(綾主) 「雪が、降ってきたね」 街にはやはり人が多かった。ぐちゃぐちゃに入り乱れた人混みの中で、手と手を触れ合わせた僕らはそれをじっと見つめていた。何もしないで、ただ活発な人の流れの移り行く様を眺めているだけ。 「みんな幸せそうだね」 「そうだな」 「こんな日が、ずっとずっと続いたらいいね」 「続くよ、この先も」 お前と一緒に。今思うと、この時自分が呟いた声は祈りにも似た呟きだったのかもしれないと。隣の彼は黙っていた。そのままの状態で、お互いに応えを求める訳でもなく、左手に宿る彼の右手の存在を噛み締める。耳の中では至る所で聞こえてくるメリークリスマス、メリークリスマス、という声が延々と反響していた。 僕らは確かに愛し合っていた。それがどんな状況であろうと、事実は曲げたくなかった。言い換えてしまえば、普通の有り触れた恋人ではなく、そう、僕らという関係で無ければ、永遠に愛を囁き合うことすらなかったのだ。絶対的な確信がそこにはある。 この先もそうで在りたかったと。独り言のように囁いた隣の彼は、見えない未来に希望も何も持たない声をしていた。それを否定するように、左手が解けることのないように力を篭めて隙間を埋める。 彼の顔は、歪んでいた。 「行くから」 「えっ…?」 「お前の元へ、絶対に行くから。だから少し待っていてほしい」 やらなければいけないことを遂げるまで、それまでの辛抱だから。お前が望む、幸せな日々を、永遠にするから。全部全部、この愛しい子を独りにさせない為に成さなければならないこと。そのために、僕らはあの時間の扉を開く。彼のさ迷った、その跡を辿って。 ああ、泣いているのか。彼は静かに涙を流している。有りもしない、来るはずもない未来を過信する僕を愚かだと嘆いているのか、それとも、生に執着しかけた自身を呪った涙なのか。 「期待したらいけないのに、君なら果たしてしまいそうで、酷く悲しくて、嬉しいんだ」 一度しか言わない。ありがとう。醜い僕に、幸福を与えてくれて。 頬に添えられた手は冷たい。その手に触れて、少しでも温度を分け与えられたなら、と幾度も思った。瞳を閉じて、息を潜めるように彼を感じる。ああ、やはり、生きるべきだったのだ。仮初めだとて、ヒトとして創ってやりたかった。なあ、綾時。 瞳を開けたら、そこに彼はいなかった。先程まであの白い手に触れていた自分の掌を握り締める。あとは、来るべき時を待つだけなのだ。 「綾時、見ててごらん。今に、アネモネが咲くよ」 アフロディーテの涙 (12月25日) |