(綾+アイ+主)





僕は、屋上が好きだ。
この時期は肌寒いから、あまり人が寄りつかないそうなので、一人になることが多い。普段、みんなに囲まれていることが多いと、こうした一人の時間がとても愛おしくなるのだ。
フェンスに手を掛けながら見上げた先には、青い空をキャンバスに、薄く掛かった雲。太陽の光は柔らかくて優しい。素直に、素敵、だと思った。
でもこれを言葉に出すと、順平くんには痒がられるし、ゆかりさんには呆れられる。二人曰く、僕はロマンチストだそうだ。僕自身に、そんな自覚は毛頭無いだけに、そんな二人の反応に少しだけ不満である。

でも、彼は違う。彼だけは、いいんじゃないか、と言ってくれる。素っ気ない、でもちゃんと受け止めてくれた事実がそこにある。
そんな彼の何気ない言葉の中に、一番、嬉しかった一言がある。だから僕は、空を見渡せるこの屋上が好きだった。

ドアの軋む音。この時期の屋上に来訪者なんて、僕以外にも物好きが居たものだと意表を突かれた。が、そんな軽い考えも、その来訪者の存在で、一気に覆る。


「やぁ、アイギスさん」
「…」
「君も、屋上に?」


どうしよう、声が上ずった。それに、上手く笑えていない。あれ、なんだろう、喉がすごく乾いてきた。

僕という存在を否定し続けてきた彼女。僕の生きる世界でただ一人、とても異質な存在。そして彼女にとっても、僕は異質な存在だった。
人間誰しも、万人に好かれるなんてことはない。それは僕も重々承知しているけれど、彼女は度を超えていた。僕を見つめる目は、排泄的な目をしていて。

(…そういえば、彼女の瞳も)


「…どうして」
「え?」
「どうしてあなたも、同じ目をしているの」


ゆっくりとこちらへ歩んでくる彼女の顔を伺うことは出来なかった。それよりも、同じ目、と言われたことで、彼女の言わんとしていることに気付いて、頭の中で無意識に警笛が鳴った。
次に思考が働いた時には、僕はすでに床へ引き倒されている状態だった。それに至るまでの状況を飲み込めていなかったが、今わかることは腰を強く打ち付け、背中の骨は軋むように痛みを訴えていることだけ。

そして無情にも、女性であるはずの彼女の、圧倒的な力によって身体を起こすこともままならないということだった。


「綾時さん、貴方とても綺麗な目をしているのね」
「アイギスさん…痛い、痛いよ」
「そう、まるで空の様…」
「!」


お前の目、青空みたいで綺麗だな。

少し前に彼からもらった最高の宝物。一番嬉しいと、幸せだと思った言葉。彼にしてみたら会話の中で何気なく発したフレーズ。それが僕にとっては大きな意味を成している。
だから僕は、自分の瞳が好きだった。この目で空を仰ぐことで、胸が詰まるような幸福を感じた。

感情を映さない彼女の瞳が、とても機械的に見つめていた。僕の身体に馬乗りになり、その身体のどこから出しているのかもわからない力で握られた手首は、ぎちぎちと音を立てて床に押し付けられている。


「私も、青い目をしているの」
「…うん、とても、綺麗だと思う」
「思ってもいないことを」


ぐぐ、と更に強まる力に、思わず顔を顰める。抜け出そうにも、身体を捩れば捩るほど、彼女の拘束が強まっていく気がした。
しかし、急に手首を掴む力は緩まる。指先に、力入れることも敵わない状態になっていた。

それまで荒々しく押さえつけていた彼女の手が、するりと僕の頬を撫でた。まるで、慈愛を含んでいると錯覚してしまうほど、優しく。
親指の腹で、僕の瞼を、目尻を、ゆるゆるとなぞる。瞬きは、出来ない。その間にも表情ひとつ変えない彼女には、人間味がなかった。

遠くで聞こえる、機械的なモーターが動くような音は、気のせいだろうか。眼前に翳された彼女の手が、僕の目を捉えた。
隙間から見える彼女の目は、研磨された硝子玉のように澄明であり、そして青い。



「アイギス」


声と同時に、静かに動いていた機械音が止んだ。硝子玉は大きく見開かれ、そこには同じ様な顔をした僕が映されていた。
そうだ。彼はいつも、風が吹き抜けるように、ごく自然と僕らの間を埋めていたほの暗い空気を攫う。そうしてどんな時だって、どちらを責めるわけでも、擁護するわけでもない。
僕を青空だと形容し賛美してくれた彼は、そういう人間だった。


「アイギス」
「あ…私……何をして…」
「…望月?」


呼ばれた。返事をしなければ。
それでも、極限にまで渇れきった喉は、自分の声すらも通せなかった。解放されていた手で喉を抑えると、反射的に咳き込み、気道がひゅうと鳴る。
硝子玉を携えた整った顔が離れる。一歩、二歩、たどたどしく後退する彼女のスカートが揺れていた。
僕が手を伸ばしても、彼女は応えてくれるわけもないのに。淡い期待なんて抱かない方がいいに決まっている。それでも、僕には彼女の気持ちがわかるから。

彼は、全てを察しているのかいないのか。その真意は、顔を見るだけでは読み取れなかった。
彼の横を走り抜けて、屋上から彼女の姿は消えた。揺れるスカート、靡くブロンド。もう見えない筈のそれらは僕の瞳に残像と言う形で残っている。
そうして、彼女の青い硝子玉を思い出さずには居られなかったんだ。



やさしい殺意



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