「なぁ、飯食っていかね?」
 そう言ったのは誰だったか。順平だろうか、それとも友近かもしれない。放課後で賑わう教室内で提案されたそれに賛同して、ふたりでわいわいと盛り上がっている。すると「いいなそれ、俺も行っていいか?」と宮本が乗ってきた。三人に増えた放課後の集いは、この年頃特有の高まりだとか団結力だとか、とにかく目に見えて青臭いものだ。その青臭さが、見ていて楽しいとも思う。そして彼らの輪のなかには、当たり前のように彼も佇んでいる。そこに彼自身の意思は存在していない。周りが彼を必要としているから、その場所にいることが許されているし、彼もまたそれをよしとしている。すべてが彼を中心にして物事が運んでいるさまが、その男には見えていた。
 ああいうの、いいな。男の子同士の友情って感じで。
 望月綾時はその輪のなかにいなかった。自分もそのなかに加わりたかったものの、身体はすでに不特定多数の女子生徒らに拘束されて「綾時くん、早く行こ」と引っ張られながら教室を出ようとしているところであった。視界の端に移る、彼らの笑顔が眩しい。しかし彼女たちとの先約がある。そうこうしているうちに、彼らへの漠然とした羨望はすぐに異性への興味にすり替えられた。

 それが、ほんの数日前の話。



   ワイルダックバーガーにて


 綾時はいま、巌戸台にある全国チェーンのファストフード店のレジカウンター前で、ずらりと並んだメニューの羅列を眺めながら、悩んで、悩んで、悩み苦しんでいた。
「……望月、早く決めろって」
「だ、だって! すごくいっぱいあるから、どれにしたらいいかわからない!」
 それもそのはずで、望月綾時という人物は、生まれてこのかた、ファストフードというものに触れたことがなかった。初めての経験に、驚きと混乱と好奇心を綯い交ぜにしていると、あれもこれもと次々に欲が出てしまう。メニューを比較しようにも、経験という情報がないのでまさに「どれにしたらいいかわからない」状態に陥っている。うんうんと唸りながら難しい顔をしている綾時を急かすかのような溜息は、綾時の後ろで自分の順番を待つ少年から出たものだった。
「ねぇ、君はいつもどれを頼むの?」
 結局、自分だけでは決められないと判断して、他人の意見を取り入れることにした。しかし綾時からの問いに、今度は少年が悩む番である。いつも決まってこれを頼むということをしない少年は、ヘビーローテーションをするほどこの店の商品に頓着があるわけでもなく、綾時へ返答しようにも言葉に詰まってしまう。かといってこのまま自分がなにも言わなければ、綾時はいつまでも悩み続けるだろう。自分たちの後ろには、注文待ちの列が一人、二人と並び始めている。その様子を尻目にふたたび溜息をついたところで、ポケットに潜めていた手をメニューに這わせ「チーズバーガー」と書かれた写真を指で示した。
「これ?」
「うん」
「えっと、じゃあこれくださーい」
「単品とセット、どちらになさいますか?」
 単品? セット? なにそれ?
「……単品は、これだけ。セットっていうのはこれに、ドリンクとフライドポテトがついてくる」
「君は?」
「……セット」
「セットください!」
 彼が言うのであれば間違いない、と、さきほどまで悩んでいたことが嘘のように晴れ晴れとした表情で、少年と同じようにメニュー写真を指して注文した。お飲み物はどちらになさいますか? と問われ、悩む間もなく「オレンジジュースで!」と返した。飲みたいものはあらかじめ決めていたのだが、それを聞いていた少年には少し、笑われた。
 提示された金額を払うと、右手でお待ちくださいと言われたので少し端に寄った。すると、今度は自分の後ろに並んでいた少年が慣れた様子でつらつらと注文を伝えている。しかも聞き間違いでなければ、一人前をはるかに超えている量ではないだろうか。ここまできてしまうと、もはや呪文だ。彼は呪文を唱えている。レジのタッチパネルを操作している店員さんも追いついていないのか、かなり焦っている様子だ。そんな一連の様子を呆然として見ていると、お待たせしました、という明るい声が店内に響く。零円だというスマイルと一緒に差し出されたトレーの上には、包装紙に包まれたハンバーガーと、黄色が鮮やかなフライドポテトと、外の気温を考えると身震いしてしまいそうなほど冷えているドリンクが乗っていた。この短時間でこれだけのものを揃えて提供できるなんて、さすがファストなフードである。感心して見入っていると、トレーを差し出した店員さんが戸惑いがちにあの、と声をかけてきたので慌ててトレーを受け取った。
 未だに注文を続けている少年(本当に、どれだけの量を頼むのだろう)から「先に席行ってろ」と言われたので、できたてのそれらを落とさないように、ドリンクが倒れないように、意識して歩いていると、前から来た人にぶつかりそうになった。危ない危ない。ほっと安堵したのも束の間、席に戻ると先に食べ始めている順平と友近がいた。本当は宮本も誘ったものの、今日は足のリハビリがあると言って欠席だ。
 ふたりはなにやらニヤニヤしながら綾時を見ていた。
「望月綾時くん、はじめてのおつかい、の巻」
「ファストフードなんて、僕、初めて! っていう、さり気ないお坊ちゃんアピール?」
「そ、そういうわけじゃないよ!」
 控えめに反論する綾時の様子が面白いのか、ふたりでけらけらと楽しげに笑っている。確かに、このような軽食がとれる店に来たのは初めてではあるが、そこに他意はない。世間知らずで少々浮世離れしているところは否めずとも、初めての経験にどうしたらいいのか、純粋に戸惑っているだけだ。もちろんそんなことは目の前のふたりもわかっている。先ほどの言葉はあまりにも綾時が素直に反応するからつい、だ。少しむっとしている綾時に、順平が悪い悪い、と声をかけると、その顔をたちまち緩ませてようやく順平の隣の席についた。
 ふたりも綾時と同じようにセットメニューを頼んだのか、順平のトレーにはすでに食べ終わった包装紙の残骸がくしゃくしゃに丸められて放置されている。かたや友近のトレーでは包装紙がきちんと畳んで折ってある状態で、性格の違いがなんとなく出ている。
「相変わらずここのポテトは湿ってんな」
「どれどれ」
「ふたりとも、僕のじゃなくて自分の食べなよ」
「いやほら、人のモン見るとそっちがいいって思うだろ?」
「……そういうもの?」
「……自分が遊ばれてるって気づけ、望月」
 無知ゆえに何に対しても素直に納得してしまう綾時の反応をいいことに好き勝手言っていると、先ほどの綾時と同じようにトレーを持った少年が戻ってきた。
「あ、おかえりな……さい?」
 トレーの上に乗っている光景を目にして、綾時は最初自分の目を疑った。ぱちぱちと瞬きを二回、それから閉じた瞼をごしごしと擦ること二回。それでもその光景が変わることはなかった。綾時が疑うのも無理はない。そこには十は軽く超える数の、様々な種類のハンバーガーが並べられている。しかもトレーの端にはプラスチック製の番号札が慎ましげに置かれていて、これのほかにもまだ追加で運ばれてくることがわかる。綾時は心底驚いた様子だが、順平も友近も見慣れているのだろう。口元を覆ってうぷ、と声を漏らしつつも早速食べ始めている少年になんの違和感も抱いていなかった。






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