(幸慶)





「なあ、虎の若子さんよ」
「何でござろう」


筆を走らせる音と和紙の擦れる音と自分の長い髪が畳にパサパサと広がる音がする。部屋の主は真面目に卓上と向き合って俺に背中ばかり向けている。対して俺はといえば、主よりも体の力を抜いて寛いでいた。畳にごろりと横になったまま、少しもぶれることのない背中を見ていた。
あの背中は沢山の民を救う反面で敵軍の人間は容赦なく喰らう。喰らってますますでかくなるその存在は酷く恐ろしいと、何度慄いたことか。まさに悪鬼。


「俺はあんたが嫌いだよ」
「…それは誠か」
「嘘じゃないね」


筆が止まった。俺如きの言葉に反応を示すなんて珍しい。いつもいつも戯言しか話さない男に、普段なら聞き流して終わりだ。

この青年は戦だけが生き甲斐だからそれ以外では酷く冷める、そんな人間だった。


「おっ、反応してくれた」
「…某とて、戦場に赴く武人である以上、万人に好かれる人間ではないことぐらい承知の上」
「武人、ならね」


ごろり。寝転がったまま体を青年に向ける。相変わらず筆は止まったままだけど背筋は正しく凛とした姿。何事にも揺れないその心意気が憎くもあり羨ましくもある。自分には決して得ることのできない強い自分自身。

綺麗だと思った。自分にないからすごく焦がれた。そのまま弱い俺を喰ってくれたら、あんたみたいに強くなれるのかな、とか。


「でも、幸村は好き」
「前田殿…」
「矛盾してると思っていいよ」


体を起こして青年の近くまですり寄った。未だにこちらには顔を向けない、その沢山のものが乗っかった背中だけだ。
そっと額をつけてみる。無駄な肉の無い筋肉質な硬さだけど背中越しにも鼓動の律動ってわかるんだと思った。それにしても嫌がられないとは予想外。青年は俺に対してあまり良い印象を持っていないだろうからすぐに突き放されると読んでいたのに。
でもいい。拒否されるよりは黙ってじっとしてくれるほうがよっぽど良かった。自分を棚に上げるようだけれど、少しだけ、怖かったんだ。


「ごめんな、迷惑だろ」
「…そなたは、稚児のようだ」
「稚児…?」
「無垢は時に残酷に成ろう」


だからそなたは某の言葉も聞こうとせず身を引こうとする。
振り向いた幸村は苦く笑った顔をしていた。頬に添えられた手は無骨で荒く少し痛々しい手をしていた。


「この幸村、武人であることを後悔したのは生まれて初めてだ」
「幸村…でも俺、幸村は」
「某は、武田に仕える兵の一人に過ぎない」


真田幸村は日本一の兵。武田一の猛将。虎の継承者になる男。

(なんだ、そうか)
(人と鬼は恋なんて出来やしない)



でたらめな愛の歌






第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -