が寸分狂わず台の中心を捉え着地したそのまま次はバク転伸身宙返りのモーションに入る。いける!降り下ろした腕を再び上げ、後ろへと体を倒した瞬間だ。

チカッ!

鋭い光。
カメラのフラッシュ、という認識と共に視界の端に写り込んだそれに、咄嗟に目線を動かしてしまう。

「!」

ほんの数センチの揺れだった。
やばい、思ったときにはもう遅い。倒立姿勢で台を掴むはずの左手が空を切る。
片手を台から外しバランスを崩した私は、そのまま120センチの高さからマットへ――………



「…――っ!!!!」


びくん!体の痙攣するような感覚と共に跳ね起き、見開いた瞬間に飛び込んだ自然光に目を擦る。
夢の中の体育館、その人工的な光ではない夏の高い高い日差しを身に浴びて、今が昼時であることを何となく肌に感じた。
…こんな昼間の栄えに起きるのは…いち、に、二日振り…かな。
暫く夜型の生活が続いてただけに、ただの光にすら突き刺さるような鋭さを感じる。
………眩しい…。

「…はあ…。」

あの夢。去年の夏、中学一年生のときの全国中学生大会の時の夢…見るのは随分と久し振りだ。

…………。

あはは、なんだか起きたばかりなのにとても落ち込んじゃってるや。はあ……まだ日も高いことだし、夜の見回りまでは時間もたっぷりあることだし、もう一眠りしよ…。
そう思って布団代わりの新聞紙をかき集めたところで、私はようやく基地のなかが妙にざわめかしいことに気が付いた。

「………?」

…あ、もしかして。
小波君達が帰って来たのかな。

ハタを立てられた人達に嗅ぎ付けられるといけないから、普段は大きな声で騒ぐことはあんまり無い割と静かな廃ビルだけど、小波君が帰ってきた時だけはささやかだけど盛り上がる。まあ小波君人気があるもんね。男子からも、勿論女子からも。普段から殆どクラスの子と遊ばない私でもそれなりに関わりがあって頼りに思えるぐらいだもの、皆からどんな扱いを受けてるかなんて想像に堅くない。

もう一眠りしようとしてたところだけど、小波君達が帰ってきてるなら話は別だ。私もお疲れさまって、ありがとうって言いたいもんね。

夏の暑い盛りでもどこか冷たさを残すコンクリートを歩きながら、徐々に大きくなる声に進める足がついつい早くなる。



広間を覗くと、案の定そこは人で賑わっていた。

「…あ、篤城」
「小波君。…やっぱり、帰ってきてたんだ」
「篤城は…もしかして仮眠してた?起こしちゃったかな」
「ううん、たまたま目が覚めちゃって。休憩?」
「うん。お腹空いちゃってさ、戻ってきたところ。夏菜とか村山が来てからは食事が楽しみになってさ、ほんと助かってる」

ああ、確かに村山君のカレーは美味しいし作り置きが利くし、夏菜ちゃんの作るご飯は皆に好評だったしね。…わ、私もお手伝い、しようとはしたよ!?したけど、あんまりにも手つきが遅くって、申し訳なくって…。「篤城はもう少し包丁に慣れたほうがいいな。まあ基本には忠実だし危なげもないんだけど、一人でやってたらいつまでも料理が終わらないぞ」とは夏菜ちゃんの談。よ、ようするにのろまってこと…なんだよね…。家庭科の授業以外じゃほんとに全くしたこと無いからなあ、お料理。家に帰るのが遅いから晩御飯なんて食べない日の方が殆どだし。でもまさかこんなことが怒るなんて想像だにしてなかったし、お料理する時間があったらその分学校の課題とか練習のイメージトレーニングとか柔軟とか出来ちゃうし、ううん…でもこういうときに役に立てないってのはやっぱりお腹が痛いなあ…。………はあ。

「あら!」

会話が丁度ひと段落ついたその瞬間を見計らってくれてだろう。るりかちゃんが飲み物を抱えて近くに駆け寄る。
小波君の隣に立つその姿はなんというか、夫婦とかそういうものを感じさせるような…信頼感?(っていうのかな?)に満ちてて、毎度の事ながら関心してしまう。

「おかえりなさい、小波。食事にしましょうか?」
「ああ、頼むよるりか。スーパーで拾った食材とか商品だった携帯食料を食べたりもしてるんだけど、それだけじゃ物足りないもんな」
「そうですか?」
「ああ。やっぱりありがたいよ。普段家に帰れば暖かいご飯があることのありがたさなんて考えたことも無かったけど、こうなってみると嫌でもわかるよなあ…」
「……そ、そうですか。…これは、いつかなんとかしなくてはいけませんね…」
「ん?」
「い、いえ、何でもありません!」

それに、感心しちゃうってだけじゃなくって、小波君といるときのるりかちゃんはどこか嬉しそうで、だからこの二人が一緒にいると私も嬉しくなっちゃうの!るりかちゃんは優しい。どのくらい優しいのかというと行事を休みがちで把握し切れてない私を、とくに幼馴染というわけでもないのに何かと気にかけてくれるぐらいには優しい。そんな優しいるりかちゃんが嬉しそうなのは私も嬉しい。そういうことだ。
二人で話し込んでるみたいだから、邪魔しちゃいけないね!そーっと二人の傍を抜け出して、広間を見渡す。

「良いにおいだブー……」
「おお、石田。鋭いな、今日の夜はビーフシチューだぞ」
「小波君がルーを取ってきてくれたからね。こういう保存の利くものはやっぱりありがたいなあ」
「私としては固形ルーじゃなくて一から作るほうがいいんだけど、今は流石にそんな余裕ないしな」
「ふひー、疲れちゃったよ!でもやっぱり冒険は最高だね!」
「…ああ。妙に騒がしいと思って覗きに来たら、こういうことね。ハタ人間に攻められたのかと…」
「あっ、フッキーちゃん!」
「げ」
「ふふん、フッキー、誰と誰が煩いって?…あっこら!逃げるな!」
「ねえ堤君、外はどんな様子なの?」
「委員長。…特に変わり無しですね。どうやら警察の方々もハタを立てられてしまったようで、僕達が子供だというにも関わらず躊躇い無く拳銃を撃ってきました。当たり前の事ですが日を追うごとに相手の戦力も増してしまっているようです」
「そう…。長くなればなるほど此方に不利になる、ということね」
「しかしこちらにも博士がついています。食えない人物ですが、あの科学力は戦う分にはありがたいですから」
「教授、ね。また怒られちゃうわよ?」
「はあーあ、たりーなあ。救助なんて来んのかよ」

ひ、ひええ…
小波君が来たことで、基地の中で普段はある程度散らばってる人たちも様子を見に来てるみたいだ。
やっぱりいつもより人が多いな…か、顔と名前がまだ一致してない人も、多いな…ううっ!お腹がキリキリキリ…
そうだ、誰にも声をかけられてない今のうちに、頭の中で名前を確認しておこう。
ええっと、あの委員長って呼ばれてるポニーテールの女の子が神条さん、神条さんと話してる眼鏡の男の子が昨日ちょっとだけお話した堤さん、お料理が得意な髪の長い女の子が霧生さん、一緒にいる気の弱そうな男の子がむ、む…村山…いや、山は平山君だから村上君?いや、でも聞き覚えのあるのは村山…村…山、君に、体の大きな食いしん坊君が石田君で…

「なんだ、ここは煮炊きもしてるのか。」

その時聞こえた声を、自分でも良く聞き取れたものだと思う。

「匂いやゴミであいつらに気付かれたりとか、そういう心配はどうなんだ?小波よ」
「ああ。どうやらハタを刺されると嗅覚とか味覚がおかしくなるみたいだから、その辺りは気にしてなかったんだけど…」
「ふうん。味覚がおかしく…それは初耳だな」

聞き取れれば間違えるはずも無い相手なのだ。隅っこで誰からも見つからないようこっそり数えながら確認していた指を解いて、思わず声の主を探す。この一件が起きる前から私が名前と顔を一致させて覚えてた、珍しい相手。生き残ってたっていうのなら勿論嬉しいよね。

「…でも確かに言われてみれば…気になるな」
「だろう?ただでさえ常に少数の人間が出入りしている様な場所なんだ、そういうところはちゃんとしといた方が良いと思うぞ」
「そうだな。考えても無かったよ、ありが…」
「ふっふっふ、ボクが特別な人間で良かったな!感謝したまえ!」

アーッハッハッハ!
高笑いが広間に響いて、思わず苦笑が漏れる。あーあ、もう、こんなときでも相変わらずだなあ、大神君。流石にこんな大事件があったんだもの、なにかしら落ち込んだりしてるかもなあと思ってたんだけど…でも確かに、落ち込んでる大神君なんて想像できないね。
あれ、そういえばるりかちゃんはどうしたのかな。

「…その一言が無ければ素直に関心出来たんだけどな。全く…」
「それにしても小波、随分と人を集めたものだな。うちのクラスの奴等の殆どが揃っているんじゃないのか」
「そうだな、あとハタが刺されてることを確認してない人で揃ってないのは越後くらいかな……なかなか会えないんだよなあ。痕跡は見つけてるんだけど。……あれ、篤城?」

他にすることもないから何となく二人の様子を見てたところで、私の呆けた顔と小波君の目がばっちりと合う。あっあっ、

「篤城?なんだ、あいつも来ているのか」
「ああ。篤城ー!暇ならちょっと来てくれよ!」

「………。」

あっあっあっ…こっそりと観察していたところを見つかっちゃって、やたらと気恥ずかしい。ぐうう…でも、気恥ずかしいのは山々だけど小波君の言うことを無視するなんて事出来るわけも無く、手を招かれるまま小波君と大神君の所に近づいた。
あのっ、ええと、どうも、こんにちは。

「…大神君、久し振り。」
「ああ、そっちも無事で何よりだ。…こんなんじゃ大会どころでは無くなってしまったな。心中察するぞ」 
「しょうがないよ、こんなことになっちゃったし。…大神君、無事で良かったね。それで、小波君、どうしたの?」

私に気がついて声をかけるにあたって、私のほうに来るんじゃなくてわざわざ「ちょっと来てくれ」っていうのには、やっぱりそれなりの用があるからなんじゃないかなって思ったんだけど……。

「ああ、いや。良かったら基地の中を大神に案内してやってくんないかなと思って。俺、教授に呼ばれててさ…他に用事があるなら別の人に頼むんだけど」
「うん」
「子供じゃないんだし、別に案内なんていらないんだけどなあ。基地の中を見て回るぐらいボク一人でも大丈夫だぞ」
「本人はこう言ってるけど、基地の中って案外広いだろ?変に迷って体力を消耗するのもアレだし」
「うん。そういうことなら…」
「ああ、頼むよ」
「…良いって言ってるのになあ」

うんうん。そういうことなら、寧ろ進んでお手伝いしたいぐらいだ。手に余るということもないし、やり方がわからないって事もないし、何より、い、今、暇だし…。それに珍しく私が役に立てる場面だし。
大神君が乗り気でないのだけがちょっと申し訳ないけど、でも小波君の言うことには一理ある。

…うん?あれ、でも案内するなら堤さんとか平山さんとかみたいに同性の方が良かったのかな。そうだよ、よく考えたらそうだよ!気の置けない仲の方が楽しく見回り出来るし、会話も弾むし…どうせなら一緒に居て楽しい人と見て回る方がいいよね。あっ、もしかして大神君が渋ってたのってそういうことなんじゃないのかな。私を断って、仲の良い人に教えて貰おうとしたとか…案内を買って出た人を断ってその場で他の人に頼むって考えてみたら感じの悪い行為だし、その場では一人で行くって言っておいて後で別の人に頼む予定だったとか…
そうすると、私のやったことって役に立つどころか邪魔以外の何者でもない…ん、じゃない…?うわあー!どうしよ、今からでも言ったほうがいいのかないいよねそうだよね。ひええ…

「…ね、ねえ、大神く…」
「なんだ篤城。早く行かんと置いてくぞ」
「…。」

……。

そういえば、大神君、そんなこと気にするような人じゃなかったっけ。






「…さっきのが広間。大体、起きてて仕事の無い人はあそこに集まってて、炊事したものの配給とかもここですることになってるよ」

するのなら早くしてしまおうという話になって、今。
場所の名前と位置を教えるだけなら小学生にも出来ることだよね…というわけで、場所の名前とともに申し訳程度の説明もちょぼちょぼと付け加える。

「ふうん…となると仮眠もここで?」
「ううん、仮眠室は別」
「何故だ?寝ているようなところにもし侵入でもされたら誰も助けられないぞ」
「…これからの生活がどれくらい長くなるか分からないから、そうした方が良いんじゃないかって…神条さんが。生活リズムも不規則だし、寝不足で全体の体力が落ちるのは好ましくないって話になったの」
「なるほどね。そんな事気にする奴が居たのか。繊細だなあ」

あはは…私も寝つきは良いほうだから同じこと思ったよ。
何となく口に出すのは憚られて心中で同意をするに留めておく。口は災いのもと…とか考えてるわけじゃないけど、おしゃべりさんになることもないしね。

「いや、きっとこれはボクの環境適応力が優れているからだな。確かに集団行動をするにあたり、普通はそういう気遣いが無くてはやっていけないのだろう。能力が高すぎるというのも考え物だな」

「………。」
ええと。

「……それで、その隣が炊事室で、そのまた隣が仮眠室。その向かいが治療室になってるよ。基本的に主な部屋はこの階に揃えてるから…」
「この階…確か三階だったな。二階じゃ対処する時間が少ないし一階なんてもっての他という訳か…ふん、まあ妥当な配置だな」
「高い場所過ぎても行き帰りに不便だし、いざと言う時逃げづらくて良くないもんね。」

一つ一つ歩きながら、時にちょっとした補足ややり取りをして案内を進めていく。

「…で、起きてる人の殆どはその広間に居るんだけど…気晴らしとか静かなところに行きたい人はそれとは別に四階に居ることが多いかな。もしくはもっと上の階とか…」
「ああ、四階ね。鍛錬するのに丁度良い場所があれば良いんだけどな」
「鍛錬…剣道の?」
「それもだが、こんな事態になったのだからそれ相応のトレーニングがあるだろう。より実践向きの…ふっふっふ、港に居る間は思い切り体を動かすことが出来なかったから色々考えていたんだ。今から腕が鳴るよ」
「……。」

へえ…。より実践向きのトレーニング…かあ。
そんなの考えたことも無かったよ…少しでも下手にならないように、少しでも体が鈍らないように、少しでも体力が落ちないように…助けて貰ったときにすぐに復帰できるようにとしか考えてなかった。まあ、考えたとしても、体操自体は対人競技でも体術でもないから特に応用できそうにもないなあ。
そんなこと言いだしたら剣道だって試合の形とか崩れちゃうのが怖そうなものだけどね。…大神君は考えたこと無いのかな。
はあ………。

「…しかしまあ、よくもここまで都合のいい建物があったものだな」

…。
ええと、どういう意味だろう?

「そこそこの広さがあって、しかも誰のものでもない。これだけの土地があれば他の建物でも建てられそうなものだが…こんな狭い島でよく放置されていたものだ」
「……あっ。そうだね。考えてみれば確かに…」
「だろう。まあ偶然だろうが、ありがたい事には変わりない」
「…。まるで…」
「うん?」
「まるで基地として使うために残されてたみたいだ…なんて思っちゃうね」

あはは、本当にそうだったらもっと居心地良くする工夫が凝らされてるはずだから、そんなこと有り得ないんだけどね!
そもそもこんな事態誰も想像してなかったんだから、基地として使うもなにも無いはずで…それぐらい丁度良くて都合が良かったね、ってそれだけ。

「確かにそうだな」

それだけなんだけどね、でもこの廃ビルの存在がありがたいのは本当の話。
夏場だから外で寝ても凍死することは無いけれど、それでもやっぱり屋根のある囲われた場所っていうのはそれだけでありがたいもんね。
大神君もおおむね同じ意見だったみたいで、うんうんと頷いてくれて私ほっと息をつく。
同意が得られるのは嬉しいことだ。

「…ふう。場所について説明しないといけないことは、このくらい…かな」
「そうか。感謝するぞ、篤城」
「…うん」

また何かあったら気軽に聞いてくれればありがたいな、と思いつつ、まあでもそれこそ堤さん達に聞くよね。余計なことは言わないのが幸だ。

「じゃ…また」
「ああ。折角の男手だ、気軽に頼ってくれていいからな。…それじゃあ早速四階とやらを見に行くとするか!」
「……。」

くるりと振り返った大神君の髪の毛がさらさらふわあと風を含んで棚引く。あれ邪魔にならないのかな。…まあ、似合ってるし本人が気にしてないみたいだから私が口を出すようなことじゃないんだけど。
そんなことを取りとめも無く考えているうちに、大神君はすたすたと足を進めて上にのぼってってしまった。良い場所見つかると良いね……よし!さて、それじゃあ案内も終わったことだし、私も夜までもう一眠りしようかな。
今日も練習が待っているのだ!



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