「遅くまで生徒会の仕事、ご苦労様。気をつけて帰りなさいね」
「はい、ありがとうございます」
 ガラガラという音とともに開かれた引き戸の奥は、疎らながらも未だに仕事を続ける数人の教員たちの姿があった。手のなかに握られた鍵をフックにかけていると、担任教員の鳥海から労わりの言葉をもらう。少年も一礼をしながら言葉を返し、蛍光灯の明かりに満ちた職員室を後にした。
 校舎から一歩出ると、頬を刺すような寒気に思わず身震いをする。十一月の半ばにもなると、学校指定のジャケットだけでは少し辛いものがある。明日の登校にはマフラーを巻いてみるのもいいかもしれない、などと考える。擦り合わせた両手に吐きかけた息は、白く淡く色づき、そのまま空気に溶けていく。それをぼんやりと見つめていた少年の身体を撫でるように吹き抜けた冷気にふたたび身震いをすると、自らが帰る寮へと歩みを進めた。
 正門を抜けようとしたときだった。少年が捉えられる視野範囲ギリギリの場所で、ちかちかと光が瞬く。ほんの一瞬だったが、その光は強烈に焼きついた。咄嗟に足を止め、光源へ顔を向ける。少年の視線の先には、先ほど出てきたばかりの校舎の一番上、フェンスに囲まれた屋上があった。なんの変哲もない、ときどき昼食場所に使用するような、ただの屋上。そもそもこの時間帯には閉鎖されていて、人の立ち入りは不可能のはずだ。
 それからしばらくの間屋上を見つめていたが、強烈になにかが瞬く気配はない。少年は自らの見間違いだとして、その日は帰路についた。


***


 この時間、校舎内を行き来している生徒の姿はない。自らの靴音だけが廊下に響き渡り、少しだけ不気味感じる。煌々と廊下を照らす蛍光灯の明るさのなかを進んでいたが、屋上に続く階段を登るにつれて蛍光灯の数も減り、屋上の入口付近は、完全な暗闇に包まれていた。扉の施錠はされていない。ドアノブに手をかけ、極力音をたてないようにゆっくりと開く。
 足を踏み入れると、少年は自らの目を疑った。屋上の空が、星の海に埋め尽くされていたのだ。つい数分前まで見ていた空とは別物の、霞んだ雲ひとつすら見当たらない夜空だった。都会の中心で、こんなにも澄んだ空を見上げたことがあっただろうか。
 たとえるならば、まるで宇宙。そんな宇宙空間に佇む異質な存在が、ひとりいた。少年は、夜空に釘づけになっていた視線を、自らの直線上に存在するそれに向ける。
 目線の先に佇む人物に、心当たりがあった。トレードマークのひよこ色のマフラーが、夜風に揺れている。
「……望月?」
 クラスメイトの、望月綾時。十一月という微妙な時期にも関わらず、少年のクラスに転入してきたことは記憶に新しい。異性へのリップサービスや同性相手にも人懐っこく接する性格は、男女問わず人気が高い。少年も、彼と何度か話をしたことがあったが、特別親しい間柄でもなく、むしろ順平やゆかりと会話している姿を見るほうが圧倒的に多い。少年にとって望月綾時は、ただのクラスメイトに過ぎなかった。このときを迎えるまでは。
 一歩ずつ、彼に向かって歩を進める。こちらには気づいていないのか、振り向く気配はない。後ろに立っても一向に気づく様子のない彼の肩に手を伸ばし、とんとん、と叩いた直後だった。
「えっ……」
 驚嘆の声は、まず少年から漏れた。勢いよく振り返った綾時の瞳も驚嘆の色に染まっていたが、それよりも、綾時の手元で主張する存在の異質さに、少年は驚きを隠せなかった。
 彼は、少年がずっと焦がれていたあの光を手にしていた。比喩などではなく、不確かな光を、持っている。
「……ここは、僕しかいないはずなのに、どうして」
「鍵が、開いてた」
「鍵……そう、鍵が」
「それよりその光、この前も見たけど、なに、それ」
 少年が、綾時の手元の光を指す。ふたりが淡々と会話を続けるなか、光の勢いは衰えることなく弾けるように光っている。
「これ、見えるの?」
「見えるもなにも、こんな激しい光、見間違えるはずない」
 二度に渡って目撃した強烈な光を、ただの見間違いで済ますことなんてできなかった。綾時は、少年の返答に「そう……」と呟き、自らの手に乗せられた光を見つめている。するとそれを、なんの前触れもなく、彼は口に含んだ。咀嚼をする様子もなく、すぐに嚥下すると口元を手の甲で拭った。
 食べてしまったのだ、あの光を。そして綾時は少年に、こう問いかけた。
「君はあれが、お星様だと言ったら、信じるかい?」
 この状況で、素直に首を縦に振れるほうがおかしいだろう。少年がただ一言「無理だな」と答えると、綾時は困ったように笑っていた。






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