(家三/これの続き) 「…そろそろ、行かないと」 「…そうだな、引き止めてすまん」 茶も飲んだ。他愛もない話もした。そんな戯れに近い時を過ごす間に何時しか襖の隙間から漏れ出た光は赤く色付いている。そろそろ夕暮れ時か。 結局、殆ど、互いに目線を合わすことなく幾つも刻が過ぎた。最初は湯呑みの中の、湯気の立つ茶の水面を見つめて、飲み干した後には自分の無骨な白い手の一点へ視線を注いだ。家康がどんな顔をし、何処を見つめていたのか、そんなことすらこの至近距離に居ながら知ることが出来ずにいた。それをどうしてか、もどかしいとも思った、だけどもどかしさを晴らすまでの勇気はまだ無かった。 「夕餉になったら、呼びに来る」 「三成、あのな!」 「……わ…っ!」 立ち上がろうとしたところで両手首を掴まれて一際大きな声で引き止められた。そこで初めて面と向かって奴の顔と向き合った。急な出来事にずりずりと後退するものの、無言で間を詰める家康。背中に襖が当たって、これ以上は後退ることも出来ない。 しかし、何時もへらりと締まりのない奴の、戦場以外では滅多に見せない切羽詰まった必死な表情に思わず固唾を飲み、抵抗する気も更々無くなってしまった。それに何を今更、自分も戸惑っているのだろう。握り込んだ掌の手汗が酷い。掴まれた手首の骨がぎしりと軋んだ。 (何を、黙っている、早く、早く早く早く、早く何か、言葉を発しろ、家康) 「すまん、ただ、何故だか」 「…痛い」 「あ、す、すまん」 先程から謝ることしか出来ないのか。それから間もなく緩く解かれた手首の束縛。でも奴との距離は相変わらず詰められたままで、離れようにも後ろは支えて逃げられない。 目線を斜め下に逸らす。そして途方もないことだと解っていながら藺草で編まれた畳の網目を数えようと試みた時だ。急に距離が更に詰まり家康の顔が目と鼻の先、それよりも既に零と等しくなった。固く握っていた拳の上に奴の指が触れる。異常な程に身体が火照る。 「……あー…」 「いまのは、なんだ」 「その…まあ…接吻、だ」 「接吻………」 「………」 「………」 「……なあ、もう一度だけ、良いか」 「………」 「み、つなり?」 不安に揺れる声色だった。自分のしてしまったことに後悔を示している、そんな所だろうか。 この行為に含まれる意味くらい知っている。それが何故私に向けられたのか、何故家康の行為を足蹴に出来ない自分がいたのか。恐らくそれは、お互いの意思が同調していたからだ。そして奴はもう一度と言った。人間はなんて愚かで馬鹿げているのだろう。一時の幸福感に縋りたくなる性がとても恨めしい。そうだ、この時が長く続かないと解っているからこその、愛惜なのだ。 (互いに固く閉じた唇は、そう、確かに微かに震えていて、目も合わせず、ただじっと、日の沈む夕暮れの時に想いを馳せた) |