(綾主)





いいの、ほんとにそれでいいの、後悔はないの、未練はないの、みんなは、みんなはどうするの、ねえ、やっぱり僕は。


何時からか。イヤホンから流れる多彩なジャンルの音楽がけたたましいと感じるようになった。例えそれがどんなに微弱な音量であったとしても鼓膜が煩いと悲鳴を上げてしまう。音楽は、硬い殻の内側で自分だけの世界を作り出せる唯一の閉鎖空間の筈だった。そうだ、心地良かったものが徐々に自分の手を離れて、今では体から漏れ出る倦怠感とせり上がる嫌悪感で支配されてしまった。
ああ、指先が酷く冷たい。分かっているんだ。これは途中経過に過ぎない。自身が扉の礎に成る為の最後の過程にさしかかっている。

そんな状況下で、僕はまた彼の声を聴くこととなる。最初は鼓膜がとうとう逝かれたか、と冷静に考えていたのに。音楽が流れていたイヤホンからは、けたたましさが消えた。自分が座ったベンチのすぐ隣には、かつて自らが孕んだ後に世界へ産み出てしまった愛しい我が子の姿が在り、声が聴こえ、それがとても優しく耳に馴染んだ。


「顔色、悪いよ」
「それは…仕方の無いことだから」


だから、そんなに苦しそうに顔を歪めないでほしい。綾時の頬に手を添えて親指の腹でゆっくり撫でてやる。自分は、人が持つ感情にはとても疎かったから確信は持てなかったけれど、触れられた事に驚いたとか、望月が頬を自ら擦り寄せてきた事とかに対して、嬉しいという一種の感情を抱いたのだとぼんやりと思う。
多分、だけど。あと、少しなんだろう。戦いを共にした仲間と一緒に過ごせることも、この屋上から見る海を綺麗だと思えるのも、本当に僅かな時間だけで、自分に与えられた時間のストックがそろそろ底をつく頃なんだ。
彼はきっとそれを報せに来てくれたのだろうけど、先程からまるで自分の贖罪だと嫌悪するようにひたすら許しを請おうとしている。


「世界は君が必要なのに僕だけが独占するなんて、そんなの」
「今更遅い、馬鹿」
「……ごめんなさい」
「謝ることじゃない。これで、いい」


ああ、一度言ってみたかったんだ。不器用だけど優しかったあの先輩の、微笑んで言った最期の言葉。潔くてとても格好良いと思っていたけれど、口にすると意外と呆気ないものだった。ただそこにはきちんと言葉の重みが存在していた。重みが綾時に伝わったのか、曖昧な笑みを見せてくれた。

人と同じ様に生きることを許されなかった滅びの子供は、愚かしくも産みの母に恋をした。そしてそんな純粋な恋慕を受け入れてしまった自分がすべき事はあの大晦日から決まっていて、結局どの選択にしたって彼の傍に寄り添いたいと願っただろう。決して世界と彼を秤に掛けた訳じゃない。ただ言ってしまえば、少し疲れたかもしれない。

綾時は声を押し殺して泣いている。一粒二粒と滴が落ちる。嬉しさか悲しさか、きっとどちらも兼ね備えた涙を、彼は人間でもないのに流していた。
すごくすごく不謹慎だけど、お前を作ってくれたこの世界が好きだ。だから、デスもニュクスも全部抱えた上で、望月綾時を愛してみせようじゃないか。


「ありがとう。傍に居てくれて、本当に本当にありがとう」


(嗚呼、嗚呼、お前の瞳に映った世界は綺麗だったか。僕が産まれた場所が滅びを求めても尚、人に成りたいと願うか)



幼子の瞳で死を語る





(キタロオォォォォォオオオ!!)



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