通りに面した有り触れた佇まいのアパート。バイト先の客足が途絶えず、定時よりも伸びてしまった帰宅時間の所為か、街灯が照らす道に自分以外に人は居なかった。ただ幸いにも、自分がこれから帰るだろう部屋の電気は付いている。青年は内心、ホッとする。 足早に階段を上る。自分たちの住まいは、二階の角部屋。東向きに位置しているだけあって、日当たりは良好。何処かしらに日向の匂いを残しているだろう部屋に包まれた同居人を想像して、少しだけ、ほんの少しだけ笑みが零れた。 「ただいま」 ドアを後ろ手で静かに閉める。ふぅ、と息をついて肩にかけていたバッグを降ろす。…可笑しい。返事がない。いつもなら満面過ぎる程の笑顔で「おかえり」と返してくれるというのに。靴を脱いで部屋に入ると、やはりどこか静まり返っていた。 そして見つける。ソファーの上で猫のように丸まって眠っている綾時の姿。すぴぴと音が付くのでは、と思うくらいに深い眠りの底に落ちているらしい。いつもは上げている髪の毛がはらはらと額や頬に掛かって、幾らか幼い印象を持った。 綾時の目の前に腰を下ろして、顔に掛かった髪を除ける。彼の、チャームポイント。魅力的なその泣き黒子を指でそっとなぞると、切なげに顔が歪んだ。起こしてしまったかと慌てて手を引っ込めるが、相変わらず規則正しい寝息を立てていることにホッと胸を撫で下ろす。 (…?) 見間違いかもしれないが、目の際に少しだけ涙の後があるような、ないような。ただ確認しようにも、綾時が寝返りを打った所為で自分に背を向けるような体制になった為に確認のしようがない。 ふむ、と少しの間考える。とりあえず夕飯を作ってしまおうとキッチンに目を向け腰を上げた。話は、本人が起きてからでも遅くはない。昔と違い、今の自分達には時間に限りなど無いのだから、焦らずとも着実に解決していける。そうやって前向きに考えることが出来るようになっただけまだマシだ。 「起こしてくれれば手伝ったのに…」 「気持ち良さそうな寝顔見せられて、無理に起こすなんて出来ない」 「ご、ごめんなさい…」 どうしてそこで謝る?うなだれた頭に、冷めないうちに食べろよ、と促す。実は空腹だったその身に温かい食事が収まると、やはり不思議と安堵感が生まれるものだ。特に今日のメニューはホワイトシチューとパンとサラダ。それに、シチューは今朝作り置きしていったものなので、野菜をちぎって盛りつけて、パンを皿に並べるという簡単な用意だけだ。在り来りではあるが家の温かみが一番分かるメニューだと思う。家族を知らずに育った自分が偉そうには言えないけれど。 「えへへ、お母さんの味だね」 「恥ずかしいことを…」 「だって君は僕のお母さんだもの、嘘は言ってないよ?」 パンをちぎって口に運びながら終始ニコニコとしている綾時に、ふと違和感を覚える。そしてさっき垣間見た、涙の跡も頭に過ぎった。動かしていたスプーンを置いて、包み隠さずそのまま綾時へ疑問を投げかけてみる。 「ここの、跡」 「!」 「…泣いてた?」 嫌だと思うなら話さなくてもいい。前置きにそう付け加えて、黙ってしまった綾時の言葉を待った。千切りかけのパンを皿に置いて、目線をあちらこちらに泳がせる姿が、如何にも、という感じだ。それでも、綾時の口が開くまでは、こちらからは何のアクションもしない方がいいと思った。 ほんの少しの間の沈黙の後、綾時はきゅっと結んでいた口許を緩めた。話す気になってくれたのだろうか。 「泣くつもりはないというか、僕の意思じゃないというか」 「回りくどいな」 「…なんかさ、どうしようもなく、こう、責められてる気、になるんだ」 いつもは饒舌な口が、歯切れの悪い物言い。人と会話する時は必ず目を合わせる彼が、視線を地味に逸らしてこちらを見ない。 「指さされて、どうしてお前が生きているんだ、って、言われてる。世界が、そうやって僕に訴えかけているみたいでね」 自分でも本当にその通りだと思うよ。最後にそう付け加えて話を終えた気でいるのか、あはは、と声を出していつもの楽観的な彼に戻った。再びパンをちぎり、未だに温かさを保っているシチューに付けて食べ始めた。 薄々は気付いていたつもりだった。彼が、本来持つはずの無かった自分の「生」について、疑問や不安を抱くこと。実はそれは大きな見当違いで、彼は世界を背景にして悩んでいた。そこから生まれた罪悪感や背徳感の様なものを、人知れず背負ったまま。 馬鹿なやつだと思う。そして、相変わらず優し過ぎるくらいに純粋なやつだ。ただ感情を押し殺して無意識の涙を零すくらいの自己犠牲の精神はどうかと思うけれど。 「まあ、そんなお前が嫌いじゃない」 「えっ?なに?」 「なんでも。あー、お腹空いた」 気になるよ、教えてよ!泣きつくようにせがんでくる綾時を尻目に、サラダへフォークをサクッと刺した。口の中でシャキシャキと音をたてる葉物野菜。ドレッシングも定番のもの。 平気だよ、僕がいる。聞こえるか聞こえないか、わからないくらい小さな呟きに、綾時はいつもの笑顔で応えてくれた。 世界は君だった きいち様リク「綾主で本編捏造未来ネタ」でした! リクエストを頂いた段階で「同棲とか〜」とおっしゃっていただいてまして、そっくりそのまま使わせていただきました。 同棲な二人で書きたいこと詰めたらちょっと長々しくなっちゃいました。が、こんなものでよかったでしょうか…!同棲おいしい!キタローの手料理! リクエストありがとうございました! |