昔の親友をその拳で殺めたそいつは、今の想い人となった。多分それは必然的なことだと思うけれど、胸には決定的な蟠りを持ったままだった。それを打破する方法も見つけられず、俺はただ空を眺めて徳川の領地で過ごしている日々が続いていた。 「暫く前田の家にも帰っていないのだろう、平気なのか?」 「んー…多分…」 「真面目に聞くんだ、慶次」 縁側でごろりごろりとしていた所にこの城の主が苦い顔をしてやってきた。俺は小言を聞く訳でもなくやはり空を見つつ右へ左へと寝返りをうっていた。 こうした過ごし方をして早一月。最初は多めに見ていたらしい相手でも、最近では、少しでいいから前田へ顔を出した方がいいだとか、飽くまでも仕官している身なのだから上杉に戻れだとか、小言の数が着々と増えつつある。そうだ。家康の言い分は最もなのだが、それを素直に聞けない自分が確かにここにいる。 「…怖いのか」 「そんなこと、ないよ」 「手、拳、震えているぞ」 身体を曲げて、無意識にきゅう、と縮こまる。握り締めた掌は微かにだけど震えていた。家康の言葉は胸に空いた風穴を余計に抉ったように、痛くて、だからこそ的を得ていた。 恋という生々しい感情は、人に与えられた数少ない自由の特権だと思う。その間に立場や身分なんてものは無くて、万人が持てることの出来る、一つの縄張りみたいなものだ。俺はそんな特権を常日頃から重んじているわけなのだけれど、果たして自分に置き換えてみたのならば、それは自由とは掛け離れた、身勝手極まりない自我なのだ。 赦されることのなかった覇王、かつての俺の親友。それを殺した相手に、自分はその自由の象徴とやらを抱かせていただいている。だから顔向けが出来ない。利やまつねえちゃん、謙信やかすがちゃん、それだけでなく俺が今まで恋を説き歩いてきた人達みんなにだ。後ろ指をさされているような。 お前は恋を建前として、結局は過去を見ているだけなのだろう。 「…違うよ。俺はただ、家康の傍に居たいと思っただけだよ」 「慶次…」 「自由な、はずなのにさ。周りの目が気になる。なんでかな、俺、まだお前を通してあいつを見ているのかな」 そうなのだとしたら、俺は一番やってはいけない恋い方をしている。しかも無自覚の、どうしようもない想いだ。震えた拳をもう片方の掌で握って宥めようとしても、それは既に抑えの利かない域へ到達していた。 すると視界が真っ暗になった。何も見えなくなった。自分が今何処で息をして何処で生きているのかすらも混乱してしまう程に突如とした出来事。そんな意識の下、これが家康の手によって遮られた視界だという事実に気付くまで、少しだけ時間を要した。 「今お前が見ている世界に、人の目など存在しない。在るのはお前の意思だ」 「う、あ…」 「そして儂の声だけだ。慶次、次お前がその目に光を入れた時、向き合うものはその意思と儂だけで良い。そして存外、人はお前を卑下していないものだ」 皆、自分自身の恋とやらに必死だったりするのかもしれない。お前の自由過ぎる恋情を咎める以前に、そんな変化に気付かない奴らも多いと思うぞ。 家康の声に酷く安堵している。拳がゆるゆると解けるのがわかる。現実と切り離された状態が、このまま身を預けていたいと願わせた。それでも俺はまだ生きなきゃいけない。死んだ奴らの分も、好きに恋をして、好きに生きて。 手を、離すぞ。告げられて心臓が早鐘を打ちはじめた。だけど怖くない。俺に在るのはこの小さな恋情と、家康の隣だけだ。喧騒に満ちた人の世とはさようなら。ああ、好きだよ、家康。今なら胸を張って言える気がするんだ。 瞼を上げる最後の瞬間、逆光に照らされて眩しいあいつの広い背中が見えた。 目覚めよ青年、お眠り坊や 匿名さまリク「3設定家慶」でした! 家慶ってどマイナーじゃ…と思っていた矢先のリクにびっくりしたのもいい思い出です。最後の最後まで友垣を引きずった慶次の吹っ切れ話みたいなものを書きたかったのでいい機会になりましたありがとうございました! |